中国茶筆記 台湾の青茶はおおむね丸い粒状になっている。これは元来大陸で作られる青茶、鉄観音の製法が、台湾茶に取り入れられたのだそうだ。 昔は丈夫な布に包んだ茶葉の塊を手足で絞りあげて団子状にし、それをほどいてまた絞るという繰り返しで成形したが、今では2種類の機械(布球機・団揉機)を使う。 午前7時――午前7時15分 三箕の茶葉を二箕にまとめる。それぞれの箕の中身を布で包み、第一の布球機にかける(写真1,2,3,4)。茶葉を左右から圧搾してボール状に固めるのである。各6.5キロあった。つまり2個で13キロ。これをさらにもう一枚の布で二重にくるんだのち、2番目の団揉機にかける。この機械は、球を円盤の上で転がしながら上下から圧力を加えてさらに固める仕組みになっている。この過程で茶葉が丸く締まっていく。 これで1サイクルである(※注1)。本来、台湾茶、たとえば凍頂烏龍茶では、この作業を30サイクル以上行う。(丸めない包種茶は2サイクルだが。)1サイクルで15分ということは、30サイクルなら、ぶっとおしてやっても7時間半の計算になる。途中の食事や休憩を挟めば、10時間ぐらいはかかるだろう。たぶんもっとかかるはずだ。茶作りは36時間かかるというではないか。 午前7時52分 5サイクル終了。最後の殺青機は温度を摂氏150度にし、20分。玉 解と同時に茶葉を乾燥させて中の水分を5パーセントに落とす。各球の茶葉の重さは、4.5キロとさらに減った。見た目にもひとまわり小さくなった(※注2)(※注3)。 ここで朝食。 雨のこともあって、食堂のテーブルにはさすがに見慣れぬ“客人”の姿はない。 午前9時――9時50分 乾燥機で最後の乾燥。温度120度。ちなみに林さんは作業中、機械についている温度計を一度も見ない。ボイラーの火の色を見、乾燥機の中へ手を入れれば何度かわかるからである。李登輝総統にタンカを切ってみせたこの人の自信は、実力に裏付けされているのだ。 あと残っているのは、余計な茎を取り除くことである。 これで茶作りは終わりである。 自分でお茶を作ってみて、さまざまなことを学んだ。だがもっとも大きな収穫はときかれれば、私は茶作りがこれほどまでにきつい仕事であると身をもって知ったことだと答える。そして茶が、自分にとって、ただの商品から農家の人々が丹精こめて育てる作物へと変わり、また熟練の手が生み出すまさに工芸品ともいうべきものに変わったことだ言うだろう。 ※注1 サイクルとサイクルの間は、床に広げたシートの上でほぐれた葉を広げてしばらくさます。熱いままで茶葉を布球機や団揉機にかけると、出来上がった茶の水色が茶色く濁る。さますと透明になるという。※注2 私たちの場合にはそこまでには至らなかったが、サイクルを繰り返してある程度茶葉が小さくなると団揉機は使わなくなるとのことである。布球機から直接殺青機にまわして玉 解・乾燥させる。※注3 このサイクルを安価な茶ではおこなわない。殺青のあと、粒球機(写真4)に茶葉を入れて回しつづける。「生コン機」というあだ名があるこの機械のなかでボイラーに焙られながら回転するうちに、茶葉は、ある程度揉まれ、丸まっていく。これで出来あがりとする。 ただし粒球機を使うと、葉に熱が加えられたままの状態がずっと続くから、製品の水色がどうしても濁る。また、大量生産クラスの茶の場合、その時々の条件(天候、気温、湿度、茶葉の状態)に関わりなく、一律の温度と時間をタイマーでセットして機械を回しておくので、ときに乾燥の度合いが足りなかったりする。林さんによれば、製品として完成した青茶の水分は5パーセントがベストだそうだ。残った水分が多いと劣化が速い由。粒球機を使った茶葉は大体10パーセントぐらいあるとのことである。※注4 私はだいたい変わったもの好きで、北京でサソリの姿揚げと蛇の磨り身団子を賞味したことがある。山東省の回族(イスラム教徒)の村では、目の前で殺して解体されたヤギのパーツのごった煮に挑戦した。ただしこの時は猛烈な消化不良を起こし、つぶすところを見た家畜は食べられないというのは本当だと納得した。 (2003/9)
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