曹長青評論邦訳集  東トルキスタン独立への闘い

7.狼と龍が戦う時

(『台北時報』1999年10月17日)

 毛沢東の大躍進政策によって新疆地域でも深刻な飢饉が発生し、多数のウイグル人が餓死している。この大躍進政策へウイグル人たちが示した抗議にたいし、中国の支配者たちは大量逮捕と拷問で応えた。

 中国人は龍を崇拝する。その一方、ウイグル人は狼を尊ぶ。
 ウイグルの伝説によれば、彼らの祖先たるチュルク族は、かつて闘いに負けて逃げ込んだ山の中で、狼の乳によって生きながらえたという。そのためウイグル人は狼を彼らを守護する存在と見なしている。チュルク族の人々のあいだでは家や仕事場で壁に狼の毛皮を掛ける例が多いが、これは装飾であると同時に彼らの民族としての証でもあるのだ。
 「中国人は我々を“狼の子”と呼ぶが、彼らはウイグル人を狼同様に粗暴で反抗的なやつらだと考えているからだ。」
 これはアブドゥルヘキム氏(元ウルムチ作家連盟主席、現在イスタンブール居住)の言葉である。
 ウイグル人をして中国の支配に決して屈服させないのも、この狼の性がなせる業なのかもしれない。1930年代から1940年代にかけて、ウイグル人は2度にわたって自分たち自身の国をうち立てるべく大蜂起を行っている。残念ながらそのいずれとも、新疆地方に当時盤踞していた中国の軍閥によって弾圧され、不成功に終わってしまったが。
 中国のそのほかの地方と同様、毛沢東の大躍進政策の結果として、1960年代の初めに新疆は激しい飢饉に襲われた。特にイリ(Ili, 伊犁)州では程度が甚だしかった。
 「バイ(Bay, 白城)では6万人もの人間が餓死した」と、東トルキスタン民族センターの事務所でアブドゥルヘキム氏は証言する。
 「おびただしい人々の死体が路上に転がっていた。これらの遺体は地面を掻きむしった状態でこと切れていた。」
 飢えに苦しむ数千のウイグル人たちは、イリ州政府(グルジャ=伊寧にある)の建物の前に集結し、「食べ物をよこせ」、「漢人の新疆への移民反対」といったシュプレヒコールをくり返した。それに対して人民解放軍新疆軍区司令である王震は、群衆への発砲を軍に命じた。
 この時の正確な死傷者の数はいまだに公表されていない。だが目撃者の一人は、数百の死体が路上に倒れていたと証言している。
 この殺戮はウイグル人を激昂させた。ここで新疆がほかの地方と異なっていたのは、彼らが立ち上がって反乱に踏み切ったところである。
 このウイグル人の蜂起にカザフ人やそのほかの少数民族も同調し、彼らは州政府の建物を襲撃して破壊し、さらに州から大量に逃亡した。
 「この時には、新疆ウイグル自治軍区副指令の副参謀長をはじめ、公安局長などの自治区の主立った役職にあったウイグル人でさえ逃亡したのだ。」
 この事件について、バチェ氏(米国ニューヨークにあるコロンビア大学客員教授、ウイグル史研究)はこう語っている。
 中国政府の統計では、15万人ないしは20万人にのぼるウイグル人が新疆を捨てて当時のソビエト連邦内に流れ込んだとされる。だが前出アブドゥルヘキム氏の計算では、その数は60万にちかい。
 ソ連に脱出したウイグル人たちは、亡命した地で7つの軍団を組織し、それと同時に東トルキスタン民族解放委員会を結成した。その目的は、ソ連の援助のもとでの中国からの祖国開放である。当然ながらこの動きは中国政府を激しく刺激する結果となった。
 この事件のあと、中国の支配者たちへの抵抗運動が新疆地域の多くの場所で連続して発生している。最大のそれは1997年2月にグルジャで起こったデモである。
 このデモは、メシュレプ(チュルク族伝統の娯楽の集い)を禁止したこの地の政府に、憤慨したウイグル人が大挙して陳情へ押し掛けたというものだが、政府側はそのデモの首謀者数人を逮捕する挙に出た。この後、今度はウイグル人若年層数百人が街頭で抗議集会を開いているが、それまでの類似の例と同じく、この集会も人民解放軍が出動して鎮圧されている。
 今年4月に発表されたアムネスティ・インターナショナルの人権報告によれば、このデモの前後で3,000から5,000人が逮捕されたという。さらには数百人が凍り付いたサッカー場に数時間もの間監禁され、なかには裸足で凍りついた地面を走らされた男女もいたという。そこにいた子供や女性の多くは重度の凍傷にかかった。
 「ところが付近のどの病院もこれらの負傷者の治療を拒否したのだ」と、グルジャの市立病院で勤めていた医師(現在はトルコ在住)は証言する。
 「そのため凍傷患者200名のうち4人が死亡した。」
 目撃者の証言によれば、このサッカー場の入り口で中国の部隊と話し合おうとしたあるウイグル人男性にむかって、兵士たちは猟犬をけしかけて襲わせたという。
 このデモに参加した者の多くが投獄されているが、そのうちの何人かは死刑の判決をうけている。シャムセデン氏(グルジャにある紡績工場の元工員)の33歳になる息子も、そのデモに加わって死刑判決を受けたひとりである。ただし彼の刑はまだ執行されていない。外国の人権団体が執拗に抗議しつつけているからである。
 シャムセデン氏はいまイスタンブールに居住している。彼は中国当局から逮捕令状が出ている。同氏のインタビューで、彼は息子にデモに参加するように進めたことがどうして罪になるのかまったくわからないと訴えた。氏は妻とともに、サウジアラビアへ巡礼に出かけるという口実で国外へ脱出した。今年61歳になる氏は現在、東トルキスタン民族センター本部のなかの小さな部屋で妻と暮らしている。
 グルジャでのデモ事件ののち、中国当局は分離主義者と見なしたウイグル人を大量検挙し、彼らを厳しい刑罰に処した。アムネスティ・インターナショナルの報告によれば、1997年以降、新疆地域において210人が死刑の判決を受け、うち190人の処刑が既に執行されている。その大部分はウイグル人である。
 拘置所や刑務所での収容者にたいする扱いが劣悪を極めている点に関しては数多くの証言がある。たとえばニザミディン・ユサイン(Nizamidin Yusayin)というウイグル人(70歳、『新疆日報』記者)の場合、ウルムチで逮捕される際に警察官数人がかりで暴行され、その傷がもとでほどなく拘置所で死亡した。
 この事件につき、この記者と以前職場を同じくしたことのあるアブドゥルヘキム氏はこう解説する。
 「彼は東トルキスタン独立の歴史を認める文章を書いて発表したからあんな目に遭ったのだ。」
 また、アムネスティ・インターナショナルが新疆の元裁判所職員から得た証言だが、拘留者のじつに90%が、警察に拘留された際に拷問によって自白を強制されたと裁判長に訴えるという。だが、裁判長はその訴えを無視すると、その元職員は付け加えている。
 東トルキスタン民族センターに新疆から送られてくる手紙や資料には、新疆の監獄で囚人にたいして行われるさまざまな拷問の種類が載せられている。いくつか例を挙げてみると、

 ・素手や道具で殴打する
 ・喉に電気棒を突っ込む
 ・逆さ釣りにする
 ・火で焙る
 ・猛犬に咬ませる
 ・縛ったまま寒気激しい戸外に放置する
 ・爪と指の間に針や削いだ竹を突き入れる
 ・手足の爪を剥ぐ

 などがある。
 アムネスティ・インターナショナルの報告書は、今述べたこれらの拷問が実際に使用されている証拠となっている。そのほか、ここにはあるウイグル人囚人の証言が収録しているが、これによるとこの囚人は取り調べを受けた際、取り調べ官によって馬のたてがみを縒って作った糸を尿道へ何度も突き込まれたと話している。この拷問は25分から30分も続けられ、彼の性器は腫れあがって出血したという。彼は最終的には執行猶予処分になったが、これは彼の友人が警察へ5,000元の賄賂を贈ったからだった。それから2ヶ月の間、小用を足す度に性器から出血したと、この元囚人は述べている。ちなみに、傷の治療には半年かかったとのことである。
 「中国政府や中国人は我々を分離主義者だのテロリストだのと非難するが、当の本人は我々ウイグル人を情け容赦もなく殺し、幼い子供にさえ暴力を振るっているではないか。我々に言わせれば中国はテロリスト国家、中国人はテロリストの集団だ。」
 アブドゥルヘキム氏は憤激の色を隠さない。
 「これを忍べるというならこの世に忍べぬものなど存在しない。ウイグル人の忍耐は限界に達した。もはや抵抗あるのみだ。遅かれはやかれウイグル人と中国人のあいだに大規模な流血沙汰が必ず起こる。」
 はたして氏のいうように狼(ウイグル人)と龍(中国人=漢人)がはたして戦う時が来るか。将来のことは誰にも確言できない。ただし、もしそうなればこの両民族の間で過去積み重ねられてきた怨恨がさらに激しさの度を加えるのは間違いないことだけは確かである。



(邦訳:1999/12/13)
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