東瀛書評

『中国農民調査』
(陳桂棣・春桃著、人民文学出版社  北京 2004年1月)

著者について

 陳桂棣:安徽省蚌埠生まれ。中国作家協会会員、国家一級作家。安徽省合肥市文学芸術家連合会専業作家。魯迅文学賞、『人民文学』賞、『当代』文学賞受賞。主な作品に『悲劇的誕生』『淮河的警告』ほかがある。

 春桃:本名呉春桃。湖南省醴陵生まれ。陳桂棣夫人。安徽省合肥市文学芸術家連合会専業作家。主な作品に『失憶的竜河口』『民間包公』ほかがある。


●内容の紹介

 この作品は、もと2003年第6期『当代』に掲載されたルポルタージュである。
 2000年3月に始まった安徽省における税費(正規税である農業税および地方政府によって徴収される諸費用)改革の、従来政治的禁忌とされてきた農民虐待や基層レベル(県以下の行政区域、すなわち郷・鎮および村)の幹部(党・政府の責任者)による虚偽報告の実態を、関係者、すなわち被害者と加害者の実名とともに暴露したものである。
 本書で報告される事例をいくつか挙げる。

 ・利辛県路営村の丁作明という農民が県委員会に村幹部の恣意的な内部保留金徴収や農民の過重な負担を訴えたところ、村幹部や指導者に憎まれ、派出所で暴行されて殺された。 (「第一章 殉道者」より)

  ・固鎮県小張荘村では勝手な徴税を行っていた村幹部に村民が財務資料の公開を要求したところ、汚職と婦女暴行の有罪判決をうけて執行猶予中にも関わらず村委員会副主任に就任した張桂全という人物が息子とともに村民5名を殺傷した。 (「第二章 悪人知村」より)

  ・臨泉県王営村では、党員の王俊彬という人物をはじめとする村民が上級組織に村幹部の乱脈な徴税や資金集めを名目にした強制的醵金、恣意的な罰金徴収を訴えたところ、公安の鎮圧にあって1,000名以上が安徽省から逃亡を余儀なくされた。王俊彬は党から除名され、犯罪者として指名手配された。 (「第三章 抗税案件始末」より)

  ・朱鎔基首相が1998年、農産物買い入れ政策の現状視察のために南陵県を訪れた際、南陵県と同県が属する蕪湖市の指導者は、4日がかりで1,000トンを超す農産物を他所から現地へ運送してきて、さも買い入れ在庫のように偽装した。 (「第八章 弄虚作假之種種」より)

  ・江沢民国家主席が1998年、鳳陽県小崗村を訪問した。小崗村は1978年に農村改革が先頭を切って開始された場所であるが、家は崩れてトイレもなく、道路は補修されておらず、電話も水道も整備されていなかった。学校もない状態のままで20数年が経っていた。江主席が来ることになった村では県委員会と県政府が突貫工事で小学校を建設し、水道を敷設し、家々の壁にペンキを塗ってトイレも付け、全戸に電話を設置した。あらたに新築もした。村の党支部は大急ぎで改装された。こうして「全面請負制」のショーウインドーを急遽こしらえたうえで、さらに4キロにわたって村へ通じる道路を舗装し、県の林業局が外地から木を買ってきて並木を植えた。 (同上)


●この書籍の出版をめぐって  

 中国では改革・開放政策の進展にともなって都市部がめざましい発展を続ける一方で、国土の大部分、人口の7割、9億を占める農村部分との収入格差・生活水準格差が拡大しつづけている。この農村問題に関しては、中国国内はもとより日本においてもその重大性が指摘され、一般向けもしくは専門書が出版・翻訳されている。*1  
 中国の農村部には1億以上の余剰労働者が存在すると言われ、「三農問題」*2 と呼ばれる農村部における貧困問題の解決は、胡錦濤政権によって最重要課題と位置づけられている。今年3月5日から14日まで開催された全国人民代表会議では、農民の負担軽減を目的に農業税を5年以内に廃止することが決まった。
 ところが農村問題を取り上げたこのルポルタージュは、全国人民代表者会議開催前に禁書となった。
 現在この書は“両会”開催以前に中宣部(中国共産党中央宣伝部)によって販売禁止とされたため、現在書店では購入できない状態にある。中国国内のメディアが同書について報道することも許されていない。*3

 今年1月に出版された同書は、中国において多大の反響を呼んだが、それは農村部とその居住人口(すなわち農民)*4の現状を事実をもって報告したからである。その具体性は、たとえば登場する関係者がほとんどすべて実名であることに端的に示されている。
 著者はある記者の質問に答えて、これでも出版する目的のためにすくなからず筆を抑えた箇所があると答えている。*5  しかし上でも一例として挙げた臨泉県のエピソードをめぐり、同県の県委員会書記が名誉毀損の訴えを裁判所に起こしている。

 基層レベルの幹部は、省の徴収する正規の農業税以外に、さまざまな規定外の雑項目の税金を徴収したり、名目を設けては住民=農民に割り当てて金を醵出させている。この書でも詳しく実態が紹介されているが、たとえば次のようである。
 ・豚一頭あたりの豚税。
 ・家を新築すると家新築税。
 ・農作物以外、たとえば花を栽培すると花税。
 ・トラクターを一台購入するとトラクター税。
 この背景には、中国が改革・開放路線に転換し、農業部門において1984年に人民公社が解体されて後、県の下に新たに設置された郷・鎮といった行政機構は、財政基盤が法的に保障されておらず、行政経費を農民に求めることによってしか自身の運営を維持できないという状況がある。*6  しかし以下のようなものになると、基層幹部の権力濫用、私腹肥やしとしか言いようがなくなる。
 ・幹部の冠婚葬祭、また子供や孫が生まれた際には見舞金。
 ・もしこれらを払わなかった場合には、食料徴収隊が鳴り物入りで家にやってきて、その家の食料や家畜を残らずさらっていく。
 今年3月3日および5日に開幕した“両会”*7 の直前、新華社は「両会の見通し」という題名でシリーズ記事を連載した。その中の一つに「社会的弱者の問題に取り組む」という回があった。*8。

 この『大紀元』の報道によれば、新華社の記事は中国の全人口のなかで8,000万ないし1億人が社会的弱者と見なされるとした。*9 しかしこのなかには農民は含まれていない。*10

   「(中国人口の7割が農民という)比率は、近い未来に大きく変化することはありえない。中国の農民は中国における最貧困階層である。戸籍制度によって土地に縛り付けられ、経済的・政治的につねに劣等な地位に置かれている彼らは“二等公民”なのである。農民と彼らの抱える問題は、中国社会の最大の不安定要素である。であるから農民問題の解決は中国共産党と政府にとって最優先課題なのだ。だが農民問題が一向に解決をみないのは、これが根本的に言えば構造的問題だからだ。都市と農村の差別、都市住民と農村住民の対立を生みだしたのは、まさしく中国共産党政府だからである」*11

   発禁の理由は、まさにこのあたりにあると思われる。



●著者の関連発言若干 (『央視国際(CCTV)』2004年2月14日放映インタビューから)

 〈なぜ安徽省なのか)
  「安徽省は全国十二農業省の一つです。そして農業の三大改革、すなわち土地改革、全面請負制度、税改革はすべて安徽省で始まりました。これらのことで、安徽省が(今日の)中国農業を語る上で代表的存在であるとするに充分でしょう」

  〈『中国農民調査』について)
  「私たちは執筆中にこの作品が(ルポルタージュかあるいは文学作品か)ということをまったく考えずに作業を進めました。私たちはただ、ある文筆家として自分の見たこと耳にしたことを書き表そうとしたのです。どうすれば自分たちが感じたことを読者に正確に伝えることができるか、そして自分たちが感じたこと考えたことを読者が受け継いでさらに考えてくれるか。そして私たち皆で農民のために何かの行動を起こすことができればということを考えました」

 〈『中国農民調査』読者への言葉〉
  「中国9億の農民問題は中国人すべてに関わる問題です。農業に携わる同胞たちが豊かになれなければ、現在のさまざまな統計や数値など何の意味もありません」

 〈文学者の義務について)
「文学者は純文学を書くべきです。しかしこの作品を執筆する過程で、純文学というものに懐疑を抱き始めました。中国で改革・開放が始まってから20数年が経ち、わが国は大きな変化を遂げました。この変化によって各種の衝突が生じました。新しいものと古いものの衝突です。様々な面で巨大な変化が起こりました。さまざまで複雑錯綜した矛盾が、さらなる改革を待っているのです。この社会問題に対して、私たち文学者が純文学を唱えるばかりでいては、みずから手と足を縛っているようなものだと思います。私と妻は、自分たちの書いているこの作品は、文学の範疇から飛び出すべきだと心に決めたのです。できるだけ多くの人々に私たちのこの作品を読んでもらう必要がある、私たち二人がこの眼で見たこと、この耳で聞いたこと、私たちが受けた衝撃をのこらず読者に伝えるべきだと」
                                                                     

(初出『藍 BLUE』総第14期、2004年5月)



*1  清水美和『中国農民の反乱』(講談社 2002年7月)、何清漣『中国現代化の落とし穴』(坂井臣之助・中川友訳 草思社 2002年12月)、王文亮『中国農民はなぜ貧しいのか』(光文社 2003年7月)、黄文雄『中国が死んでも日本に追いつけない7つの理由』(青春出版社 2003年7月)など。

*2 「農民は正に苦しみの中にあり、農村は正に貧窮の中にあり、農業は正に危機の中にある」(李昌平・湖北省監利県棋盤郷党委員会書記の2000年3月2日国務院宛書信)

*3 たとえば『毎日新聞』電子版、2004年4月4日付け共同通信社記事「中国共産党:農村の実態を描いたルポの報道を禁止」。なお中宣部は地方レベルの各級宣伝部を統括する、党の公式イデオロギーを代表・体現する存在。くわしくは『藍 BLUE』総第14期掲載焦国標「中宣部を討伐せよ(抄訳)」(金谷譲訳)を参照されたい。

*4 近年やや緩和されてきたものの、中国では基本的に都市部居住の住民とそれ以外の部分の住民では戸籍が別である。1958年施行の「中華人民共和国戸籍登記条例」によって、「農村戸籍」と「都市戸籍」が区分され、農村部から都市部への移籍(つまり移住)はわずかな例外を除いてほぼ不可能となった。やや極端だが、中国の“農村部”とは都市以外のすべての部分、“農民”とは都市部以外の土地に居住するすべての中国国民と考えればわかりやすい。ちなみに原語では農村戸籍は「農業戸籍」、都市戸籍は「非農業戸籍」である。

*5 インターネットサイト『大紀元』(http://www.dajiyuan.com)、2月17日付け報道「『中国農民調査:前所未有的震撼和隠痛」に引用する『新聞週刊』の記事から。

*6 たとえば清水美和『中国農民の反乱』 p.50を見よ。

*7 2004年3月3日から開催された政治協商会議第10期全国委員会第2回会議および同5日から開催の第10期全国人民代表大会第2回会議の二つを指す言葉。

*8 『大紀元』、「中国弱勢群体一億不包括農民」、2004年3月1日による。

*9 4種に分類されている。@解雇された勤労者で、職業紹介所に登録はしているがまだ再就職できていない者。A国有企業で働いておらず、屋台や臨時雇いのような零細な仕事で生計を立てている者、および障害者、孤児、夫と離別した女性、老人など。B都市部の出稼ぎ農民。都市民の労働者と同様の権利が保障されておらず、また現状では労働法で定められた各種の社会保険費用を雇用先が支払っていない。さらに都市においては彼らはさまざまな差別を受けている。C早期退職した勤労者。その大部分は集団企業から解雇された者で、退職時点での給与は平均100元余りときわめて低く、各種の補助金も200-300元ほどしかない。彼らの働いていた企業は破産寸前のものも多く、その場合、彼らの在職時に医療保険ほかの社会保険料を雇用先が払っていない。

*10 同じく『大紀元』の「中国弱勢群体一億不包括農民」によれば、9億人の中国農民のうち、東部地域および大都市周辺に居住する1億は、生活水準が都市部のそれに接近している。しかし中部・西部の6億が貧困状態、さらに3,000万が極端な貧困状態にある。

*11 趙達功「誰来写《“農民工”調査》?」(『大紀元』、2004年4月1日、http://www.epochtimes.com/b5/4/4/1/n497930.htm)。ちなみに都市と農村の別戸籍制度には、農民を土地に縛り付けて逃げられないようにし、人民公社制度とともに、中国の工業化と資本蓄積のために農村からの収奪を確実にするという一面が、少なくとも結果から見るかぎりあった。

 
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