曹長青評論邦訳集  正気歌(せいきのうた)

馬英九はどうしてこんなに馬鹿なのか
原題:「馬英九怎麼這麼蠢?」

台北『壱号人物』月刊2005年7月号掲載
(邦訳 2005/7/7)



 
最近、台湾の漁船が作業中に日本側の警告を受けて、漁業水域に起因する主権の争議になった。この海域の主権をめぐる争いは台湾と日本だけでなく、周辺のベトナム、フィリピン、そして中国にもある。東南アジアの海域および南シナ海にも同様の問題があるからだ。この種の紛争の原因は一つには歴史的な経緯によるものもあるが、これらの海域は幅が400海里に満たないため、中国と日本のそれのように200海里を排他的経済海域として設定している国家の間では他国と水域が重複して主権争いになる場合もある。  
  しかし歴史的な経緯によるものか、あるいは新たに設けられた200海里排他的経済水域によるものであるかを問わず、平和的な交渉によって解決を目指すのが各国の基本的な態度である。この地域で新たに大国として台頭してきた中国も、経済や貿易上の原因によって、水域主権の紛争に際しては強硬な姿勢を次第に放棄してしばらく棚上げにするという現実主義の立場を取るようになった。中国は昨年末、ASEANと「南シナ海行動宣言」に署名し、それまでの強硬な立場を放棄してASEANの提唱する多国間協議方式による解決を受け入れている。また昨年には、「東南アジア友好協力条約」にも署名して、この方向への姿勢を一層明確にした。その理由は主としてASEAN諸国の中国に対する危惧を緩和すると同時に水域問題に関しては軍事力ではなく外交的な手段によって解決する方針を明示するためである。  
  中国のような軍事大国でさえこの問題に対しては交渉による解決を目指し、交渉不調の場合は棚上げという現実的な方針を取らざるを得なくなっているのである。  
  ところが現在国民党主席の座を狙う馬英九・現台北市長は、まさに駑馬中の駿馬のごとく独り屹立して異色たるを顕した。  
  馬は、台日間の漁業水域紛争に際し、理性と政治的交渉に基づく国際的慣例による解決を求めるのではなく、反日感情を大いに煽るという手段を取ったのである。馬は叫ぶ。「戦争も辞さず」。「戦争によって問題を解決すべし」と 。  
  そこいらのチンピラがこのような民族主義的な言を吐くのはまだ許せるが、馬英九は米国で教育を受けた人間である(どうやら米国の教育制度には改革すべきところが相当あるようだ)。しかも長年国民党の要職に任じてきた身として、国際政治の常識を知らぬはずはない。今日の世界で「戦争も辞さず」などと、どこの民主主義国家のリーダーがよその民主主義国家に対して叫ぶか。今では民主主義国家の間で戦争は発生しない。なぜなら戦争は政治の最後の手段であって、民主主義体制であれば双方それぞれ民意を問わねばならないし、メディアや議会による掣肘もある。戦争によって問題を解決するというふうになるはずがないのである。それどころかそこへ至るまえに、「戦争も辞さず」などと口走るだけでメディアや世論から徹底的に嘲笑・罵倒を浴びることになる。だから多少なりとも常識というものを弁えた政治的人間ならそんな挙に出ようとは夢にも思わないのである。戦争は起こらないし、その上自分の票田は消失するからだ。これは政治的な自殺に等しい。  
  就中台湾の今日の現実では、日本と「戦争も辞さず」など、如何にして可能なのであろう(そもそもそんな必要があるのか)? 日本は台湾に標準を合わせる弾道ミサイルはなく、台湾にとって脅威ではない。日本は台湾の武力侵略を定めた法律を制定していない。日本は国際社会において台湾の地位を圧迫するようないかなる行為も行っていない。人口2,300万の台湾が国連に加入するのを妨害してもいない。日本はこの種の台湾の利益を損なう行動は一切取っていないのである。それどころか数ヶ月まえには日本の外務大臣と防衛庁長官がワシントンで新しい安保条約に署名して、台湾海峡の安全は日米両国の共通の戦略目標であることを明確にしたばかりである。台湾海峡の安全とは台湾の安全に他ならない。それまで「周辺事態」という曖昧な言葉しか使っていなかった日本はこれで、その意味するところは台湾であることを明確にしたのである。北京当局がつい最近国内で大規模な反日デモを扇動し、教唆し、黙認したのは、何よりもまず日本が台湾の安全を保護する立場を明確にしたことへの憤懣と不満を表すためだった。  
  こんにちの民主主義国家日本は台湾の敵ではない。のみならず、米国と共に台湾海峡の安全を護り、共産中国や北朝鮮を掣肘して東南アジアの安全を維持してくれる主要な勢力である。日本の軍艦〔金谷注・事実は海上保安庁の巡視艇〕が係争中の水域で行きすぎた行為に及んだというのであれば、台湾は批判も抗議もすべきであるし、日本側と談判に及ぶべきである。だがそれでも外交ルートによる交渉で解決の途を探ることが本筋であることを忘れてはならない。たがが漁船操業中のトラブルにすぐさま「戦争も辞せず」となるのは、幼稚園児なみの短絡思考であろう。馬英九はどうしてこんなに馬鹿なのか。  
  馬英九が日本の軍艦が台湾漁民を追い払ったことを主権の侵犯だと見なすのであれば、彼はまず、中華民国の主権とは何たるかを明らかにすべきであろう。もし馬が中国大陸および外蒙古〔金谷注・モンゴル〕をも包含する中華民国地図を我が国の主権の及ぶところと考えているのであれば、馬が中華民国の版図と見なすその水域へ台湾漁船が漁に入るのを中国共産党の海軍が些かも許さないことは主権の侵犯(剥奪?)とは考えないのか。中華民国の領土はその殆どが共産党によって占領されているのである(そして中国人を虐殺し続けている)。これは中華民国の主権の侵犯に当たらないのか。中国共産党は、ミサイルで台湾を威嚇し、さらには武力による台湾侵攻を放棄していない。これは中華民国の主権を蔑ろにするものではないのか。これらの諸問題に対して馬英九はなぜ公正なる憤りを発しないのであろう。  
  馬英九は、公正なる憤りを発しないどころか、彼の国民党の連戦主席が北京を訪問し共産党の独裁者と酒を酌み交わし握手し共に写真に納まるのを支持した。この時に当たり馬はなぜ主権を云々しなかったか。なぜ人権を論じなかったか。なぜ台湾の尊厳を唱えなかったか。  
  ありていに言えば馬英九の思考様式は北京にいる胡錦濤と全く同じなのである。つまり馬は反日感情を煽ることで政治的資本を稼いでいるのである。馬英九は、台湾において、大漢民族主義感情に充ち満ちた、しかし中国に帰って住むのは嫌な、そして台湾では右を見ても左を見ても何もかも気に入らぬ、満腔の不満を燻らせてはいるがその捌け口を見つけることができない前中国人たちの拍手喝采を獲ち得た。血縁や民族の別で物事の是非を決める馬英九族は、外国人を見れば一致協力して敵愾心を燃やす。しかし共産中国に対しては同じ中国人、同じ民族という理由で、すべて見て見ぬふりをする。そして親中感情を煽り、台湾に生きながらいまだに自分を“純粋な”中国人と考えている人々の票を狙うのである。中国が共産党が血で支配する、いわば“植民地”になっていることには、馬英九はまったく無関心である。彼においては中国と日本という区別はあっても、専制と民主の区別はない。中国人であるか日本人であるかの区別はあっても、自由人か奴隷かの区別はない。馬は米国で政治学で博士課程まで進んだが、結局何も学ばなかったらしい。
  日本を仇敵視する馬英九とその同族が、もし、中華民国の利益のために心から「大陸反攻」を唱え、かつ「民主と自由の価値観」によって中国を統一する志を真に抱いているのであれば、まだしも敬服できないことはない。しかし独裁体制下の中国をまったく閑却して日本に向かって怒号する馬鹿げた現状は、軽蔑の感を催さしめるだけである。  
  馬英九はやむを得ずああしているのだと言う説がある。彼の政敵王金平(および台湾国防部長)が軍艦に搭乗して漁船を護衛するという挙に出たからであり、馬はこのような政治的パフォーマンスに長けた人間を対手にして窮したあまりに「戦争も辞せず」などと口走るような愚策を取ってしまったのだというのである。王金平と国防部長の一挙は、当然ながら世界中の笑い物になるはずだった(彼らにとって幸運なことに彼らの行動に関心を払った国際的なメディアはなかった)。もし米国の国会議長が軍艦に乗って出漁する漁船を護衛したり、他の民主主義国家に対して戦争するべしなどと呼号したりすれば、あっという間にメディアに八つ裂きにされて二度と顔を上げて外を歩けなくなるだろう。議長とまで行かなくても、議員でもいいが、誰がこんな笑い物に進んでなろうとするであろう。こんなことをすればパナマのノリエガやイラクのフセインと愚かさの王座をかけて鎬を削ることになる。  
  国民党の連戦とオレンジ色国民党〔金谷注・親民党を指す〕の宋楚瑜が相い争って中国に詣でて奴才〔金谷注・奴隷の意味。清朝時代の皇帝に対する臣下の自称〕よろしく独裁者に媚びを売ったことから、王金平と馬英九が己の愚かさを競い合うことまで、これらは少なくともある一つのことを示している。国民党の命運は本当に尽きたということである。彼らのできるのは“民族”カードを使うか愚行比べだけで、ほかのまともなことは何もできなくなっているのだ。

 
2005年7月5日執筆                                   
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