東瀛書評

『新しい歴史教科書(市販本)』
(西尾幹二ほか著、扶桑社、2001年6月)
『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』
(谷沢永一著、ビジネス社、2001年6月)

2.

 「冷戦終結後は、この自虐的傾向がさらに強まり、現行の歴史教科書は旧敵国のプロパガンダをそのまま事実として記述するまでになっています」(「『新しい歴史教科書をつくる会』の主張」、インターネット、同会のホームページ、平成9年1月30日設立総会「趣意書」)

「戦後の歴史教育は、日本人が受け継ぐべき文化と伝統を忘れ、日本人の誇りを失わせるものでした。特に近現代史において、日本は子々孫々まで謝罪し続けることを運命づけられた罪人のごとくにあつかわれています」 」(同上)

「私たちはひとつのイデオロギーに囚われるものではなく、イデオロギーに囚われた従来の一切の単調な歴史に反対するものである」(『新しい歴史教科書を「つくる会」の主張』、西尾幹二編著、徳間書店、2001年6月)

 上掲3つの引用文の原典のうち、最後の書籍に付録としてつけられた韓国や中国の批判や、扶桑社のそれをふくむ日本の教科書への修正意見を見ると、彼らの主張もまた自国の愛国主義(日本を理も非もなく悪者にする考え)からするもので、かならずしも真実を追究するためのものではないことがわかる。
 たとえば、「資料3 教科書問題に関する中国側よりの申し入れ(先方よりの『覚書』」(同書110 - 117頁)に、『新しい歴史教科書』の、東京裁判の正当性に疑義を呈した、「この裁判は、九か国条約や不戦条約に違反したことを根拠にしていたが、これらの条約には、それに違反した国家の指導者を、このような形で裁判にかけることができるという定めはなかった」、「また、『平和に対する罪』は、自衛戦争ではない戦争を開始することを罪とするものであったが、こうした罪で国家の指導者を罰することも、それまでの国際法の歴史ではなかった」という記述を、東京裁判が始まったあとの1946年12月に採択された国連総会第95(I)号決議や、1951年の「サンフランシスコ平和条約」第11条に規定があるから間違いであるとしている。それまでの法律にないからおかしいという意見に、後の法律にあるからいいのだというのである。――日本は罪刑法定主義であり、事後法は禁止されているが、中国はそうではないらしい。
 それはともあれ、ここに限って言えば、中国の負けである。後の法律にあると主張するということは、前には無かったと認めていることになるからである。中国の言い分は、『新しい歴史教科書』がしていると彼らが主張する事実の歪曲すらようしない、低次元のいいがかりである。 たしかにこんな没理論的ないちゃもんは聴く必要はないであろう。
 しかしながら、この東京裁判についての記述と主張をのぞき(これとて私は全面的に同意しているわけではない)、従来の歴史教育、歴史教科書の内容のどこが学問的にどうおかしいのか、冷静に指摘し論破すべきところが、かれらの作成した問題の教科書をみると、その主張には実証がともなっていない。
 それどころではなく、『新しい歴史教科書』には、歴史的事実と異なる記述までなしてこの目的を達成しようとしているところがある。
 これは、第1章で指摘した「筆にまかせてみだりなことをよく調べもせずに書」いた、あるいは「単なる無知、もしくは調べるのが面倒結果として間違った」単純な事実関係の誤りのことではない。今回論じるのは問題は、「こうあって欲しかったという希望」のために、無意識に、あるいは意識的に「意図的な歪曲」を行っている場合である。じつは、この教科書にはこれもまた認められるのである。というより、問題にすべきはこちらである。彼らは彼ら自体の主張と裏腹な、そして批判対象とおなじ行動を行っているからだ。  

 こうであるという事実よりもこうあるべきだという理念を優先させるという思考形態は、とりもなおさず、何らかのイデオロギーに囚われているということを示す。
 書籍『新しい歴史教科書を「つくる会」の主張』にある西尾氏の発言を見ていると、ひとつ気がつくことがある。日本の歴史教科書、あるいは歴史教育の自虐性(氏のここでの言葉では「非常識」)は、もっぱら日本の近代そして現代に向けられたものであるということである。
 氏の「まえがき―目指したのは常識の確立」において、氏がもっぱら「非常識」の実例として挙げるのは、「日露戦争といえば公徳秋水の非戦論」を必ず揚げ」、「与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』で現代風の反戦平和主義をうたい上げてきた」これまでの歴史教科書が「明治時代の歴史になっていない」と批判する。そして、自分たちの教科書では「日露戦争の前に小村寿太郎が書いた『小村意見書』をまず取り上げる」とし、その理由として、「日本の近代がいかに困難な選択の連続であったかを」子供達に考えてもらうため、としているのである。その延長として、第2次世界大戦があるといいたいらしい。らしい、というのは、西尾氏も、「つくる会」の趣意書も、明言していないからである。ともあれ、それをわからせないのがこれまでの歴史教科書であり、自虐史観であり、冒頭で挙げた、 「戦後の歴史教育は、日本人が受け継ぐべき文化と伝統を忘れ、日本人の誇りを失わせるものでした。特に近現代史において、日本は子々孫々まで謝罪し続けることを運命づけられた罪人のごとくにあつかわれています」 という「つくる会」の発言になるのであろう。先ほどの、東京裁判批判もその具体的な現れと考えていい。

 これで、彼らの『新しい歴史教科書』が近代以前になぜ基本的な誤りが特に多いかがわかる。
 1で挙げた誤りの実例―正確には谷沢氏が挙げた誤りの実例だが―をいまいちど見て欲しい。彼らは、元来、近代以降に関する日本の歴史教育と歴史教科書の内容だけしか興味がなかったのであろう。当然知識も近代以降に限定されていた。したがって、さて実際に教科書を作成する段になって急遽にわか勉強したのではないか。すくなくとも彼らの教科書を見た限り、その基本的事実についての知識のあいまいさからはそう判断せざるを得ない。
 ここで谷沢氏の助けを再び借りる。  氏は『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』は、『新しい歴史教科書』の邪馬台国に関する記述のいい加減さを徹底的に批判している。(ただし、谷沢氏が「魏志倭人伝」を全く信用できないとして頭から退けている点は同意しないが。)
 『新しい歴史教科書』は『三国志』の魏志倭人伝を紹介したうえで、邪馬台国について触れ、さらに、
「魏志倭人伝を書いた歴史家は、日本列島にきていない。それより約40年前に日本を訪れた使者が聞いたことを、歴史家が記していると想像されているにすぎない。また、その使者にしても、列島の玄関口にあたる福岡県のある地点にとどまり、邪馬台国を訪れてもいないし、日本列島を旅してもいない」(33頁)
 と書いているが、谷沢氏の批判はこの部分についてである。
「これはウソであり、妄想であり、欺瞞であり、出鱈目である。四十年前に来た使者は何人連れで名前はなんというか。如何なる用件ではるばるやってきたのか。日本にどれくらいの日時滞在したのか。彼らが来たという証拠は何処に残っているのか。以上の大切な情報をぜひ教えていただきたい」(『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』87頁)
 『新しい歴史教科書』の中国の使者が日本の福岡県のある地点にとどまったという記述は、どうやら白鳥庫吉氏の論文「倭王卑弥呼考」に依拠しているらしい。白鳥氏は、魏の使者は伊都国までしか実際には行っていない旨、主張されている。しかしこの主張は、もとは『魏志倭人伝』の里程表記が伊都国までとそれ以後で異なっている事実を説明するための、氏の仮説にすぎないのである。直接証拠などどこにも存在しない。いわば当てずっぽうである。市井の一庶民が証拠も無しに当てずっぽうを口にすれば、誰も信用しないであろう。ところが、権威ある学者の当てずっぽうなら信用するのであろうか。
 冗談はさておき、彼らが(すくなくともこの箇所の執筆者が)原史料にあたっているかいないかが、これで分かる。原史料に何が描かれ、何が書かれていないかを知っていれば、そのうえにたつ論理と根拠のないたんなる仮説・憶測とをたちどころに区別できるからである。
「『新しい歴史教科書』の執筆者は、歴史についてはど素人の集団なので、そのあたりの区別がつかなくなって迷走している」(『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』同書88頁)
 という谷沢氏の意見は過激な措辞ではあるが、たしかに肯綮に当たる。

 近代以前に関して、『新しい歴史教科書』の記述における顕著な特徴は、通説をふまえていない自分勝手な史料や事実解釈が多いことである。これはつまり、1でも引用した「歴史を学ぶとは」の言葉を借りれば、「いったいかくかくの事件はなぜ起こったか、誰が死亡したためにどういう影響が生じたか」(7頁)というレベルの話である。専門家によるこんにちまでの研究が明らかにしてきた周辺の事実を知らない、あるいは無視して恣意的な論を組み立てている。理由が前者であれば基本的事実の間違いとあわせて、これは彼らのこれらの時代についての基本的な素養の不十分であることを証拠立てているし、後者であるならさらに悪質である。意図的な嘘をついていることになるからだ。
 同書56頁に、公地公民制と班田収受法の紹介がなされているのだが、おどろくべき奇説が書いてある。
「耕地の支給を受けた公民は、租・庸・調(原文太字)という税の義務を負った。税は、かなりきびしい内容のものだった」
 ここまでは通常通りの説明である。そのあとである。 「しかし、多数の農民に一様に平等の田地を分け与え、豪族の任意とされていたまちまちの税額を全国的に一律に定めたこの制度は、国民生活にとって公正の前進を意味していた」
 徳間書店刊『新しい歴史教科書を「つくる会」の主張』の西尾氏も「まえがき」の冒頭で、わざわざこの制度の良さと、自分たちの教科書で取り上げかたの重要性を力説しているから、よほど重視し、またその解釈に自信をもっているのだろう。
「従来の教科書は『ひたすら農民は悲惨だった』という一面ばかりを異常なまでに強調したが、権力は常に悪だという階級闘争史観の、歴史教科書だけに残っている時代遅れの観念である」(同書4頁)
 班田収受法の施行以前、税額はたしかに「豪族の任意とされていた」であろうが、それが班田収受法の税額より高かったという証拠はあるのか。税が重くなっては「ひたすら農民は悲惨」であって、平等に田地を分け与えられようとその結果公正が前進しようと意味はない。

(ここで念を押して置くが、「つくる会」の主張が通説どおりでないからけしからんといっているのではない。通説と違うのであれば、論拠と証拠をしめして通説の誤りを指摘せよといっているのである。もちろん、教科書は研究論文ではないからそこまで詳しくは書けないであろう。それでも主要な根拠と論理を示すべきであるし、せめて別の機会をとらえてきっちりと自説を展開すべきであろう。たとえばこの徳間書店の書籍においてである。であるのにそれをしていないのはどういうことか。できないからであると判断せざるを得ない。)

 日本の班田収受法は唐の均田制を範に取ったものだが、調庸などの成人男子の人頭税とは無関係に,老幼男女を問わず,また賤民をも含めて口分田を班給した。そして、養老令の記載によれば、6歳以上の戸籍登載者を対象として,男子2段(当時の1段は約12a),女子1段120歩(1段=360歩),賤民男子240歩,同女子160歩の基準によって口分田(くぶんでん)を算出し,戸ごとの合計額を戸主に対して班給した(『世界大百科事典』第2版DVD版、平凡社、「班田収受法」項、虎尾俊哉執筆による)。これはモデルとなった均田制にもない。均田制では「唐では調庸を負担する自由民の成年男子給付として口分田を支給するのが大原則であった」(同上)。過酷な制度である。均田制では成人、すなわち19歳以上を徴税対象としたのにたいして、日本では6歳以上の子供から税金を取った。これを過酷といわずしてどう言うのか。どう考えてもこの場合、「農民は悲惨だった」という「階級闘争史観」の通説のほうが正しい。
 しかも均田制では奴婢(賎民)は給田の対象外としたが、日本ではそうではなかった。権利を与えられていない者に義務だけを課す国家を公正といえるのか。それとも賎民は日本人ではないとでもいうのであろうか。しかもである、賎民制を制度として確立するのは、『新しい歴史教科書』や西尾氏が賛美する律令国家体制のもとなのである。権力は常に悪だとはいわないが、この場合悪と見なすべき要素のほうが大きい。

 すくなくとも、班田収受法にかんするかぎり、『新しい歴史教科書』と西尾氏の解釈は農民の立場に立っていない。では何の立場なのかといえば、それは「公」の立場だといいたいらしい。では「公」とはなにか。
 西尾氏は、「古代社会では中央集権、皇帝や天皇に権力をいかに合理的に集中させるかということが『公』を意味する」と述べている。また「それは、一般豪族たちに委ねられていた土地や人民を王権が取り上げて国家が公平に再分配する」ことであると説明している(同書3頁)。
 前の文章はいまひとつ意味がとりにくいが、「公」とは「中央集権」のことであり、中央集権とは「皇帝や天皇に権力をいかに合理的に集中させるかということ」だというのであろう。つまり、「公」=「中央集権」=「皇帝や天皇に権力をいかに合理的に集中させるかということ」という図式になる。そして氏がさらに敷衍して説明しているのが後の文章であるから、「公」はいまのべた等式のほかにもうひとつ、「一般豪族たちに委ねられていた土地や人民を王権が取り上げて国家が公平に再分配すること」でもあるという意味らしい。
 古代国家(王朝国家)は現代の国家ではない。古代国家では、国家とは文字通り「国の家」、すなわち王家のことにほかならず、後世の意味での国家を指すわけではない。そんなものは無かったからである。王朝があり、宮廷があったが、後世でいう国家はなかった。だから、現在の国民国家をさすわけでももちろんない。王朝国家では、国土も人民もすべて王・皇帝と一族の所有物である。日本の場合、各地に盤踞した豪族のなかでもっとも大いなる存在として天皇家が頂点にたつ過程で、その他の豪族が所有していた土地や人民をみずからのものした。これを中央集権という。この変化は、支配する側にとっては“合理的”でまことに結構ではあろうが、支配される側には関わりのないことである。
 つまりは所有権が移転しただけである。一般民とっては何の関わりもないし、変化もない。隣近所がすべて公平に土地を分配されても以前よりも思い納税の負担を掛けられては何のありがたみもないであろう。
 これをすばらしいというのか。西尾氏と「つくる会」のメンバーは、本心からこういう状態を「それそれの時代に特有」の「幸福」(『新しい歴史教科書』「歴史を学ぶとは」6頁)だと思っているのか。自分の身に引きよせて考えて見ればいいのだ。
 それとも、それまでの部族国家から統一国家へ進歩したからこれは正しい、だから当時の庶民は喜ぶべきであるというのであろうか。だとすれば、今日の常識で過去を裁断していることになる。それは、「(過去の)事実に原題の善悪の尺度を当てはめること」ではないのか。西尾氏と「つくる会」は、そういう態度を「歴史を考える立場からはあまり意味がない」し、従来の歴史教育と歴史教科書が「歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場」にしている点を鋭く批判し、そのためにそうではない教科書としてこの新しい歴史教科書』「を作成したのではなかったか。それとも従来、現在の価値観で過去を悪いと判断するのがよくないだけであるのか。よいと判断するのであれば、今を以て古えを量るのは構わないのか。なんというご都合主義なのであろう。単に通説にしゃにむに反対したいだけなのだと思われてもしかたがない。
 だいいち、氏は、現代と古代の「国家」の概念の違いを知らないのか。こんにちならば公(パブリック)に奉仕するのは崇高な美徳であるが、当時の「公」とはようするに天皇家一軒のためになることをするのが「公」である。政治とは天皇家の純粋な自家の都合による私的な領地と領民支配の謂いであり、繰り返していうが、いまの公(パブリック)の概念じたいが存在していなかった。当然国民のための政治など行われていなかったのである。それを氏は、知ってか知らずか曖昧にしている。もしいま述べたような内容を知らなかったというのなら、氏と「つくる会」にふたたび無知という評語を差し上げねばならない。それもおそるべき無知さ加減である。そうならば、何遍でもいうが、そんな物知らずで教科書など書くな。おこがましいのにも程がある。
 無知と嘘の上に乗った日本人の誇りなど、何の価値もない。厳密な研究とそれに基づく正々堂々とした論陣によって日本の歴史のすばらしい点を主張してこそ、日本人としての自信も湧くであろうし、責任感ももてるのだ。
 もし、知っていたとするなら、氏と「つくる会」はデマゴーグであるといわせていただくことにする。
 この記述では、現在の民主主義体制にける国家における「公」と班田収受法時代の王朝国家における「公」を同じものとして前者がこんにちもつ崇高さをもって過去の「公」とだぶる。そしてこんどは読者の持つ現代の「公」の意味へフィードバックして、現代の「公」とは天皇家への忠誠を尽くすこと、それが尊いのだと思う効果を持っているからだ。
 天皇家へ忠誠を尽くすべきというイデオロギーを持つのは個人の自由である。だが、それを他人に強制する、しかも詐術までつかうのは許せない。
 それとも、自分たちの主張の手段として都合のよい歴史が必要なだけで、厳密に正しい歴史などべつに求めてないからそこまで正確でなくてもよいというのであるか。それならば、教科書ではなくアジビラでも書いていればよいのだ。


(2001/8/18)
inserted by FC2 system