中国茶筆記

桂という字

 今回はこちたき考証篇です。

 “桂”という漢字は、日本と中国では意味がことなっています。現代中国語の桂は日本のカツラではありません。木犀(モクセイ)のことです。現代中国語の辞典『辞海』(1979年度版)を見てみると、「桂」の定義として、「植物名。木犀のこと」とあります。
 中国語では、木犀の同意語として桂花という言葉もあります。爽爽茶館は「桂花烏龍茶」という茶を置いていますが、これは烏龍茶(文山包種茶)にモクセイ(正しくはキンモクセイ)の花で香りをつけたものです。
 ところで、中国茶には“桂”の字のつく茶がいくつかあります。
 福建省で生産される、広い意味での武夷岩茶に入る黄金桂という青茶があります。この「桂」もモクセイの意味です。「金桂」とはキンモクセイのことで、茶の香りがキンモクセイの花の香りに似ていることがこの名前の由来です。(“黄”の字は、水色が明るい黄金色であるところから来ています。また、「黄タン(きへんに炎。「旦」とも書く)種」という種類の茶樹からつくられることも関係しているかもしれません。)
 ところが、同じ武夷岩茶系統の茶に「肉桂」という茶がありますが、『中国茶経』の「武夷肉桂」項の説明に従えば、これは香りがニッケイの桂皮のそれを連想させるところからついた名称です。
 つまり、“桂”という漢字は、あるときにはモクセイ(木犀)を指し、またあるときには肉という字と結びついてニッケイ(肉桂)であったりしているのです。
 平凡社『世界大百科事典』「桂」項の説明を見ると、「ニッケイ(肉桂)あるいはモクセイ(木犀)」のことと説明されています。
 これはおかしなことで、モクセイはモクセイ科、ニッケイはクスノキ科で、全く違う植物であり、外見も全く異なっています。なぜ一字で表されているのでしょうか。

 諸橋徹次著『大漢和辞典』によれば、“桂”とは、「香木の名。肉桂・木犀などの総称」とあります。香木とは、ここでは「花や樹皮の香りのよい木」というほどの意味合いで用いられているのでしょう。以後、この意味で香木という言葉を使います。
 まあこういえば簡単ですが、これは結果であって、史料を時代順に追っていくと、事情はもうすこし複雑です。
 “桂”字の見える最古の史料のひとつに、秦・漢の時代(紀元前3世紀)に成立したとされる字書『爾雅』があります。この書物に、「シンは木桂なり」と見えています(“シン”は「侵」のへんがきへんの字。「桂」の別字)。“木桂”は“牡桂”とおなじ、つまりニッケイの一種と解釈されています。
 晋代(4世紀初め)に書かれた植物事典『南方草木状』には、桂に関するやや詳しい記載が見られます。
「桂に三種有り、葉は柏の葉の如く、皮の赤きは丹桂と為す。葉の柿の葉に似る者は菌桂と為し、其の葉の枇杷の葉に似る者は牡桂と為す。」
 丹桂ははっきりしませんが、あとの菌桂も牡桂も、ニッケイの一種であるとされています。
 これらの二例から判断して、どうも、もともと“桂”は主としてニッケイを意味した言葉のようです。がんらい、香りのよい樹木という程の意味だった“桂”がニッケイをおもに意味した理由は、当時、中国では香木としてニッケイが一般的であった―というよりニッケイしか知られていなかった―からではないでしょうか。あとに述べる事情によって、基本的に南方で取れる香木は、あまりたくさんは当時の中国人に知られていなかったと思われます。

 話は変わりますが、中国の広西チワン族自治区に桂林という場所があるのはご存じの方も多いでしょう。風光明媚で有名な観光地です。
 この“桂”はなんでしょう。桂林は、紀元前214年に秦の始皇帝がこの地に桂林郡を設置して以来の地名です。この史実は『史記』にあるのですが、残念ながら由来は述べられていません。
 そこで、清代の歴史地理書『読史方輿紀要』で桂林府(当時の行政的名称)を引いてみると、この地域に桂山という山があります。その説明のなかに「桂が其の巓に生ずる」とあり、明言はされていませんが、どうもこの地域で桂が生えていることが地名の由来のようです。
 では問題は、この“桂”がニッケイかモクセイのどちらであるのかなのですが、命名が秦代ですから当然、ニッケイの意味で使っているはずです。
 ところが、実際の桂林地方はモクセイ(キンモクセイ)の産地です。
 ということは、この桂林の“桂”は、最初からニッケイではなくモクセイを意味していたということになります。(ちなみに、既出の平凡社『世界大百科事典』「桂(かつら)」の項では、「桂林(略)の地名もモクセイにちなむ」とあります。つまり、桂林の“桂”=モクセイという立場を取っています。)
 “桂”は「花や樹皮の香りのよい木」というくらいの意味しかない、いわば普通名詞であるため、場合によって実際の意味内容が変わるのです。

 中国では、モクセイは南方の産物といっていいでしょう。ニッケイも、南方の産物です。ここでいう南方とは、長江(揚子江)以南の地域を指します。「江南」とも言います。
中国文明は元来、黄河流域、つまり北方から生まれ、南方(江南)への人間の進出と開発は遅れました。『爾雅』の編纂された秦・漢代では、南方はまだまだ未開発の地域でした。当然のことながら、中国人は、南方については実にあやふやな知識しかもちあわせていませんでした。“桂”字の意味のあいまいさもその反映であると考えられます。たとえば、後漢時代(1世紀頃)の字書『説文解字』には、「桂。江南の木。百薬の長なり。」としか説明がありません。
 しかし時代が下ってくると、南方の開発が進み、この地域に関する知見が増してきました。香木に関してもです。ニッケイとモクセイの区別もついてきたことでしょう。
 自然、「桂」一字でいっしょくたにはできなくなります。それぞれを指す言葉が生まれました。“肉桂”と“木犀”です。

 『字彙補』という字書に、「江南では桂を木セイ(つちへんに「犀」の字。「犀」と同じ)と謂う」と見えます。
 この書はずっと時代の下がった明代の書籍ですが、南方ではもともとモクセイを示す言葉として古くから“木犀”という語があったのでしょう。産地なのですから。方言といってもいいでしょうが、次第にこの方言が“桂”が元来含んでいたモクセイの意味を示す標準語として全国に広がっていったようです。
 宋は河南省の開封に都を置いたいわば北方系の王朝ですが、この宋代のケ粛という詩人に「木犀詩」という詩があります。
 ニッケイを指す言葉として今日にのこる“肉桂”という言葉が出てきたのも記録に残る限り、宋代です。この時代に『爾雅翼』という『爾雅』の注釈書が書かれるのですが、そのなかで、“桂は即ち肉桂なり”としるされているのです。

 中国は宋代以降、経済的にも文化的にも南方が北方をしのぐようになり、かつての北方優位は南方優位へと構図が逆転しました。“桂花”という言葉がモクセイとその花の意味を持つ言葉として文献にあらわれるのはこの時期ですが、この点からみて象徴的です。
“桂”の字が、モクセイを指す傾向が強くなってきたのです。
 『爾雅翼』がわざわざ“桂は即ち肉桂なり”と注したのは、当時すでに、ニッケイの意味で使われている“桂”が、ともすればモクセイと誤解されかねなくなっていたからではないでしょうか。
 そして、明末(17世紀)にできた字書『正字通』では、“桂”の字について、「俗に木犀と呼ぶ」と説明しています。ここで、“桂”という漢字はまったく“木犀”と同義語となりました。つまり、モクセイのみを指す言葉となったのです。
 以後、“桂”のニッケイの意味は、“肉桂”や“桂皮”といった特定の単語やいいまわしにのみ残ることになります。

 いままで述べてきたことを整理します。
 “桂”はもともと香りのよい木一般をあらわす語だったが、はじめは主にニッケイを指していた。のち、モクセイが広く知られるようになると、しばらく両方を意味していたが、最終的にはモクセイの意味となった。“桂”のニッケイの意味は、特定の言葉において残った。
 ――ということです。

(2000.10. 9)

 

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