東瀛書評

『アジアを語ることのジレンマ 知の共同体を求めて』
(孫歌著、岩波書店  2002年6月)

 「東史郎氏とその支持者が日本人であるという基本的事実を私が軽視したこと、また彼らが長く続く闘争のなかで支払った重い感情という代価を軽視したこと、このことを私は認めなければならない。民族感情を論じる際に、私は無自覚に中国人の感情から彼らの感情を類推し、中国人の判断を彼らの判断に代替させていた」 (「思想としての『東史郎現象』――理論と現実の間で」 本書72頁)

 これは、著者が東氏について「訴訟に勝つために中国人に応援を求めた最初の日本人である」と別の文章で「賞賛」して、当の東氏の気分を害した出来事について記したくだりである。
 別の箇所で、著者はこうも書いている。
 「東史郎とその弁護団は、戦後の日本にあって、最も自覚的に戦争責任の問題を国内から国外へ持ち出し、中国と世界の世論の圧力を利用して、国内における闘争の勝利を図った、おそらく最初の日本人である」 (「日中戦争――感情と記憶の構図」本書38頁)
 これに続く、「正にこのために、彼は中国の普通の市民からも広く関心を寄せられるところとなり、中国メディアの英雄になったのだ」(同)という文章から判断すれば、著者が「無自覚に中国人の感情から彼らの感情を類推し、中国人の判断を彼らの判断に代替させていた」とみずから省みての結論は、正鵠を射ていると思える。
 しかしながら私は著者であるところの孫歌女史を批判するためにこの箇所を引用したのではない。
 ときに足を踏み外しつつも、中国と日本の民族感情の狭間で綱渡りをそれでも続けようとする女史の勇気を、まさに賞賛しているのである。


感情記憶について  

  「私は、個人や家族の経験に根ざしたものではないにもかかわらず、私の血液の中に、素朴な『民族のトラウマ』が同じく流れていることを認める」 (「アジアという思考空間」 20頁)

 孫歌女史は、この『東史郎日記』裁判をめぐる事態を、双方にとって不幸なことという。互いの「感情の記憶」(もしくは「民族の記憶」)を、正面から受け止め理解する端緒となる機会を逸したとしてである。
 感情記憶とは何か。直接の体験者において忘れることなく保たれる過去の出来事に関する感情であり、また民族全体として次の世代へと受け継がれていく感情を指す。それは事実そのものの記憶ではなく、事実によって引き起こされる感情の記憶である。
 「それが私たちにとって直接的な経験であるかないかなどは問題にはならないのである」 (「アジアという思考空間」 16頁)
 「イデオロギー批判によっては簡単に解体されることのない個別の体験であり、しかも絶対に個人化した経験でもない」、「言葉以前の要素」、「前言語状態」に支えられる「個人生活、社会生活の襞の内奥に隠された文化の浸透力」である(同 12-13頁)。

 近代中国の日本に関する感情の記憶とはすなわち、戦争のそれにほかならないであろう。著者のべつの言葉を借りれば、「歴史の怨恨」。  
  その最も突出した例として――あるいは象徴というべきか――、著者は「南京大虐殺」と『東史郎日記』をめぐっての民事訴訟を取り上げる。ここで「南京大虐殺」に括弧をつけたのは、その存在に疑問を呈するからではない。『東史郎日記』訴訟が著者によって「東史郎現象」と括弧でくくられているのと同義である。すなわち、事実そのものを指すわけではなく事実に付随する感情とそれによって引き起こされる社会現象を指すという意味である。
 「南京大虐殺といえば、中国人数世代にとっては、一九三七年一一月に起こった未曾有の惨劇という、具体的な歴史事件そのものを直ちに意味するものではない。それは中国人の感情記憶の中では、最も際立ったシンボルなのだ。すなわち第二次世界大戦中の日本軍が中国国内で犯した犯罪行為を象徴し、今に至るも真に犯罪を認めようとしない日本の政府と右翼に対する中国人の怒りを象徴し、戦後五〇年以上に及ぶ中国人と日本人の感情の傷という面における、修復しようのない溝をも象徴しているのである」 (「日中戦争――感情と記憶の構図」 37頁)  
  中国人にとっては、「三十万」というのはまさしく「南京大虐殺」という感情の記憶の象徴なのだと、孫歌女史はいう。  
  「『被害者三〇万人』という一個の数字に拠って、中国人は日本人の間の友と敵とを確認する」 (同上)  
  象徴であれば数字としての正確さはもとより、事実であるかないかすら、問題とはならないであろう。

 だが一方の日本にとって、「南京大虐殺」とは何か。
 「日本の政府と右翼」を除く一般の日本人にとっては、南京大虐殺とは、なによりもまず事実、「具体的な歴史事件」である。「恥ずべき」という形容詞(もしくは価値判断、もしくは感情的ニュアンス)が付きはする。しかしあくまで事実であり、事実の記憶であろう。だから事実としての正確さが問題とされるのであり「三十万」という、中国側の唱える犠牲者の数に違和感を覚えることになるのである。民族の記憶ではあっても、感情の記憶ではない。
 中国側の公称数字である「三十万人」が、事実的な根拠において薄弱であることは確かである。秦郁彦『南京事件』(中央公論社、1986年2月)は、日本軍側の戦闘詳報や参戦者の日誌など(すなわち第一次史料)をもとに「具体的な歴史事件」としての南京大虐殺を探求した書籍であるが、そこで「三十万人」という数字についてこう評する。
 「南京市の人口二〇〜二五万、守備軍の兵力五〜一〇万と比較しても過大であることは明瞭である。/また数字の根拠を当たると、数少ない生存者の記憶による証言がほとんどで、故意にふくらませたとも思えず、被害者心理にありがちの誇張に由来するもの、と見当がつく」 (同書 214頁)
 確実な事実に即して南京大虐殺の実態を解明しようとし、犠牲者(一般人および捕らわれてから殺害された兵士)の数を4万±2,000人と算出した秦氏のこの著書の題名が、『南京事件』であるのは、日本人一般の「民族の記憶」からして、これまた象徴的であるといえる。 。

  しかしながら、「日本の政府と右翼」にとっては「南京大虐殺」は「恥」、すなわち感情の記憶そのものなのだろう。その証拠は「まぼろし派」の主張である。戦争そして戦闘のさなかに虐殺された中国人がひとりもいないなどということはあり得ないとするのが、理性的あるいは常識的な判断というものであろう。彼らは要するに日本という国の――あるいは日本人としてのおのれの――、恥を認めたくない一心で、いくら事実の証拠をつきつけられようと頭から否定するのであろう。彼らの脳裏にこの問題に関しては理性や常識というものが存在せず、感情しかないことの証左である。
  もっとも、実際のところは、「まぼろし派」の戦術はもうすこし手が込んでいる。中国側のいう「三十万」という犠牲者の数字が、事実による根拠が薄弱である点を突き、だから虐殺はなかったのだという論法を取る。ところが彼らはそれ以下の数字の根拠となる事実については無視する。一人でも非戦闘員(および投降後の兵士)を殺せば虐殺になるからだが、その点は避けて返事をしない。まともな論と称するには値しない、虐殺はなかったと最初から信じたい人間以外には通用しない論法である。
  なによりも銘記すべき事実がある。この裁判は名誉毀損の民事訴訟であって、南京大虐殺があったか否かを問う裁判ではないことである。
  しかし現実としてはそうなってしまった。たとえば東氏に反対する側の藤岡信勝氏は、一審直後に「『南京事件・従軍兵士の告白』は信用できるか」という文章を発表して、南京大虐殺そのものついて言及することは注意深く避けながらも、『日記』の信憑性を否定する形で間接的にその存在を否定した。敗訴した東氏の側は、判決当日に「この判決は南京大虐殺を黙殺するものとして、被害国中国をはじめとする各国の激しい批判にさらされ、日本の歴史認識と国際性が問われることは間違いない」という声明を公にしている。



中国のテレビ番組「実話実説」における水谷尚子女史の発言への著者の評価をめぐって

 「もしも、感情の尊厳を理解すると同時に、感情問題の複雑さを理解する能力を具えていたら、少なくとも人類史上の永遠の難題――復讐と正義の関係は、異なった方式で私たちの視野に入って来、また私たちの感覚体系に入ってくるだろう」 (「アジアという思考空間」19-20頁)。

 著者がこの中国中央電視台のトーク番組(1999年4月11日収録、同18・25日放映)における水谷尚子女史の言動を批判するのは、つまりは水谷女史が中国人の日本に対する感情記憶を理解していない、中国人が東史郎日記と裁判だけでなく中日関係史において共有する感情の問題の複雑さを理解する能力を具えていないからだ、ということになるだろう。
 この番組は、東史郎氏とその支持者たちにくわえて中国滞在中の日本人留学生をもゲストとして迎え、「彼らと(一般参加者の)中国人の間に在る種の対話関係を構築しようと試みた」ものである。「中日両国の一般市民、とくに普通の青年の戦争の記憶に対する異なる態度を明らかに示そうとした」のが、番組制作者の意図したところだったと、著者は説明する。
 ところが、同じく著者の説明によれば、出席した日本人留学生水谷尚子女史(中国近現代史研究者)は、「東史郎の殺人の体験に対する回想と懺悔、そして中国市民の戦争の記憶を巡って展開され、戦争の傷に関する回想こそがこの討論の真の主題であることは、誰の目にも明らかだった」にもかかわらず、導入部として用いられただけの『東史郎日記』訴訟に関する資料映像に拘泥した。女史は東史郎氏に対し訴訟の法廷における証言のあいまいさについて質し、次いでいまひとりの日本人出席者である津田道夫氏に向かって、日本人が戦争責任を反省していないという氏の言説は日本人を十把ひとからげにしていると批判した。水谷尚子女史はさらに、日本の教科書では中国侵略戦争および南京大虐殺の事実を教えている、日本の若い世代はみな戦争の歴史を理解していると主張したという。 著者はこの水谷女史の言動を「間違い」だとする。
 ひとつは、「南京大虐殺を単に敵と味方を弁別する記号として用いているに過ぎなかった」会場の中国人に対して、南京大虐殺の存在を否定するかという問いに答えなかったから。ふたつは、『東史郎日記』訴訟の判決書を読んだと「強調」したから。
 「このポーズは二つの意味を持つ。第一に、彼女は中国人の感情の記憶におけるシンボルの受け入れを拒絶するということ、中国人に残る感情の傷を出発点とした中国人との対話の進行を拒絶するということである。第二に、彼女の拒絶的な態度は、中日戦争史の『専門家』という立場に根ざしているということ、言い換えるなら、専門家にはこの種の感情記憶を歴史の真実)探求の障害と見なす資格があると、彼女が考えていることである」 (「日中戦争――感情と記憶の構図」 48頁)
 著者の立場、「無辜の良民を無差別殺戮したことこそ、南京大虐殺という歴史記憶における、最も核心的な部分である」(「日中戦争――感情と記憶の構図」39頁)からすれば――そしてそれは正しいだろう――、水谷女史の言動はまさに「間違い」にちがいない。
 しかし、水谷女史は南京大虐殺の事実としての正確さ、厳密さを問題としたのである。これは「専門家」として当然の態度ではなかろうか。
 しかも、感情記憶ではなく事実の記憶として南京大虐殺をとらえるのが日本人だとすれば、女史の言動はいっそう日本人として当然の反応であるということになりはしないか。

  ここで一般の日本人として私個人の見るところを述べるとすれば、日本人が歴史に面対する際の問題は、著者のいうような歴史をめぐる民族感情の複雑さにではなく、それ以前の次元に、歴史そのものへの無知に淵源するのではないかと思うのだが。
 「後に残されたものを理解するには罪を正確に記憶しなければならない」 (フィリップ・ゴーレイヴィッチ著 柳下毅一郎訳 『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実』上、 WAVE出版 2003年6月、20頁)

日中の二つの文化間で自己が引き裂かれる葛藤、アイデンティティーの問題

  「文化を越える立場というものは、二つの文化の間で発生するのではなく、一つの文化内部で発生するのだということ」
  「一つの文化内部に己の自足性に対する懐疑の生じた時に、初めて文化を越えるということが起こりうるということ」
  「自足した文化体系内部では実現し得ない自己否定と自己革新の契機を探求」  (「グローバリゼーションと文化的差異」 104頁) 

 代田智明氏は、ここで示されている、またこの書の全編を貫いている著者の立場について、「そこで形成され創出される主体は、自己の文化に足場を置きつつ、不断に流動化され、引き裂かれることになるだろう」と評した(「書評 孫歌『アジアを語ることのジレンマ』」『野草』第71号、2003.2.1、102頁)。
 私は、代田氏の、この書の「ほとんどが――一部は保留しよう――、日本文化圏の知識人が書いた評論と見まがう文脈性を備えている」とする意見に、その保留も含めて同意する。以下にもまた。 「つまり(著者は)日本の思想文化の背景と論壇の状況に、襞に分け入る感性を持っているということだ。むろんだからといって、著者が日本的な感性に同化しているわけではない。著者は、自らの中国という文化的土壌に根付いているし、根付かないではいられない。だからそこに、自己矛盾が、日中の二つの文化間で自己が引き裂かれる葛藤が生まれる。そしてこの特記すべき才能は、それを方法論にまで意識化していくのだ」 (同 100-101頁)
 たった今、私は代田氏の意見にその保留も含めて同意するとしるした。
 代田氏は、著者の、氏からすれば行き過ぎとも思える竹内好氏への傾倒に疑問を呈する。
  「著者が竹内に感化されるあまり、竹内の欠点まで受け継いだと言うわけではないが、竹内は『抽象化』と現実とをあまりに短絡して、言論によって媒介させようとした、評者には思われる。たとえば60年安保反対闘争において、運動を『人民政府の樹立』に向けようとした志向などが典型であろう」 (同 103頁)
 私は竹内好という思想家については暗い。だから代田氏のこの“保留”については評価する能力を持たない。ただ、みずからの乏しい竹内好読書経験から、代田氏とは違った角度で、著者の竹内好氏への評価は高すぎるのではないかと考えている。そして、それは、代田氏のいまひとつの保留にも関わってくる。
 1941年に書かれた『魯迅』において、竹内氏は有名な仙台の幻灯事件を「おそらく事実ではあるまい」と指摘した。近年の研究において、氏のその言葉が正しかったことが立証されている。結果からいえば慧眼というべきだが、しかしその結論は根拠にもならぬ根拠に基づくものである。
 「彼は幻灯の画面に、同胞のみじめさを見ただけでなく、そのみじめさに彼自身を見たのである。それは、どういうことか。つまり彼は同胞の精神的貧困を文学で救済するなどという景気のいい志望を抱いて仙台を去ったのではない」(講談社文芸文庫版、1994年9月、77頁)からだ、という客観的検証に耐え得ない想像にもとづく独断である。
 代田氏の、著者の立場に対するいまひとつの“保留”は、その“事実”軽視である。客観性への軽視と言い換えても良い。
 氏は、著者の、“自由主義史観”教科書についての言を取り上げる。「外圧に屈して検定手続きの民主制と言論の自由とを否定するのか」という「煽動的な口実」に対する著者の批判の箇所である。
 「この制度では、『言論の自由』という大義の下、歴史が自由に書きかえられる余地がある。〔・・・・・〕表面上中立な制度が何と巧妙に社会思潮のヘゲモニー勢力と迎合していることか!いうところの『民主制度』が何と矛盾もなく保守勢力ないしは極右勢力の利益を保障していることか!』/そこで上の引用は、たとえば右翼が語りそうなこんな言述と対称形をなしてしまわないか。『この制度では『言論の自由』という大義の下、天皇家を敬愛する日本人の歴史が書きかえられる余地がある。〔・・・・・〕表面上中立な制度が何と巧妙に社会思潮のヘゲモニーを握ろうとする勢力と迎合していることか!いうところの『民主制度』が何と矛盾もなく『進歩勢力』ないし左翼勢力の利益を保障していることか!』」 (代田氏「書評 孫歌『アジアを語ることのジレンマ』」 104頁)
 客観性の軽視は、ここではシステムの軽視となって現れている。代田氏がややグロテスクなまでに戯画化して突きつけた著者の立場の矛盾に、著者はどう答えるのだろうか。

 「それを許容する論理を、対象が異なるからと言って、言論の自由のためには、使用するわけにはいかない」 (代田氏、同上)
 ここで代田氏はあからさまに口に出してはいないが、著者の言説に仄見える、目的のためには手段を選ばないという姿勢に、危惧を抱いているように思える。
 「日本の民主的システムが歪んだものになっている現実は、その内部にいる評者が、皮膚感覚として感じていることだ。(略)民主主義とは、システムとともに、またそれ以上に、それを支える良識と行為が共同体になければ、何の機能もしえないものである」 (同 104頁)
 氏のこの言葉は、裏返せば、「それを支える良識と行為」が共同体にあれば民主主義は機能するということであり、氏は民主主義自体を否定しているのではないということである。さらに敷衍していえば、「言論の自由」を初めとする「民主制度」というシステムの問題は、システムそのものにあるのではなく、あくまでそのシステムを運営する側にあるのだと、代田氏は注意しているのである。
 ところが孫歌女史はそうではない。女史にとっては「検定手続きの民主制」や日本社会の「言論の自由」は、「巧妙に社会思潮のヘゲモニー勢力と迎合している」、「保守勢力ないしは極右勢力の利益を保障している」、「表面上中立な制度」にすぎない。つまり著者は、日本の「民主制度」を否定しているのである。  では人治がよいのかなどという低次元の揚げ足取りはしたくない。ただ、著者に確かめたい。
 つまりあなたは、正しい目的のためなら法は無視してよい、自分の反対者の言論は抑圧して良いといっているのか、と。  2の冒頭で引用した著者の言葉をいま一度引く。
 「もしも、感情の尊厳を理解すると同時に、感情問題の複雑さを理解する能力を具えていたら、少なくとも人類史上の永遠の難題――復讐と正義の関係は、異なった方式で私たちの視野に入って来、また私たちの感覚体系に入ってくるだろう」
 もし、著者が言うように「文化を越える立場というものは、二つの文化の間で発生するのではなく、一つの文化内部で発生する」というのであれば、この正義が中国人(中国文化)のそれであっても、それはもちろんかまわないであろう。だが、著者において、「文化内部に己の自足性に対する懐疑」は、はたしてこの際に有り得ているか。ここで、日本と中国二つの「文化を越えるということが起こり」えているか。
 日本の「南京大虐殺」に関する民族記憶を否定し、日本の民主体制を否定する著者の拠る足場(正義)はいずこにあるのか。すくなくとも日本側にはない。
 「中国と日本の知識人の間で真の対話を形成できるか否か、(略)そのメルクマールは戦争責任の問題について率直で有効な意見交換をできるかどうかであ」ると、著者は力説する。「そうした交流を通じて相互の思考を前進させることができるかどうかである」 (「グローバリゼーションと文化的差異」 114頁)
 まさしくその通りである。
 私は、私の見地であるところの「感情の記憶ではなく事実の記憶として南京大虐殺をとらえるのが日本人だ」を、絶対の正答とするつもりはない。
 だが、日本と中国の「南京大虐殺」の違いに思いを馳せず、中国人の「南京大虐殺」を理解しそのまま受け入れないというだけ理由で、たとえば中国人の「南京大虐殺」という感情記憶(念をそして置くが事実としての南京大虐殺ではない)を、歴史研究者という「専門家」としてそのまま受け入れることを拒んだ水谷尚子女史を間違っていると断ずる著者の、一方的な――中国人の価値体系のみに左袒した――姿勢には、すくなくともこの局面に限って言えば、「自足した文化体系内部では実現し得ない自己否定と自己革新の契機を探求」する姿勢など微塵も感じられない。
 著者は、水谷女史の「率直」さを「有効」でないがゆえに「間違い」とした。「有効」とは、日本人が中国人の感情記憶を理解するだけでなく無条件に受け入れることなのであろうか。  さらにいえば、日本人に「検定手続きの民主制」や日本社会の「言論の自由」は、「巧妙に社会思潮のヘゲモニー勢力と迎合している」、「保守勢力ないしは極右勢力の利益を保障している」、「表面上中立な制度」にすぎないという著者の見地に同意することなのか。
 たとえば著者は、一般の中国人の感情記憶に対するに、日本人のなかでも少数派である日本の政府と右翼の――それも特殊な少数派であると、一般の日本人のひとりとしてはっきり言わせてもらう――感情記憶を対置した。これは控えめに言っても妥当な比較ではない。正当でないとさえ、いってもいい。
 著者が自身の文化の感情記憶に偏したあまり、日本の実態分析において冷静さを欠いたきらいはそこにはないか。


普遍性ということ

 「西洋の理論を一種普遍的なモデルとし無媒介で無限定にそれを応用することを避け、また本国の理論的資源の特殊性を強調するあまり近代性の議論に入らないといったことも避け、両者を必ず研究と思考の視野に入れて基本的視点と限界意識とを形成する」  「しかしこうした視点は未だ確立されておらず、両面作戦をとりながら自己の思考を展開していく以外にない」 (「グローバリゼーションと文化的差異」 108頁)。

 「(ヨーロッパでは)止まりきりになることは絶対にない。理性、自由、人間、社会、みなそうだ。おそらく進歩という概念は、このような運動のなかから、自己表象として飛び出してきたのだろう」  「私にとって、すべてのものを取り出しうるという合理主義の信念がおそろしいのである。合理主義の信念というより、その信念を成り立たせている合理主義の背後にある非合理な意志の力がおそろしいのである。そしてそれは、私にはヨーロッパ的なものにみえる」  (竹内好『近代とは何か』より)

  日中いずれの文化の裡から発するにせよ、両者を越える立場というものは、双方を等しく相対化する必要がある。そしてそのために、どちらでもない視点を必要とするはずだ。双方からの等距離を確認確保するうえで、第三の座標軸を必要とするはずである。日中どちらでもない尺度による精神の座標を定めてこそ、両者から精神的な等距離を計り保てるだろう。
 ところが著者にはこの第三の座標軸がない。置く必要も感じていないようである。著者の念頭にあるのは、日中双方のそれにどう折り合いをつけるかだけのようだ。
 私がこの稿の冒頭で危うい綱渡りと称したのは、まさにこの所以である。これを持たないがゆえに、著者は今見たように、日中の両文化の潮目を縫っているつもりで立場がいつの間にか自文化のほうへ吸引されるのではないか。 第三の座標軸はどこに置くべきだろうか。それは人類共通の普遍的な視点以外にありえないであろう。だが普遍的な価値観というものはあるのか。
 著者はどちらかといえば存在に否定的なようである。すくなくとも懐疑的である。
 いま、著者の高く評価する竹内好氏の発言を引用した。また、西洋の近代化理論受容には“限界”を設けるべきだという著者自身の言葉もまた。これらはすなわち、理性への不信の表明にして、さらには個人の自由と尊厳に限界を設けよということに同義である。ここから一歩進めば非合理主義、個人の自由と尊厳の軽視もしくは無視となるだろう。著者の思考の中に、すでにその兆しが芽生えてはいまいか。

  ここで著者にひとつ問いたださねばならないことがある。代田氏が指摘した「良識」をどう考えているのかという点だ。  良識とは善悪の判断力の謂である。そしてそれは文化や民族に関わりなく万人に共通する感覚である。常識 common sense と言い換えてもいい。民主主義システムの悪しき結果を取りあげて即民主主義自体を悪として否定する(としか思えない)著者の短絡した思考には、すくなくともこの箇所においては、論理以前の常識があるとは思えないのである。
  9月11日に米国で同時多発テロが起こった直後、オリアーナ・ファラーチは、『The Rage and the Pride』を発表し、そこでイスラム教は本質的に全体主義であり個人の自由と尊厳を憎悪しこの世から抹殺しようとする教えであり、人類の敵であると激烈に批判した。
  「こんな体制が、自由や民主主義や、文明といった私たちの原則と共存できるというのか。彼らを、寛大やら寛容やら慈愛やら理解やら多元主義やらの名のもとに許せるというのか」 (Oriana Fallaci, The Rage and the Pride, Rizzoli International Publications, NY, September 2002, pp.126-127)
  ファラーチ女史は、カブールでは美容室に行っただけで女性が死刑になる、このような非人間的な体制は、自分は個人としての怒り rage と人としての尊厳 pride をもって否定するという。
  この立場に同意するのは、西洋価値観至上主義に目を曇らされているということになるのか。
  常識もまた文化によって異なるか? アフガニスタンの女性は、髪をセットしたという罪でおとなしく殺されていればよいのか? 他文化の人間は黙って見ていればよいであろうか? アフガニスタンもアジアだが?


 私は、西洋の価値観が即普遍的であると主張しているわけではない。
 竹内好発言に「ヨーロッパ的なもの」として挙げられた合理主義、もしくは「理性、自由、人間、社会」(の重視)が、人類普遍の価値観ではないと断定できるという論拠もまたないということを言いたいのである。
 それどころか、そのような論拠を探し出すのは、極めて困難であろうと思う。
 もっとも、孫歌女史はそこまで言い切ってはいない。  あるいは孫歌女史は、そこまで脚を踏み出すのにいまだ躊躇しているのかもしれない。「日中の二つの文化間で自己が引き裂かれる葛藤」を「方法論にまで意識化していく」格闘を続ける途中の、「自己矛盾」を抱えた著者に、そこまでの一貫性を求めるのは時期尚早なのかも知れない。
 論理より感情を優先せよというのは、ひとつの立場である。
 だが著者にあるのが、情緒、しかも民族単位のそれのみのようであることに懸念を感じるのである。
 著者は、もし中国国内の問題を中国の法廷で解決しようとする中国人が、日本の「世論の圧力を利用して、国内における闘争の勝利を図った」としたら、やはり東史郎氏に対して行ったと同じ賞賛をその中国人にたいして行えるだろうか。
 さらに著者はまた、以下の一日本人の感情記憶に耳を傾けることができるだろうか。

 「ナショナリストたちは、自虐史観で日本人は誇りを失ったともっともらしく言う。祖国のために戦った英霊たちを、戦後の日本人は犬死にだとずっと愚弄してきたと大仰に嘆く。バカじゃないか。天皇陛下万歳と叫びながら敵艦に激突した英霊たちを、僕は切ないくらいに愛おしいと思い、同時に馬鹿げた犬死にだと思う。二者択一ではない」  (森達也『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』、晶文社、2002年4月、65-66頁)
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(初出『藍 BLUE』総第11・12期、2003年9月)

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