東瀛書評

『中国の知識人チベットを語る』
原題:『中国大陸知識分子論西蔵』
(曹長青編著、時報文化出版、台湾、1996年5月、251頁)

T 本書成立の背景
U 本書の内容
V 本書と本書の意義
W 編著者曹長青氏の略歴


T 本書成立の背景

 この書籍は編者である米国居住の中国人ジャーナリスト曹長青氏が1994年にニューヨークにおいて行ったダライ・ラマ14世とのインタビューが誕生の契機となっている。
 曹氏は、インタビューに備えてチベット関係の資料を広く調査した結果、米国へ渡るまでにみずからが中国で得ていたチベットについての教育や知識のすべてが、共産党と政府の漢族中心主義と愛国主義によって歪曲されたものであることを知って愕然としたのであった。その後、米国での文筆活動を通じて、曹氏はみずからと観点を同じくする中国国内あるいは海外居住の知識人の存在を知り、これらのひとびとにチベット問題の論考執筆を依頼して本書出版の運びとなった。
 本書の著者は編者も加えて14名を数える。そのなかには有名な反体制運動家の魏京生や北京人民大学の哲学の助教授である丁字霖および同大学教授の蒋培坤、1989年の天安門事件の学生指導者のひとり沈とう(在ボストン)および同じく天安門事件で国外へ逃れた厳家祺(在ニューヨーク)などがおり、そのほかチベット研究者の宋黎明(在ローマ)、作家の王若望(在ニューヨーク)などが含まれている。なおコロンビア大学のジェイムズ・セイモア教授が序文を寄せている。

U 本書の内容

 この書籍は、中国人学者・ジャーナリスト・作家による専論11本とダライ・ラマ14世とのインタビュー3本から構成される。
 専論部分の主要な論点は以下の2つである。

 1,チベットは中国大陸部を支配する共産党の指導者たちが主張するような「歴史的に中国領土の不可分の一部」ではない。それは歴史を虚心に見れば明らかである。

 2,チベット人は、世界のあらゆる民族と同じように自決あるいは独立の権利を有する。

 これらの2点について筆者たちの主張を要約する。
 1。チベットが「中国領土の不可分の一部である」との主張をかかげる中国共産党の指導者は、愛国主義・ショービニズムを至上の価値とする観点から歴史や現実を歪曲して宣伝している。さらに、彼らの頭には中国の歴史数千年を通して存在する中華思想(他民族蔑視と冊封体制)に基づく「大中国(大いなる中国)」感情が牢固として根を張っており、そのためにチベット人を蔑視し、また元来外国であるチベットを中国の一部をなす属国であるとしか見なすことができない。くわえて、この歴史的伝統が近代国家の主権概念と結びつき、チベットを中国の歴史的領土の一部分として主張することになっている。これは中国共産党の指導者のみならず一般の中国人(漢族)についてもいえることであり、これによって、現体制を支持するしないにかかわらず、こと領土問題に関する限り共産党や政府の主張が中国国民(特に漢族)によってそのままに認められる原因である。
 これが論理として誤っていることは明白だが、事実関係においても中国の主張は虚偽である。中国のチベットにたいする主権の主張の根拠となっているチベットの「宗主権」は、一貫して存在してきたものではない。唐代にはチベットは中国と対等の独立国家として条約を結んでいるし、宋代と明代には中国とほとんど没交渉である。元代には王朝の一部になってはいるが、これは中国がチベットにたいして主権を主張できる根拠とはならない。元はモンゴル人の征服王朝であって、チベットの主権を主張できるとすればそれはモンゴル人だからである。清代ではチベットは清の藩(属国)であるといわれるけれども、それは誤りで、礼制そのほかから判断すると清皇帝とダライ・ラマの地位は対等である。さらには、歴史的事実として、古代から清朝までの中国はチベットの内政にはまったく関与した事がない。民国時期にむすばれた条約によってチベットは対外的には形式的には中国へ従属することになったが、現実には中国はチベットを支配する力はなく、チベットは独立状態にあった。チベットが真の意味で独立を喪失して近代的意味における完全な中国の領土となるのは、1951年の中国人民解放軍のチベット占領と強制的な「十七条協定」の締結後である。
 2。あらゆる民族は自決権を有する。それはチベット民族であっても例外ではない。チベット民族の大多数が自治あるいは独立を希望すればそれを支持すべきである。チベット人民の意志を無視する中国共産党の軍事的支配は厳しく糾弾されるべきである。それを認めないのは、中国人(漢人)のチベット人への民族的差別感情である。

V 本書の意義

 本書の意義は、曹氏によれば、この書の内容はもちろん「大中国」感情の否定を中国人(漢人)が公的な形式で行うこと自体が中国の歴史上、そして文化的にも驚くべき事件であるところにある。ちなみに、共著者の全員が漢族である。
 本書で曹氏がいうように中国人(漢人)の「大中国」感情は、漢人にとっては自明の理であり論証不要の正義である。「大中国」感情とはすなわち「大一統(統一を大ぶ)」思想であり、これは紀元前2世紀の董仲舒が著した『春秋繁露』 以来、中国の歴史に脈々と受け継がれてきた概念である。この「大一統」という言葉は現在においてさえ生きた言葉であり、たとえば中国両岸のジャーナリズムで台湾独立問題やチベット・ウイグル・モンゴル問題といった国家の分裂統合に関わる話柄を語るときに、論者によって事態の根本的原因を表現する重要なキーワードとして頻繁に使用されている。(注1) 2000年連綿として持続してきた強烈な歴史的伝統に最初に異議を申し立てた存在として、この書籍の歴史的な意義は大きい。チベットの分離独立はおろか、新疆ウイグル自治区、そして台湾の分離・独立になぜあれほど中国が拒否反応を示すのかは、合理的な解釈では説明しきれない。チベットの持つ中国にとっての地政学上の重要性や天然資源の豊富さがよく理由として挙げられるが、それを遙かに超える財政的・経済的損失をチベット援助によって中国は蒙っている。理性的に判断すれば、中国はチベットの独立を認めたほうがはるかに国家利益にかなうのである。(注2)それをしないのは、理由をもはや、感情的あるいは文化伝統による意識形態の範疇に求めるべきであろう。それがすなわち、「大中国」感情、ひいてはそれを支える「大一統」思想なのである。
 本書でも厳しく指摘されているが、漢民族の他民族に対する蔑視と差別は、いわゆる中国の民主化運動に携わる漢族人士も免れていない。彼らの多くは、漢人の自由と民主主義を求めるが、チベットの自治や独立には強硬に反対し、共産党の現在の政策を支持する。共産党中国はチベットの独立はおろかチベット人によるチベット自治を認める積もりはない。換言すれば、これら民主化運動陣営の人士は、チベット人の自由(民族自決)と民主主義は認めていないのである。(本書の編者および著者たちはその例外的存在である。連邦制中国における自治邦チベットを唱える厳家祺のほかは全員、基本的にチベット独立を支持する。)
 ただし、本書の筆者たちはチベット側の主張を無条件に支持しているわけではない。本書の全体としての論調は公正かつ冷静である。たとえば、筆者の一人宋黎明の論文にみられるように(「『十七条協定』を再評価せよ」)、チベット側にもみられる歴史の歪曲とその主張内容のご都合主義的な性格を指摘することも忘れられてはいない。
 この書の日本語訳の出版は、日本人にとってチベット問題のより深い理解に寄与するのはもちろんのこと、中国文化の重要な一要素となっている「大中国」感情と「大一統」思想を理解するうえで大いに役立つ。
 なお、個人的な感想として付け加えれば、論争時の中国人(漢人)がいかに激烈な言葉遣いを用いるかがよくわかって興味深い。魯迅の文章の激越さは彼個人の性格によるものでは必ずしもないことがよくわかる。さらに、学術書といってもよいこの種の書籍のおいてさえ、中国語(漢語)がどれほど修飾的である――あるいはならざるをえない――生理を持つ言語であるかを知るには恰好の書である。論理の構成よりも比喩の警抜さや格言の引用のほうが優先される気味さえまま見受けられるのである。

W 編著者曹長青氏の略歴

 1953年12月26日黒竜江省生まれ。1982年2月、黒竜江大学中国語学部卒業。
 1987年に『深せん青年報』が当局によって廃刊とされるまで、その副編集長をつとめる。1988年に米国へ渡り、89年に『新聞自由導報 (Press Freedom Herald)』を創刊、翌90年まで編集長。その後、コロンビア大学東アジア研究所客員研究員およびハワイのイースト・ウェスト・センターにある文化・交流研究所の客員研究員となる。研究対象は中国と米国の報道の比較研究。現在はフリーライター。1995年以降、香港の雑誌『解放』にエッセイを寄稿している。
 米国において中国と米国の政治・文化・報道に関して二百篇以上のエッセイや評論を発表。
 著書に『抗争的声音・・・・・・ケ小平時代的中国新聞』や、共著『詩的技巧』がある。
注1
たとえば、「”漢蒙蔵対話――民族問題座談会”紀要」(『北京之春』1997年11月、41-53 頁)、「達頼訪台是在両岸傷口上撒鹽」(『九十年代』1997年4月、42-43頁)、「江澤民落花有意、李登輝流水無情」(『九十年代』1997年10月、34-35頁)を参照。
注2
"Freeing Tibet is in China's Interest," Wall Street Journal, July 1, 1998.


(1999/7/21)

附記
この書籍は1999年10月、邦訳名『中国民主活動家 チベットを語る』(金谷譲訳、ペマ・ギャルポ監訳)として全訳が日中出版から出版された。(1999/10/26)
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