曹長青評論邦訳集  東トルキスタン独立への闘い

付録 「我々の目標は東トルキスタンの独立だ」
   ―リザ・ベキン“将軍”インタビュー―

(『台北時報』1999年10月11日)

 年齢73歳、身長1メートル63センチ。この一見しごく柔和な紳士が伝説の軍人とは とても思えない。朝鮮戦争にトルコ軍砲兵隊の中尉として参加し、のち中央条約機構(CENTO)の参謀総長を務め、さらにアフガニスタンではNATO軍司令官としてその任に当たった。新疆独立運動の最高指導者リザ・ベキン(Riza Bekin)氏のことである。
 彼の崇拝者は氏を“将軍”と呼ぶ。だが、氏の柔らかな物腰と雰囲気は、その白髪と黒縁の眼鏡もあいまって、軍人というよりは図書館の館長か引退した大学教授を想わせる。
 「我々の目標は東トルキスタンの独立だ。だが、我々は非暴力と平和的な手段による目標達成を主張している。」
 と、“将軍”は語る。
 氏は、東トルキスタン民族センター(the Eastern Turkestan National Center)主席である。その丁寧で柔らかな声音は、この組織の方針を反映しているかのようである。
 リザ・ベキン氏は1926年に東トルキスタン(新疆とは中国人がつけた呼称である)のコータン(Khotan, 和田)で生まれた。9歳のときに両親とともにインドへ逃れ、さらにトルコへ移った。以後現在にいたるまでの同氏の亡命者としての人生が始まったのである。氏の叔父のひとりは中国の支配に抗して東トルキスタンの蜂起の首謀者のひとりである。だがこの反乱は地方の中国軍閥によって鎮圧された。軍閥の長、盛世才はのちに国民政府の農業大臣になっている。
 氏は生粋の職業軍人である。1970年代、氏は中央条約機構の参謀総長の職にあった。この組織はNATOの下部組織であり、米国、英国、トルコ、イラン、パキスタンの5カ国から構成されていたが、ホメイニのイラン革命後、解体した。のち氏はトルコ首相の内閣顧問を9年間務めている。
 1998年に東トルキスタン海外亡命者グループがアンカラで会合を行い、統一的な東トルキスタン抵抗組織を結成した。その際、氏がこの新団体の唯一の主席候補となり、ついで主席に先取された背景には、これまで紹介してきた氏の経歴がある。
 リザ・ベキン氏は東トルキスタン民族センターの初代主席である。そしてこのセンターは将来、東トルキスタンからの海外亡命者を統率するとともに、東トルキスタン亡命政府へと発展してゆく位置づけがなされている。
 この東トルキスタン民族センターの本部はトルコのイスタンブールにあるが、トルコには40,000人東トルキスタン亡命者(ウイグル人)が居住するのみであり、大部分の亡命ウイグル人集団はカザフスタンに集中している。その数は同センターの調査によれば150万人に達する。
 実力行使による東トルキスタン独立を主張するグループは大部分がカザフスタンに存在している。それらは東トルキスタン民族センターの指揮に従っていない。
 歴戦の職業軍人という経歴を持ちながら、リザ・ベキン氏は平和を愛する人物である。この点において氏はイスラエルのバラク新首相と似ているといえなくもない。リザ・ベキンは紛争解決の手として話し合いや交渉といった平和的手段の使用を主張する。「民族自決が世界の潮流である。しかし、民主主義と人権が普遍的な全人類的価値であるというのが我々の信念だ。それが中国人であろうと、ウイグル人であろうと、我々は血が流されるのを欲しない。」
 しかし、新疆独立運動は氏の願いとは反対の方向へ向かっているようである。グルジャ(伊寧)で1997年に大規模な抗議運動が発生し、5,000人ものウイグル人が逮捕されたのだが、この大量逮捕のあと、中国の新疆駐留部隊や現地警察への襲撃や刑務所襲撃、北京でのバス爆破などのニュースが相次いで内外に伝えられている。
 中国政府の発表によると、当局はカシュガル(喀什)で地下組織のダイナマイト製造工場と軍事訓練施設を発見し、そのほかにも新疆へ武器を密輸入しようとしたトラック4台を摘発した。押収された武器のなかには機関銃、拳銃、リモコン式爆弾のほか、対戦車砲や体温の変化で起爆する爆弾といったものまでもが含まれていた。
 “新疆のハマス”との異名を持つ団体「東トルキスタン青年の家」は、2,000名のメンバーを抱えている。この団体はあくまでも武力による新疆独立達成を追求する人々の組織である。彼らの間には、アフガニスタンをはじめその他のイスラム諸国で訓練を積んだ者もいて、そのなかにはもちろん爆発物の専門家もいる。
 また、トルコ軍で勤務した経験を持つ者もおり、彼らはクルド族との戦闘で実戦経験を豊富に積んでいる。
 東トルキスタン人の間では、もはや個々人の望むと望まざるとに関わらず、支配者たる中国への抵抗手段として武力を使用することをとする傾向が増大しつつある。
 これは新疆の内外を問わない。長年亡命ウイグル人の指導者的な存在であったイサ・ユスフ・アルプテキン(非暴力による新疆問題解決を主張、ウイグルのダライ・ラマと称された)の死後、ウイグル人の軍事レジスタンスを制止できる権威を持った人物がもはや存在しないという事情もこの傾向を助長している。
 ソ連崩壊後、それまで旧ソ連の版図内にくみこまれその支配下に置かれていた中央アジアののチュルク系諸国家(カザフスタン、クィルグィスタン、トゥルクメニスタン、タジキスタン)は独立を手にした。トルコを加えて、現在国連に加盟しているチュルク国家は7カ国となった。これらチュルク国家においては民族的な自覚がこれまでにないほどの高潮期を迎えている。 たとえば、過去10年のあいだに、34カ国が参加する“チュルク世界大会”はすでに5回を数え、“青少年チュルク世界大会”は6回開かれているのである。
 武力抵抗で独立への道を切り開いたパレスティナとアイルランドの例は、東トルキスタンのウイグル人独立活動家たちのおおいなる励ましとなったのである。
 ここでウイグルと対照的なのはチベットである。チベット人の精神的指導者であるダライ・ラマは過去40年間、一貫して非暴力による自治達成――独立ではなく自治である――を説き続けてきた。だが中国政府はまともに取り合おうとはしない。
 このチベットの例は、ウイグル人たちに中国の圧制者・植民地主義者に耳を傾けさせるには力あるのみという信念を固めさせるもとになっている。
 ベキン氏は英語に長けている。その流暢な英語で氏はこういった。「私はいかなる種類の暴力にも反対する。だが、同時に東トルキスタンの人間が過激な実力行使に走る事情も私は理解している。共産中国の支配があまりに過酷すぎるのだ。ウイグル人の抵抗行動は大部分、自己防衛なのだ。」
 東トルキスタン民族センターはイスタンブールの繁華街の一角にある。施設は11の部屋からなるビルである。この建物は、トルコ議会の制定した特別法案に従い、トルコ政府からウイグル人亡命者へ貸与されたものである。期限は彼らが故郷へ帰ることができるときまでである。
 このセンターは母なる大地を遠く離れた亡命ウイグル人にとっては故郷にいるかのような安心感を与えてくれる存在である。ウイグルの人々はここへ仲間と会い、話すためにやってくる。あるいは、ここのウイグル人コックのつくる故郷の料理を味わいにだけ来る人もいる。
 再びベキン氏の言を借りる。
 「ここイスタンブールとウルムチを往来するウイグル人ビジネスマンたちの話によれば、中国政府が送り込んだ膨大な数の中国人移民たちは我々の伝統文化を破壊しつつある。ウイグル民族はいまや滅亡の瀬戸際に立たされているといえる。」
 暴力革命のみを信奉する体制を相手に、非暴力主義ははたして効果を持ちうるのか。
 この質問に、ベキン氏は直接に答えなかった。
 彼はただ、共産主義者といえども永久に権力の座に居続けることはできないだろうと語ったうえで、 「12億の中国人が、このような専制を長く許しては置かないだろう。それに、共産党自体もいまや自ら変化しつつある。」
 これが、氏の言葉である。
 グルジャでの蜂起の直後に、駐トルコ中国大使の姚匡義がベキン氏を晩餐会にまねいた。その席で姚大使は、氏に新疆を訪れみずからの目で実状を確かめてみてはと提案した。しかし、大使はその訪問では氏が新疆問題に関して中国政府と話し合う機会を持つことができるかどうかは保障できないとした。当然ながらベキン氏は招待を辞退した。
 ベキン氏は語る。「もし中国政府が新疆に真実の自治を認めるのであれば、我々は真剣に彼らの申し出を考慮する。だが、北京は我々ウイグル人の最終目標があくまでも独立である点は受け入れなければならない。率直に話し、かつ単刀直入に物事の核心にせまるのがわれわれウイグル人のやりかただ。有意義な結果は真摯で誠実な交渉からのみ生まれる。」
 東トルキスタンの独立は、トルコはもちろんその他のチュルク国家においても―――公然か暗黙裡にかという差はあるが――広い支持を集めている。現在、ベキン氏の率いる東トルキスタン民族センターはイスラム文化圏のそとに支持層を広げようという試みを続けている。その主要な対象は西欧諸国である。ベキン氏はこの秋に米国を訪問し、議会メンバー数人と会見する予定である。
 氏はもし招待されれば台湾を訪れたいと語った。「我々の見地からすれば台湾は一個の国家である。我々は独立を希求するすべての人々を支持する。」
 ベキン氏は台湾総統李登輝の著作『台湾の主張(台湾的主張)』にある“7つの中国論(中国は7地域に分割されればよりいっそう発展できるという主張)”に強い関心を抱いており、この書をウイグル語に翻訳したいと考えている。
 台湾海峡を夾んだ中国、台湾双方の指導者への意見を問われたベキン氏は、ためらうことなく以下のように答えた。
 「江澤民にこう言いたい。新疆への過酷な支配をやめよと。そして、東トルキスタンは中国の一部ではない、中国以外の土地なのだと。」
 李登輝総統に関して、ベキン氏は李登輝総統に会ったことはないが、好意的な印象を持っており、以下のように語った。
 「私は彼に敬意を表する当時に、彼に我々への支持を要請したい。中国から国際社会で陰に陽に迫害され圧迫される身として、彼は我々の苦しみをきっと理解してくれると信じている。」
 東トルキスタン人(ウイグル人)の大半がそうであるように、ベキン氏の祖国独立の意思は、みじんも揺るがぬ信念である。氏のオフィスの壁には東トルキスタンの国旗とともにトルコ国旗が掲げられているが、さらにアタチュルクの肖像画が飾られている。
 アタチュルクは76年前にオスマン帝国の崩壊後、現トルコ共和国を建国した人物である。
 ベキン氏はいう。この肖像は、いつの日か共産主義中国の廃墟のうえに独立した東トルキスタンが再建されるという啓示を与えてくれるのだ、と。



(邦訳:1999/12/17)
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