曹長青評論邦訳集  東トルキスタン独立への闘い

4.中絶のメスと核実験のはざまで

(『台北時報』1999年10月14日)

 新疆地域はウイグル人による自治区域ということになっている。しかし現実には漢人の完全な支配下にある。新疆ウイグル自治区主席はたしかにウイグル人だが、そのランクは同自治区に置かれている5つの統治機関(新疆ウイグル自治区人民代表大会、人民政治協商会議、中国共産党規律検査委員会、人民解放軍新疆軍区、新疆生産建設兵団)の長より高いものではない。
 新疆におけるこれら最高統治機関の6人の長たちは、全員が中国共産党新疆ウイグル自治区委員会の副書記である。中国共産党新疆ウイグル自治区委員会のメンバーはほとんどが漢人である。真に権力を握っているのは党書記だが、このポストはつねに漢人によって占められてきた。初代が王震(1940年代末の中国による新疆侵略の指揮者)、以後王恩茂、宋環良とつづき、現在は王楽泉がその地位にある。
 重大問題の決断にあたって、ウイグル人たる新疆ウイグル自治区主席は、この7人──すなわち党書記と6人の副書記──で構成される委員会で1票を行使する権利しか持っていない。しかも、最終的な決定権を有するのは党書記である。このため、党書記は“新疆のツァー(皇帝)”と呼ばれる。
 権力構造がこの通りである以上、新疆地域のウイグル人官僚が中国人(漢人)の支配者やその支配に抵抗するのは不可能である。彼らは貝のように口を閉ざして沈黙を守る。
 中国全土がそうであるように、中国政府は新疆においても人口抑制政策を取っている。漢族にたいする一人っ子政策にくらべれば、ウイグル人をはじめとする非漢民族は2人以上の子供を持つことを許されているのは事実である。しかし、伝統的に大家族制を保ってきたウイグル人にとっては中国政府の政策は憎悪の対象でしかない。
 アブドゥルヘキム氏(東トルキスタン民族センター執行主席)の例を挙げれば、氏には兄弟姉妹が10人いる。氏は両親の8番目の子供である。彼には姉がいるが、現在ウズベキスタンに住む彼女にはやはり子供が10人いるのである。
 「私には2人の娘がいる」と、アブドゥルヘキム氏はいう。「私は息子が欲しかった。だが、当局は規則を犯せば罰金を課すと警告した。それでもいいと私は答えた。罰金を支払ってでも息子が欲しかったからだ。党専従のやつらは私を党から除名すると脅迫までした。わたしはそんな脅しにも耐えた。そうすると彼らは今度は私の職場で批判集会を開いて無理矢理あきらめさせた。結局私の妻は2回堕胎し、そのために妻は死にかけた。」
 アブドゥルヘキム氏が念願の息子を得ることができたのは、5年前にイスタンブールへやってきてからのことである。
 ウイグル人は子供を2人までもつことができる。漢人はひとりである。これらはべて政府による出産割り当て政策によるものである。出産はこの割当枠内で許される。夫婦は政府によって枠を与えられて初めて子供を出産することができる。通常、新婚夫婦は結婚後3年から4年たたないと割り当てをもらえない。無断で子供をもうけると3万人民元の罰金処分となる。
 「貧乏で罰金を払えなければどうなるか。」
 アブドゥルヘキム氏は続ける。
 「たとえば牧畜民の場合、家は破却され、家畜は没収されることになる。」
 東トルキスタン民族センターにはしばしば新疆から手紙が届く。そこには強制的な中絶についての訴えが満載されている。
 ある手紙にはアクス(Aksu,阿克蘇)地区のトクス(Toksu,土克蘇)県にあるウガン(Wugan,烏干)郷で起こった事件が書かれていた。ニヤサム(Niyasam)という名の28歳のウイグル人女性は妊娠9ヶ月目に入っていた。だがこの女性は割当枠を持っておらず、当局はこの理由で3人の公安とその地区の計画出産担当部署の責任者であるハリチェム(Halichem)を派遣して彼女を無理矢理に病院へ連行し、帝王切開をおこなって堕胎させた。
 取り出された赤ん坊がどうなったかは誰も知らなかったが、ニヤサムはやっとのことで、遺体が病院の裏の地面に掘られた穴に捨てられたことを知った。
 ニヤサムの夫は、夜陰にまぎれて我が子の身体を取り返せるとおもい、そののちイスラム教の伝統にしたがった葬儀をだしてやろうと考えた。だが、病院の外にひそみ、夜になって穴にやっとたどり着いた夫が見たものは、野犬に食いちぎられてむざんな肉塊となった我が子のなきがらだった。
 その後、ニヤサムはふたたび妊娠した。彼女はまた逮捕されるのではないかと恐怖した。そのとき彼女は予定出産日まで数日を余すのみとなっていた。だが今度は、ニヤサムは追っ手が彼女の友人の食堂で飲み食いしているあいだにうまく逃げおおせることができた。彼女は山の麓ちかくの墓場に身を隠し、そこで無事娘を産み落としたのだった。
 東トルキスタン民族センターが入手した数字によれば、トクスだけで1991年に846人のウイグル人が強制的に中絶手術を受けさせられている。そのうちの多くがすでに妊娠して数ヶ月を経過しており、帝王切開手術による強制的な堕胎によって母胎の健康のみならず精神的にも悪影響を及ぼす結果となった。うち17人が中絶手術のために死亡している。

人口抑制政策

 同じく1991年、コータン(Khotan)地区にあるカシュガルへ、中国当局は432名の人員を派遣して人口抑制政策を実行した。その結果、18,765件の中絶手術を実施したが、そのうちの半分以上がウイグル人の女性に対して行われたものであった。
 「この政策は、ウイグル人の人口減少をねらったものだ。」
 と、東トルキスタン民族センター主席のベキン氏は言う。「それにくわえて、新疆で中国が行う核実験によって現地住民の健康は甚だしく損なわれている。チュルク族は中絶のメスと原子爆弾に夾まれて生きているのだ。」
 これまで中国は46回の核実験を行った。そのすべてが新疆においてである。なかでもロプノール(Lopnor, 羅布泊)において1995年8月17日に実施された実験結果は、報告によれば広島型原爆の10倍の破壊力を有するものだったという。
 新疆にボストゥン(Bostun,博斯騰)湖という清冽な水質で有名な湖が存在するが、その近くにマラン(Malan, 馬蘭)という場所がある。この土地を中国は秘密核実験場として利用している。マランは、ウイグル人やモンゴル人の居住地域から10キロも離れていない。
 バチェ(Bache)氏は新疆で生まれ育ったモンゴル人であるが、現在は米国ニューヨークにあるコロンビア大学付属東アジア研究所で、客員教授として教鞭を執っている。同氏が筆者に語ったところによると、同氏が数年前にマランを訪れた際、核実験場に近い場所に生えていた木の表皮はみな枯れ、葉はすべて落ちていた。地元の病院の院長は同氏にこう証言した。
 ・住民の多くの間で頭髪が抜けおちたり、さまざまな皮膚疾患といった病例が見られる。
 ・血液中で病理学的変化が認められる地域住民患者の数は他の地域と比較して5−6倍に達している。
 ・白血病や咽喉癌に罹患した児童や婦人の数が急激に増加している。
 ・早産の事例が増大し、奇形児出産の報告も増えた。
 バチェ氏はこの地域に住む兄弟がふたりいるが、ふたりとも最近相次いで病死した。病気の種類も原因も不明である。

生物兵器

 ロシア人のケン・アリベク(Ken Alibek)氏は現在米国で核による汚染に関する研究に従事している。同氏はもともと、“ソビエト連邦核・生物兵器貯蔵センター”で専門職として勤務し、8年前に旧ソ連から亡命した人物である。同氏は1992年に出版した著書『バイオハザード(Biohazard)』のなかで、ゴルバチョフがこのセンターに対し、細菌兵器開発計画スケジュールを準備せよという命令を下していた事実を明らかにしている。
 ところで、同氏はマランにおいてエボラ菌とマールブルグ菌というきわめてまれな種類の細菌を発見した。これらはアフリカにおいてさえ滅多に存在を確認できない細菌である。
 この事実は、中国が1980年代の初めにはすでに細菌兵器の実験を開始していたことを暗示している。
 1980年代の前半5年間に、新疆南部において伝染病が連続して発生し、多数の使者を出したが、病名がまったく不明だったので、発生順に「第1号病」「第2号病」というふうに名付けられていった。だがあまりに次々と新種が発生するために、ついにはすべて「未知の病気」とだけよばれるようになった。
 「新疆の医師は交代でこの地域の患者の治療に当たっています。」
 とは、元ウルムチ病院勤務の医者(女性、45歳、匿名希望)の証言である。彼女は現在イスタンブールに居住している。
 「東トルキスタンの歴史にこんな伝染病が存在した記録はまったくありません。」



(邦訳:1999/12/3)
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