東瀛書評
『新しい歴史教科書(市販本)』
(西尾幹二ほか著、扶桑社、2001年6月)
『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』
(谷沢永一著、ビジネス社、2001年6月)
3.
「『新しい歴史教科書をつくる会』の主張」はいう。「特に近現代史において、 日本は子々孫々まで謝罪し続けることを運命づけられた罪人の如くにあつかわれてい」る。それがゆえに、「日本は自国の伝統を生かして西欧文明との調和の道を探り出し、近代国家の建設とその独立の維持に努力」してきた“事実”を正しく伝えることが「歴史教育を根本的に立て直すこと」であり、そのために「新しい歴史教科書をつく」ることを「決意」したと。
つまり、ここから彼らの戦後の歴史教育についての「自虐史観」や、従来の歴史教科書の「非常識」という批判が具体的には何を意味しているのかが明らかになる。「『新しい歴史教科書』をつくる会」の以下の言は、とくに日本の近現代についての主張なのである。
「私たちのつくる教科書は、
世界史的視野の中で、日本国と日本人の自画像を、品格とバランスをもって活写します。
私たちの先祖の活躍に心踊らせ、失敗の歴史にも目を向け、
その苦楽を追体験できる、日本人の物語です。
教室で使われるだけでなく、親子で読んで歴史を語りあえる教科書です。
子供たちが、日本人としての自信と責任を持ち、
世界の平和と繁栄に献身できるようになる教科書です」 (改行はインターネット版にしたがった)
その意気やよしとすべきだが、すくなくとも近代以前についてはそうではないことをこれまで見てきた。そして、近代以降の部分にも基本的な事実についての誤りがあるし、意図的な歪曲もまたあるのである。
具体的な史実のあやまりは例によって谷沢氏の著書に譲る。多すぎていちいち列挙しきれない。 特筆したいのはつぎのふたつである。
1.日露戦争を日本の快勝であるかのような記述
たとえば、「東郷平八郎司令官率いる日本の連合艦隊は、兵員の高い士気とたくみな戦術でバルチック艦隊を全滅させ」(『新しい歴史教科書』222頁)たと書いてある。
これは見過ごしにできない重大な誤りである。谷沢氏も指摘している(『『新しい歴史教科書』の絶版を勧告する』219 - 220頁)。
確かにバルチック艦隊は結果として全滅したが、やっと勝てたのである。僥倖といってもいい。事実は途中で日本側が(つまりは東郷司令官が)致命的な判断ミスをして、あやうく敵艦隊を逃すところだったのである。この教科書の記述は戦後に海軍が発表した“大本営発表”そのままである。日本陸軍参謀本部は日露戦争後に戦史を編纂したが(『日露戦争』)、ここで「海軍首脳部はこの一件をひた隠しにした」、「そうしなければ日本海海戦の作戦行動のミスが表沙汰になるということで、当時の日本海軍はそのようにしてしまったのである」(『新しい歴史教科書』の絶版を勧告する』220頁)。『日露戦争』の原本は私も見たことがないが、現在は桑田忠親・山岡荘八監修『日本の戦史 日露戦争上下』(徳間書店、1994年5月)となって内容をコンパクトにまとめたものがでている。それを読んでもこの失敗については言及されていない(同書「補章 日本海海戦」)。
隠した結果どうなったか。日本と日本人はペリーの来航と日米和親条約締結以来、あるいは井伊直弼の日米修好通商条約締結以来の欧米恐怖症からやっと逃れられたのはいいが、今度は万邦無比の強国になったという勘違いを起こして国際社会での配慮を欠き、次第に世界で孤立していくのである。そのそもそもの原因は、海軍そして陸軍が、日露戦争は惨勝であったという事実を国民に告げなかったところにある。日露戦争後の日本人の愛国心の高揚はこの嘘に基づいたものであった。
この教科書の執筆者たちはそれで良いと思っているらしい。嘘でも何でも愛国心の涵養に役立てば。
嘘といって悪ければ事実の隠蔽である。与謝野晶子の「君死に給うことなかれ」を、日露戦争の反戦歌ではないと記述する(『新しい歴史教科書』335頁・これも谷沢氏同著227
- 228頁に指摘あり)のもこの伝である。日露戦争は国民が一致して愛国心に燃えて迫り来るロシアとたかかった祖国防衛戦争であるとするためである。この点に関し、その前の日清戦争の勝因として、日本側の軍隊の精度、規律、兵器の優越としたあとで、「その背景には、日本人が自国のために献身する『国民』になっていたことがある」(218頁)とわざわざ書いているのも、明治維新後、日本は国民国家となり、国民はみな愛国心を持つようになったという主張にあわせるためであろう。愛国心の発動による、しかも祖国を守るための闘いであり(つまり侵略戦争ではない)、だから正当であるという結論に持っていくつもりであるらしい。だから、根拠もなしに日清戦争時の日本人が国民になっていたなどと断言するのである。そうでなければすべての議論がなりたたなくなるからだ。
ところで、「国家に献身する」とわざわざ特筆大書しているところからして、この箇所の筆者および「つくる会」は、これを中学生に教え、そのとおりにせよと言うつもりであることは間違いない。だったら日清戦争と日露戦争での日本人兵士死傷者の数もちゃんと書いておくべきではないか。「国家に献身する」とは、国家のために死ぬということまで含むとはっきり読んだ者が理解できるようにだ。「つくる会」の主張から判断して、当然の主張だとおもうし、また、それでこそこの本を読まされた子供たちも御国のために我が身をささげる覚悟が決まるというものだ。彼らの主張のとおり、この教科書が「子供たちが、日本人としての自信と責任を持ち、世界の平和と繁栄に献身できるようになる」ようにするためのものであるのであれば、もし戦争が「日本人の責任」上必要であり「世界の平和と繁栄に献身できるようになる」のであれば、子供たちは喜んで戦争に行かねばならない。そして戦争では人は負傷するか死ぬ。これは「つくる会」にとって望ましい事態のはずだ。ならばどうしてはっきりとそう言わないのであるか。それともそこまではっきりいうのは何か憚りでもあるのか。
ひとつたずねるが、書いたご本人達は一朝事ある際には先頭に立って範を垂れるのでありましょうな。その覚悟はもちろんおありであろう。自分はする気がないが他人には強制するなどということは決してないはずである。だから、戦争とまでいかなくても、検定で内容に変更させられそうになったり、隣国から批判されたりしたら、すべて事実で正しいのである、一行なりとも内容変更まかりならんと断固として拒否反駁されよ。出版社が放火されたぐらいで大げさに記者会見など開かれるな。できたら、検定反対、隣国の批判への抗議のしるしに集団で割腹自殺ぐらいして国を思う自己犠牲ぶりを発揮してみせれてほしい。そうすればあなたがたの主張が口先だけではないことが証明されるであろう。
2.第2次世界大戦の真珠湾攻撃が宣戦布告なしで行われたことを記述していない(『新しい歴史教科書』276頁)
日本と日本人が卑怯なことをしたことは事実でも「日本人の誇りを失わせるもの」だから隠すというわけであろうか。
もし必要ないと考えて記述しなかったのなら、すくなくともこの箇所の筆者には教科書を書くセンスどころか歴史に関するセンスは全然ない。(日露戦争後から第2次世界大戦までにいたる記述がきわめて平板な事実の羅列で、事態を推移させた背景がさっぱりわからないのは、このせいであろう。)
274頁に、「経済封鎖で追いつめられる日本」という小題が掲げてあって、“ABCD包囲網”のことが書かれてある。そこから真珠湾攻撃にいたるまで、珍しくわかりやすい(原因と結果の因果関係がはっきりしているという意味で)筆致である。長いが引用する。
「日本は石油の輸入先を求めて、インドネシアを領有するオランダと交渉したが断られた。こうしてアメリカ(AMERICAのA)・イギリス(BRITAINのB)・中国(CHINAのC)・オランダ(DUTCHのD)の諸国が共同して日本を経済的に追いつめるABCD包囲網が形成された。1941年春、悪化した日米関係を打開するための日米交渉が、ワシントンで始まった。日本はアメリカとの戦争をさけるため、この交渉に大きな期待を寄せたが、アメリカは日本側の秘密電報を傍受・解読し、日本の手の内をつかんだ上で、日本との交渉を自国に有利になるように誘導した。
7月、日本の陸海軍は南部仏印(ベトナム)進駐を断行し、サイゴンに入城した。サイゴンは、アメリカ領のフィリピン、英国領シンガポール、蘭領インドネシアのすべてを攻撃できる、軍事上の重要地点だった。危機感をつのらせたアメリカは、7月、在米日本資産の凍結と対日石油輸出の全面禁止で対抗した。米英両国は大西洋上で会議を開き、両国の戦争目的をうたった大西洋憲章を発表して結束を固めるとともに、対日戦を2,3ヶ月引き延ばすことを決めた。
日本も対米戦を念頭に置きながら、アメリカとの外交交渉は続けたが、11月、アメリカのハル国務長官は、日本側にハル・ノートとよばれる強硬な提案を突きつけた。ハル・ノートは、日本が中国から無条件で即時撤退することを要求していた。この要求に応じることが対米屈服を意味すると考えた日本政府は、最終的に対米開戦を決意した」(274
-275頁)
まさか、ルーズベルトが事前に知っていたのにわざと日本から先に手を出させたという陰謀説や、日本の通知は遅れたのであって後からしたのであるから、真珠湾攻撃は卑怯ではない、だから宣戦布告しなかった事実は記述しなくていいという理屈ではあるまいな。
それとも日本は米国をはじめとする日本を敵視する諸外国にはめられた被害者だったといいたいのであろうか。そして、だから、第2次世界大戦で日本は悪くないというつもりなのか。
そうだとしたら、何という甘ったれた言い分であろう。日本の政府が無能で馬鹿だったから相手の策略に乗せられたのだ。むざむざ騙された方が悪いのである。そして同時にそんな政府を押し戴いていた日本国民が悪いのだ。
負けは負けである。結果はどうあれ努力したのだから評価せよとか、負けた後で相手が汚いとか何とかというのは敗者の泣き言である。しかも宣戦布告の通知が遅れたのは駐米大使館の職員の怠慢のせいではないか。責められるべきは此であって彼ではない。
第一、ABCD包囲網などというものは現実には存在しなかったのである。だから、これが日米戦争のそもそもの原因であるとするこの記述は、根本から間違っている。
秦郁彦氏は、ABCD包囲網は「実態の伴わぬ」イメージにすぎないと指摘している(秦郁彦著 『現代史の争点』、文藝春秋、1998年5月、166頁による)。事実としては1941年7月に米国が対日輸出禁止を実施し、その前後にあいついで他の三国の貿易も停止したので、経済封鎖を受けたと同然の結果にはなったが、これは“包囲網”などといえるものではなかったと、氏はいう。
「まず包囲というからには、四方か三方を囲まれたイメージになるが、当時、北方のソ連と日本は中立条約を結んでいた。西のC(中国)は日中戦争か五年目に入っていたが、蒋介石も毛沢東も奥地の山間部に追われ、日本軍が沿岸を封鎖していたから、包囲陣の一翼とはいえまい。残る南と東ではとても包囲網にならぬだろう」(同上)
つまり、日本は必ずしも絶対的に追いつめられていたわけではないのだといえる。まだ戦争以外の手でABCDを出し抜ける状況にあったということである。それが出来なかったのはこちら側の能力不足のせいである。つまり自分が悪いのだ。自分の無能が何で他人のせいになるのか。
それに加えてである、そもそも“ABCD包囲網”は当時の日本のマスコミの造語で、政府や軍の公式文書では一度も用いられた例はない(同上)。それと断るのならまだしも、あたかも当時の正式な語彙あるいは実態であったかのように、まともな教科書ではつかう言葉ではなかろう。
いま挙げた第1点も第2点も、これを「世界史的視野の中で、日本国と日本人の自画像を、品格とバランスをもって活写」し、 「私たちの先祖の活躍に心踊らせ、失敗の歴史にも目を向け」たものといえるのか。これはごまかしと嘘による日本の歴史の美化である。
(ここまできて思い出したから、話が逆戻りするが書いておく。この教科書は天明の飢饉(1783 - 1786・江戸時代)の事を書いていない。日本の歴史上における代表的な大飢饉といわれるこの飢饉において、東北地方では人口が3分の1にまで減少した土地があり、さらには食人が行われた地域さえ出現した。そしてこの飢饉の原因は、天候不順にくわえて各地の領主の無策によるものであった。これは後世の日本人にとって永遠に伝えられるべき“先祖の苦楽”の苦であり、“失敗の歴史”ではないのか。それとも人を食った事実は、“品格とバランス”の取れた”日本国と日本人の自画像”の“活写”に差し支えるから無視したか?)
最後に、長谷川慶太郎・鷲田小彌太著 『21世紀の世界を探る』 (学習研究社、1992年4月)の、鷲田氏の発言を引用しておく。これは当時の状況について述べたものだが、10年近く経った今日でも通用する内容であることが、今回の『新しい歴史教科書』という実例によって証明された。
「(歴史)教科書は、日本主義者というか、民族主義者というか、(略)勉強してないから、(略)つくってみたらこれが欠陥だらけなんです」
事実を隠したり、嘘をついたりしなくても日本人として誇れる歴史は書けると思うのだが、「つくる会」のひとびとは、そうはおもわないらしい。それに、戦争の勝ち負けが何よりも大事らしい。それからである、国の歴史イコール政府の歴史だと思っていないか?
(2001/9/4) |