曹長青評論邦訳集  正気歌(せいきのうた)

ソルジェニーツィン氏を論じて体制と反体制に至る

原題: 「索爾仁琴向権力献媚」

『開放』2000年10月号に掲載/原文執筆 2000/9/22
(邦訳 2000/11/17)

訳者注。
日本語への翻訳にあたっては曹氏から送付された中国語原文に拠った。


 アレクサンドル・ソルジェニーツィン氏は、いうまでもなく旧ソ連における著名な反体制派人士であり、ノーベル文学賞重受賞作家である。
 そのソルジェニーツィン氏が、最近、ロシアのテレビ局RTRの取材を受けた際にKGB出身のプーチン・ロシア大統領を口を極めて賞賛した“事件”は、同国の知識人の世界に波紋を巻き起こした。
 この両者の対談について、ロシアのあるメディアは、「元反体制作家と元KGBの握手」と評している。
 KGBは、ソルジェニーツィン氏のソビエト市民権を奪い、個人として当然有するべき自由を奪った。それだけではない。同氏はそれ以前にはシベリア流刑となって8年間のラーゲリ暮らしを余儀なくされたのである。そのソルジェニーツィン氏が、「鋭敏な精神を持ち、理解力に優れ、そのうえ私利私欲による権力願望が少しもない」と元KGBのプーチン大統領を賞賛した。
 KGBはソ連共産主義体制を支える大黒柱であり、その目的のために存在した組織である。ソルジェニーツィン氏は、1974年にそのKGBによって国外退去の処分に処せられた。一方のプーチン大統領はこれとほぼ同じ時期にKGBに加わっている。(若き日のプーチン氏はKGBの存在を認め、その意義に賛成したのであろう。でなければ加入しないはずである。)
 それだけではない。つい先日起こったロシア潜水艦沈没事件をめぐってプーチン大統領の示した冷酷かついかにも官僚気質然とした言動は、ロシア国内だけでなく国際社会から激しい批判をまねいたのは記憶に生々しいが、このさなか、“ロシアの良心”ソルジェニーツィン氏は、プーチン大統領を批判することなく、かえってロシアのメディアにたいし攻撃の刃を向けた。“共産主義時代の官僚主義が生み出し、いままで生き残ってきた”権力構造であると非難を浴びせかけた。
 ソルジェニーツィン氏が故国への帰還を果たしたのは6年前のことである。ロシアに帰還した当初、ソルジェニーツィン氏はいかなる権力も自分は求めず、公職への就任や選挙への参加を一切拒否すると宣言している。さらには、氏はエリツィン・ロシア大統領(当時)が与えようとした勲章を拒絶した。このように氏は、これまで権力者と一線を厳しく画する姿勢を貫いてきた。
 西側世界での20年にわたる亡命生活の間、ソルジェニーツィン氏は共産主義と闘う英雄として自由世界で讃えられつづけた。氏がノーベル文学賞を受賞したのは1970年の昔であるが、今日においてさえ全世界が彼へ払う尊敬と崇拝の程度はいささかもおとろえてはいない。証拠の一例を挙げれば、3年まえにある米国の作家が『ソルジェニーツィン――独力で共産主義と闘った英雄――』という書籍を出版している。
 このわずか6年のあいだに、一体何が、反体制作家をして体制を賛美し擁護するという変化を起こさしめたのであろうか。

 表面に現れた状況から判断すれば、氏が体制側の優遇にみずからの思想的立場を軟化させたように見える。
 ロシアの報道は、問題の発言を行う前夜、プーチン大統領がソルジェニーツィン氏の住居を夫人とともに訪れ、ふたりは親しく語りあったと伝えている。このことに関して、ソルジェニーツィン氏の妻であるナターリア夫人の証言によれば、プーチン大統領はこの訪問に先だって3回、ソルジェニーツィン家へ電話をかけ、大統領と氏はロシアの状況に関して意見を交わしたそうである。そして、ふたりはこの対談の結果、これ以後も“交流”を続けることで同意した。
 これが、今年81歳のソルジェニーツィン氏がプーチンロシア国大統領(47歳)の“尊師”となった経緯であるが、ここでソルジェニーツィン氏自身の説明を聞こう。これは、あるテレビ番組のインタビューに答えたものである。
 氏はいう。自分とプーチン大統領の考え方は共通しており、「我々の精神は互いに通じ合うところがある」からだと。

 確かに、彼らには共通する点がある。両者ともに汎スラブ主義を主張し、“大ロシア国”の実現を目指している。両者ともにNATOと米国による世界支配を批判し、ロシアは西側と距離を保つべきであると考えている。両者ともに、チェチェン分離に反対し、弾圧すべきであると主張している。
 実を言えば、ソルジェニーツィン氏がこれらの思想を抱くようになったのは、6年前にロシアへ帰還を果たして以後ではない。氏は20年間の亡命生活の間中、一貫してこの意見を持ち続けてきたのである。
 氏は国外退去処分となってのち、米国に居を定めたのだが、米国へ到着しての第一声は、腐敗したアメリカ文化への罵詈罵倒と堕落した資本主義への呪詛だった。氏の発言は、氏を反共産主義者と見なしていた米国の支持者たちを唖然とさせている。
 氏は米国で過ごした18年のあいだ英語をまったく学ぼうとせず(ロシアへ帰国する際の記者会見では氏の子供が通訳をつとめた)、自分の住むアメリカ合衆国という国に関心をはらわず、知ろうともしなかった。
 さらに、同氏は亡命生活の長い年月のあいだ、“ソビエト社会主義共和国連邦”発行のパスポートを大事に持ち続け、この帰国直前の会見の席で、懐中から取り出してさも大事そうに披露し、集まった記者を仰天させている。
 これらから言えることは、20年の亡命生活のなかで、彼にとってもっとも大事であったのは自由な人間としての生活ではなく、「ソ連市民」であり続けることだったといってよいだろう。
 亡命中および帰国後のソルジェニーツィン氏の言動からうかがえるのは、氏は“反体制”作家ではあるが、同氏の“反体制”とは、共産主義とその体制がもたらした災難と悲惨に発せられたものであって、これらの母胎である、集団が個人に優越するであるという価値観に反対するものではないということである。
 ソルジェニーツィン氏がこのたびプーチン大統領に与し、歩みを共にすることになった理由は、まさにここにある。
 氏は、共産主義を生み出したこの考え方には反対ではない。それどころか、その支持者である。
 なぜならば、ソルジェニーツィン氏の基本的な立場はナショナリズムであるからだ。氏にとっては、人は富国強兵のために存在するのであり、個人の自由など氏は興味はない。この点からいえば、ソルジェニーツィン氏は、レーニンやスターリン、あるいはプーチン大統領のようなKGBの対立者ではないのである。

 このようなソルジェニーツィン氏的精神構造は、共産主義国家(元・現をとわず)の反体制派にはめずらしくない。
 たとえば、中国を例に取れば、海外亡命した反体制人士は祖国の共産体制を非難し不倶戴天の敵のごとくののしるが、ことが台湾やチベット問題、ウイグル問題になると、“国家の栄光と領土保全が個人の自由や尊厳に優越する”と、敵であるところの共産党とまったく同じ見地、同じ論法になる。なかには、共産党よりも一層過激に、独立主義者を武力で消滅させよとまで唱える輩までいる。じつにソルジェニーツィン氏的である。
 ミラン・クンデラというチェコの作家が、共産国においては被害者と加害者は容易にその役柄を換えることがしばしば起こるという内容の言葉を小説「送別会」のなかで書いている。まさしく正鵠を射た言であって、これは両者の精神の奥深く横たわる考え方が同一であることに起因する。それぞれが置かれた社会的地位や役割の差によって表面的に異なった現れかたをするだけである。 (ちなみに、中国の民主活動家のなかには、台湾・チベット・ウイグル問題において中国政府と類似した見解を示すのは、民主化運動へ中国民衆の広範な支持を得るためであるという説明をなす人々がいる。たしかに、いまだに報道の自由もなければ正しい情報もない中国では、大多数の人々は“大中国”の前には個人の自由と尊厳は犠牲にされて当然であると考えているかもしれない。)
 ともあれ、ソルジェニーツィン氏は、肉体だけでなく精神も最終的に“帰国”したのである。

 今回の一件に関してソルジェニーツィン氏は、同国のメディアからは冷淡な対応を受けた。 「(ソルジェニーツィン氏は)孤立しており、彼の政治的見解はほとんど何の反響ももたらさなかった」。これは、ある報道の引用である。
 氏の唱える“大いなるロシア”や反西欧の主張は、共産体制崩壊後の同国における知識人層からはきわめて冷淡な扱いを受けている。また、現在の一般大衆の間においてもソルジェニーツィン氏の人気は極めて低い。氏が帰国後にホストを務めたテレビのトーク番組は、視聴率の低迷の結果すぐ打ち切られ、氏が1998年に著した帰国後最初の著書は、初版5000部がいまだに完売していない有様である。
 この現実から、氏が国家権力の世界に友人を求めようとしたという見方も成り立ちうるであろう。
 今回の“反体制”作家と元KGBの“和解”が私たちに教えるのは、ある体制の背後にある思想の、さらに基盤となる価値観に反対しない“反体制”は、しょせんは同じ穴のむじなだということである。

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