中国茶筆記

茶を作る(4)

 林文経さんの家が土砂で半壊していることはすでにふれた。
 そのおかげで私とYさんのむくつけき男ふたりが一つ部屋のひとつベッドでごろ寝しているのは、天災のせいとしても、まことに遺憾な事態といえた。(女性だったらいいといっているわけではない。念のため。)

 午前5時45分 林さんに起こされる。寝たのはたったの30分ほどである。正直、最低の気分だった。寝不足のうえに、昨日の午後からの汗と雨と泥と作業場の埃でどろどろになった身体と服のままでいるのだから。しかもまた雨。
 だが林さんは寝ていないのである。私たちが眠りこけている間に、頃合いを見計らって茶葉を母屋の作業場に運び込み、ひとりで準備をととのえていた。見れば服も昨日と同じで、顔にあぶらが浮いている。こんな仕事と生活を数十年つづけておられるのだ。茶づくりとは大変な仕事だと心底思った。
 重油で燃えるバーナーの上で殺青機が回っている。6時37分から殺青を開始したという。1−2箕ごとに茶葉をこの中で殺青し、発酵を止める。私たちが作業場に行ったときにはちょうど最初の分の殺青が終わって、すぐ横にある揉捻機に葉を移しているところだった(写真1・2)。殺青機内部の温度は320度、時間は7分。となりの揉捻機で3分揉み、箕へもどしてしばらく冷ます。ここでかるく撹拌するのは、早く温度をさげるためである。

 午前6時14分 茶葉を乾燥させて、水分を50パーセントにまで下げる。Yさん持参のヒネ大陸烏龍茶をほうじなおした乾燥機がここにもある。ただし形が違う。これには中部に回転する棚が7段あって、手で棚を回して上から次々と下へ葉を落としていく間に、よこから吹き付ける重油ボイラーの火と送り込む風で乾かすしくみになっている(写真3・4・5)<。ふたり、メモ帳片手に次々に質問する。まるでよくドラマに出てくる新聞記者にでもなった気分である。「中の温度はどれくらいですか」「120度」「水分が50パーセントになったというのはどうやって確かめるのですか」「機械の下についているのぞき窓から一番下の棚が見える。そこから見える茶葉でわかるよ」

 午前6時32分 林さん、ボイラーの火を止め、窓から中の様子を見ながら風だけ送る。36分、送風も止める。茶葉のかさが減って3箕になった。ふたたび新聞記者。「このまま30分ぐらい置きます」「どうしてですか」「茎の水分が葉のほうへまわってすこし葉がやわらかくなるように」
 私とYさんが茶を取り出しているうちに、林さんが台所から急須と湯飲みを持ってきた。試飲してみるのである。茶の出来は、萎凋・揺青のあと殺青して発酵を止めたこの段階で、もう決まっているという。
 急須にいれた茶葉がすくなかったとはみえなかったが、私には味がうすくてよくわからなかった。Yさんも同じらしい。だが林さんは、「これは甘口だ」と言った。そういえば苦みや渋みは全然ない。どんな味がするかではなくて、どんな味がしないかで見るのかと、ひとつ学ぶ。
 林さんは好みとして甘口の茶をつくらない。とすれば、これは私たちの下手な揺青をやりなおして茶葉をかきまぜすぎたためではないかと、ちょっと責任を感じた。

 ところで私たちが試飲に使用したのは、なんと常滑の赤い急須と、日本の大ぶりの湯飲みである(※注1)。
 客間のテーブルにも常滑の急須が一日中おいてあって、茶葉がいつも朝から湯の中に沈んでいた。いつもこのようで、毎日、その日一日、通りがかってのどが渇いていれば、急須の横にこれも置いてある湯飲み(これも日本の汲み出し)で飲むらしい。湯が減ってくれば足す。
 水がわりなのだからあたりまえだが(第1回参照)、その茶葉は、十大農民茶農家であるところの林文経さんの作った上等の白毫烏龍茶である。作った本人は別だが、余人がこんなぞんざいな飲みかたをしてはバチがあたりそうな気もしないでもない(※注2)。
 第3回でふれたように、茶芸は台湾でつくられた。
 しかしその台湾でも、このような飲みかたをする人もいる。いるどころではない。ほとんどそうではないか。考えてみれば、日常、茶を飲むのに茶芸のような手間ひまをいちいちかけるはずがないと思える。
 大陸中国ではもっとおおらかだ。なにせ、やかんでジャスミン茶を煮出してコップに煮出し汁を注ぎ、湯で割って飲んだりする人がいる。

 さて、ここまでで、茶としては基本的にできあがったわけである。
 あとは茶葉を丸めて凍頂烏龍茶タイプ台湾産烏龍茶としての形を整える工程と、最後に火入れをして水分を5パーセント内外に落とし、最終的に製品として完成させる工程が残っているだけである。

 「この段階で工程を終えて、乾燥させてしまえば包種茶になる」と、林さんがいった。
 ちょっと驚いた。これは茶葉こそ白毫烏龍茶用だが、作りかたとしては凍頂烏龍茶ではなかったか。
 しかし考えてみればあたりまえだった。
 台湾産烏龍茶は、発酵度から分類すれば包種茶と台湾烏龍茶の2種類しか存在しない。50パーセントを境として、未満は包種茶、以上は台湾烏龍茶になる。台湾烏龍茶とはすなわち白毫烏龍茶のことである。台湾産烏龍茶で発酵度が50パーセントを超えるのは白毫烏龍茶だけである。製法もことなる。つまり、白毫烏龍茶をのぞけば、いまや台湾産烏龍茶の代表的銘柄である凍頂烏龍茶はもちろんのこと、金萱茶や翠玉も、そして焙煎度が強くて水色の濃い木柵鉄観音でさえも、包種茶なのである。
 作りかたも同じであるとすれば、なおさらである。茶づくりの工程で生まれる差異(たとえば揺青の加減による香りの違いや発酵度の差)を無視する乱暴を承知でいえば、原料となる茶樹の種類と見た目がことなっているだけということになる。



※注1
 常滑の朱泥焼急須は台湾のほかの場所でも見たことがある。茶芸で使う功夫茶壺(中国宜興産の茶壺)に色も形も似ているから台湾で使われるのは分からないでもない。もっとも似ているのは当然で、常滑の朱泥急須は明治の初年に金士恒という宜興の陶工がやってきて技術をつたえたものである。
※注2
 母屋から作業場に行く廊下のドラム缶が何本も立ててあって、白毫烏龍茶はこの中に無造作に放り込まれていた。その年に作ったものをここにためておいて、出荷する分量ごとにスコップやシャベルの類で取り出すらしい(白毫烏龍茶はウンカに食われて変質した茶葉から作るから、夏しかつくれない)。自家消費の際も同様であろう。林さんのファンが聞いたら卒倒するような話だ。
(2003/8)

 

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