中国茶筆記

茶を作る(2)

 次の日(2001年9月22日)は、朝から雨模様だった。

 林さんは、茶摘みは午後からだという。雨がやむのを待つのである。葉に水分がついていては良い茶ができないらしい。もっともYさんのいうところによれば、林さんはもともと午後に茶摘みをすることが多いという。「そのほうがいい茶ができるから」。
 午前中はさしあたってやることがない。朝食を済ませてから、Yさんともども雨の中、車で近くにある農会に案内していただいた。農会とは日本でいう農業組合である。林さんは、亀山郷農会の茶農家班のリーダーをつとめている。
 農会の建物には製茶施設が併設されていて、ここでは茶をつくるために必要な機械がすべてそろっている。ここへ茶葉をもちこめば茶ができあがる(※注1)。導入にあたっては、政府が費用を全額負担したそうである。

 ▽バリカンで刈る?

 正午に雨がどうやら上がった。雲の間から陽がときおりのぞく。だが不意にぱらぱらと降ったりもする。
 以下、私の体験した茶づくりというものがどういうものだったか、やや内容が細かくなるが、当時のメモをもとに時間をおって再現したい。

  午後0時半 昼食。

  午後1時半 林さんが「はじめましょう」と言った。まだ雨がやんでいないので、本当はやめておいたほうがいいのだが、私もYさんも時間がない。Yさんは明日の夜には台北で仕事の予定があるし、私はあさっての朝の便で日本へかえらなければならない。明日にすればまた昼からになる。いいわすれていたが、茶づくりはぶっ通しで36時間かかるのである。
 林さんが納屋からバリカンを持ち出してきた。茶摘みの時間を節約するためである。
 「いいのかな」と思った。バリカンで刈れば葉がスタズタになってしまわないか。

  午後2時 茶畑は自宅から車で2・3分のところにあった(※注2・写真1)。白毫烏龍茶(※注3)をつくる種類の茶樹である。ただし今回はこの茶葉で凍頂烏龍茶(※注4)タイプの茶を作る。バリカンは2人で両端を持って、ひとうねづつ舐めるように進む(写真2)。うねひとつで大体10キロ強の茶葉がとれるそうである。約10分で3うねを刈り終わった。袋につめ、車のトランクに載せて家へ持ち帰る。

  午後2時半 林さんの家の前の庭の一角を木の枠で囲ってそこに摘んできた茶葉をまく。太陽の光で干すのである。
 この作業を「日光萎凋」という。「萎凋」とは、しおれさせるという意味である。「茶葉の水分を15パーセントほど落とすのが日光萎凋の目的」。
 ときおり竹ぼうきでかき混ぜるのは、茶葉をまんべんなく日光にさらすためである。
 気温、34度から36度。この季節は通常晴れていれば気温が50度に上がり日光萎凋は10分ほどですむそうである。今日は曇天なので1時間半かかった。

  午後4時 家の隣にある小屋(写真3)のなかに茶葉を運び込んで、こんどは「室内萎凋」を行う。室内萎凋の目的は、葉の発酵を進めることである。箕で分けて、さらし棚で干す(写真4)。

 ▽花の香りが漂う

  午後6時 同じ小屋のなかのとなりの小部屋で発酵が進むのを待つこと2時間、林さんが葉を干してある部屋へ行って空気をかぎ、花のような香りがしてきていると言った。(私とYさんには元通りの青臭いにおいとしか思えなかった。素人の悲しさ。)
 箕の葉を台に空けて、第1回目の揺青(前回の注参照)にかかる。茶を両手で揺するように持ち上げては静かにふるい落とす動作をするので、揺青と呼ばれる(「青」は青葉の青)。これは発酵をより促進すると同時に、思い通りの香りを引きだす作業である(写真5)。
 できあがった茶の香気は、揺すり具合と落とし具合によって決まるという。お手本を見せてもらい、こんどは自分たちでやってみたのだが、ふたりとも「それではだめだ」といわれた。どこがだめなのかは口では説明できないとかで、まさに職人芸である。結局林さんがすべてやりなおした。11ある箕をすべて完了するのに1時間。
 揺青をしながら、茶葉の中からちぎれた葉や紛れ込んでいる枝を取り除いてゆく。室内萎凋と揺青をちゃんと行うかぎり、その茶が手摘みされたかバリカン刈りされたかは問題にはならないのである。これは、実際に自分で作業を行ってはじめてわかったことだった。



※注1
 いまの台湾茶は、基本的にすべての工程が機械でできるようになっている。農会に所属する茶農家が畑から積んだ茶をここに持ち込めば、機械から機械へと茶葉を移し替えるだけで、製品としての茶ができあがるしくみになっている。だが、それはある等級までの話であって、高級茶になればなるほど、昔ながらの人間の手による部分が大きくなっていく。
※注2
 林家は一族そろっての農家である。林さんは茶専門だが、ほかのご兄弟は別の作物を手がけておられるらしい。らしい、というのは、周囲の山を含む一帯すべて、2万坪が林家の所有で、畑すべてを見渡せるわけではないからである。昨晩の夕食時にお会いした林さんのお兄さんは、丘ひとつ越えたむこうに家を構えておられるとのことだった。だがすぐ向こうの丘の上、林家の所有のはずの土地に何かの工場がある。それは、林さんの息子さんがやっておられるとのことだった。息子さんは、農業を継いでおられない。工場も、畑をつぶして建てたらしい。台湾では都市化が進んで耕地面積が減り続けている。茶畑も例外ではない。日本統治が終わった1945年時点で3万255ヘクタールあった台湾の茶畑は、1992年には2万2,594ヘクタールにまで減少している(臼井正人「台湾お茶物語(四)」『台湾協会報』平成11年1月15日号による)。
※注3
 発酵度が70パーセント前後に達して水色も濃い、紅茶に近い烏龍茶。蜂蜜のような甘い香りが特徴。紅茶の世界では「東方美人 Oriental Beauty」の名前で知られる。1970年代以降、木柵鉄観音や後出の凍頂烏龍茶を初めとする新しいタイプの烏龍茶が出現するまでは、台湾の烏龍茶といえばこの白毫烏龍茶を指した。
※注4
 発酵度20−30パーセント前後で焙煎も浅く、緑茶のような水色をもつ。現在の台湾産烏龍茶の代表的銘柄。花のような清新な香りとあっさりした味わいの烏龍茶。
(2003/6)

 

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