曹長青評論邦訳集  東トルキスタン独立への闘い

5.新「三光作戦」 ―食い尽くし、奪い尽くし、分配し尽くす―

(『台北時報』1999年10月15日)

 三光作戦(焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす)は、中国を侵略した当時の日本軍が掲げた対中国方針である。

 中国の公式数字によれば、中国でもっとも貧困とされる25県のうち、じつに20が新疆地域にある。
 新疆は中国全体の面積のうち6分の1を占める。台湾の44倍の広さである。新疆はまた、豊富な石油や天然資源の宝庫でもある。しかしながら、すでにのべたように、中国の最貧県25の20が新疆地域に集中しているのである。
 「共産党はつねに自分たちは中国の救世主であると主張している。だが共産党が新疆を支配して50年にもなろうとしているのに、いまだに生活必需品すら地域住民に満足に与えることができない。」
 アブドゥルヘキム氏(東トルキスタン民族センター執行主席)は指摘する。
 「水もない、牧草もない、食物もだ。中国人は新疆を搾取しているだけなのだ。新疆生産建設兵団は新疆における最良の耕地と最も肥沃な放牧地を占拠し、水資源を支配し、戦略上最重要な地点を占領している。そのうえ、この機構は地元住民の分離運動を弾圧する役目も果たしている。」
 新疆生産建設兵団は1950年初期に設立された。構成員は240万人、そのほぼ全員が漢族である。兵団指揮下の11の師団と150の連隊は、新疆におけるすべての主要都市の周辺地帯に駐屯している。
 かつて『烏魯木斉晩報』の記者だったアブドゥルヘキム氏は、新疆ウイグル自治区政府へ送られてきた一般大衆からの陳情書や手紙を閲覧できる機会に恵まれた。それらを読んた氏にわかったことは、6ヶ月のあいだに政府へ500通もの陳情書が送られてきていたという事実であった。
 そしてそのほとんどはウイグル族からのものだった。ウイグル族は、新疆生産建設兵団による自分たちの土地や放牧地や水資源の強制収用をくちぐちに訴えていた。
 「アメリカ人はアメリカ原住民の土地を奪ったがそれによって世界第一級の国家を作り上げた。英国人は香港を占領したが香港を富強な港市に変えた。だが中国人が新疆を征服してから新疆はかえって貧しくなった。中国は新疆にある資源を収奪するばかりだからだ。そのうえ新疆にもとから生きていたわれわれウイグル民族を滅亡させようとしている。」
 これは、ウイグル人の元教師の言葉である。この人物は、三週間前にウルムチからイスタンブールへ脱出してきたばかりである。

失業率

 この元教師は続ける。「新疆地域の失業率は上昇の一途をたどっているが、我々の間ではレイオフのことを“ウイグル人解雇”と呼んでいる。くびになるのはウイグル族ばかりだからだ。漢人は解雇されない。それどころか、あとからあとから内地から新疆へ押し寄せてくる。」
 経済的発展にともない、中国では税の種類が増加し、その額も増加している。たとえば、政府系紙『新疆法制報』によれば、新疆地域には37種の税が存在する。ただし、そのなかには“天気予報税”なるものまで交じっている。新疆の住民は、明日雨になるかあるいは雪がふるかどうかを知りたければ税を払わなければならないのである。課税と納税に関していえば、新疆の状況はほかの地域よりも悪いといえる。
 年配のウイグル人たちは現在の新疆の生活水準が1930年代より低いと嘆く。若い世代は、こんにちの新疆の貧しさに憤慨する。
 アヘマト(Ahemat)氏(28歳)はイスタンブールで食品科学を学んでいる若者だが、かれは、「僕の故郷である和田(Khotan)地区の住民たちは極貧に喘いでいます。和田では一人当たり平均年収は、たったの50米ドルなのです」と訴える。
 和田は新疆で最もまずしい地域のひとつである。人口は140万人。
 だが、中国政府がこの状況を改善しようとして国連や世界銀行から借款や資金援助をうけているのは事実である。しかし内部の事情通に言わせれば、“資金の大半が北京と新疆そうほうの官僚機構を通過するあいだにそのほとんどが盗まれてしまう”。海外からの援助金は、「専門家」や官僚の手を経るあいだにどんどん目減りし、最終的にはほとんど零にちかくなるという。
 汚職は中国のいたるところで蔓延している。贈賄・収賄・公金横領のニュースが中国の新聞各紙のいずれかに載らない日はない。原因は構造的なものであって、いくら中央政府がやっきになって撲滅キャンペーンをはろうと効果はない。
 新疆地域の政府組織もまたその例外ではない。新疆地域においては、「天ハ高ク皇帝ハ遠シ」、つまりお上の目が届かない。それをいいことに新疆の政府官僚や党幹部たちは臆することなく公金をわけ取りにし、恬として恥じるところがない。
 アイセム(Ayxem)女史は生粋のウイグル人である。彼女は2ヶ月前中国からイスタンブールへ来るまでは、新疆女性連合会という団体で働いていた。この団体は年に10から15件の援助プログラムを運営していた。「カナダからの新疆貧困撲滅援助のプログラムだけでも一年に30万人民元が渡されてきたのです。」
 筆者の問いに答えて、彼女は連合会の責任者と彼女のふたりが“管理費”の名目で各プログラム費用から5%を抜き取っていた事実を明かした。
 「でも」と、彼女は言葉を強めた。「ほかの部署にくらべれば、私たちが盗んだのはほんの少額です。ほかの部署の人たちはもっと恥知らずでした。」
 アイセム女史は北京農業大学出であり、つまりは中国のこの分野におけるもっとも優秀な専門家のひとりであるということになる。このため、1997年に国連開発計画(UNDP)の職員が調査のために新疆を訪れた際、彼女は調査団を受け入れる中国側の代表員として命じられた。彼女は国連調査団に同行して和田地区にあるカラバシュ(Karabash, 墨玉)県のサイバグ村を訪れ、そこの貧困家庭を訪問した。
 「国連調査団はその家族のあまりの貧しさを目にして涙を流さずにはいられませんでした。」この言葉を口にするアイセム女史の表情もまた悲しみに曇っていた。「そこの貧困の度は彼らの想像をはるかに超えて信じがたいものだったのです。夫婦と子供5人の一家は石製の暖炉の上で一緒になって眠っていました。下に敷くマットなどなく、わずかに薄い布を身体と暖炉の石の間に敷いているだけで、しかも7人が掛け布団代わりに1枚の布を共有してるといった有様でした。その一家の食事は1日1回がせいぜいでした。」

国連の援助

 訪問団はその場でこの村への国連による援助を決定し、170万米ドルの援助額が与えられることとなった。
 ところが、その援助金は北京の中央政府から新疆へと遠く旅するうちに、さまざまな組織や団体の手を通過し、そのたびごとにありとあらゆる名目のもとに減額されていき、援助金が和田地区墨玉村の「扶貧弁(貧困層援助の担当役所)」に届けられたときには、170万ドルがわずか14万5,000ドルとなっていた。
 アイセム女史は言う。
 「費用を水増しするためにもっともらしい項目を考え出すのなど簡単です。たとえば研究を行うという名目で専門家のチームを編成します。新疆ウイグル自治区にはこの実例として『女性問題専門家チーム』や『牧畜業専門家チーム』、『農業専門家チーム』などが存在しますが、そこに集められた専門家たちは毎日あたり100元の給与をうけているのです。」この『専門家チーム』なるものは3ヶ月をかけて“研究”を行う。ちなみに、らのの日給はアイセム女史が勤務先である新疆女性連合会から受け取る月給の半分に当たる。
 ところで、最後に残った14万5,000ドルも、真に必要としている人々の手には渡ることはなかった。墨玉県政府のある役人がひそかにアイセム女史に語ったところによると、県政府はこの金を窯業工場を建設しようとしていた富裕な農家に貸し付けてしまったという。ところがその工場はまもなく倒産し、政府は貸した金額を回収できなくなった。
 実は、倒産は最初からの計画であり、県政府の役人がその農家とぐるになって援助金を横領したのであった。
 北京の中央政府がこのような情勢を知らないはずはない。だが中央は、ウイグル人が国家へ反抗の色を見せない限りはたいていのことは黙認するつもりであるらしい。
 「“分離主義活動”にくらべれば腐敗や汚職は大したことではないというのでしょう。」
 と、アイセム女史は言う。
 「東トルキスタン独立運動の抑圧が最重要問題なのです。」
 国家の秩序維持が中国政府にとって国内政策の最優先課題であることは新疆においても変わらない。中国からの分離独立を志向する活動が現今の中国の支配者にはなによりも警戒すべき対象であり問題なのである。
 「新疆にいる高級官僚はみな腐敗しています。これは漢族、ウイグル族を問いません。だれもが権力を笠に着て金をくすねる機会を虎視眈々と窺っているのです。」
 これがアイセム女史の結論である。
 「彼ら貪官汚吏のやり方は、新『三光作戦』とでも名付けることができるでしょう。彼らは新疆で、食い尽くし、奪い尽くし、分配し尽くすことを目的としているのです。」



(邦訳:1999/12/7)
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