曹長青評論邦訳集  東トルキスタン独立への闘い

1.独立を目指すもうひとつの自治区

(『台北時報』1999年10月11日)

 NATO(北大西洋条約機構)によるユーゴスラビア空爆に、なぜあれほど中国政府は強硬に反対したのか? 中国は新疆やチベット、内モンゴルというユーゴスラビア同様の民族問題を孕んだ地域を抱えているからである。北京は、これらの地域で大規模な民族間の衝突あるいは現地先住民族による蜂起が発生した場合、米国やその他の西欧国家がユーゴに対するのと同様の軍事的介入に踏み切るのではないかと恐れているのだ。この恐怖が今回の中国の空爆反対姿勢の背景にあるというのが、西側における中国専門家の間での一致した見解である。
 チベット、新疆、そして内モンゴル地域は中国の火薬庫である。これらの地域では漢族と現地の先住民族との対立摩擦が激化しており、いつ支配者である漢人と公然たる衝突状態に突入してもおかしくない状況にある。なかでも新疆地域の情勢はもっとも深刻であり、当地において大規模な民族紛争が発生する可能性は他の二地域よりもはるかに高い。
 中国共産党が1949年に政権を奪取して以降、中国による新疆支配に反抗して発生した蜂起や暴動事件は主なものだけでも11回を数える。1998年の後半には、カルギリク(Kargilik,葉城)での警察襲撃事件、グマ(Guma,皮山)の武器庫襲撃と武器強奪、グルジャ(Gulja,伊寧)とモンゴル・クラ(Mongol Khura,照蘇)における3刑務所襲撃といった民族紛争に絡む重大事件が次々に起こり、とくに最後の一件では80名もの政治犯が脱獄する結果にさえ発展した。さらに今年の2月には同地域に駐屯する人民解放軍第3824部隊所属のミサイル基地が襲われ、軍用車両18台が破壊され、21名の兵士が死亡、6名が負傷している。
 新疆社会科学院が1994年に出版した『凡イスラム主義と凡トルコ主義(泛穆斯主義和泛突厥主義)』という書籍によれば、当局が察知している“反革命的”組織の数は60に達する。また現地の官報であるところの『新疆日報』が最近報道したところにしたがえば、新疆地域には68の地下組織が存在するという。これは、新疆ウイグル自治区共産党書記の王楽泉の発言として伝えられたものである。
 トルコのイスタンブールに“東トルキスタン民族センター(the East Turkestan National Center)”の本部が存在する。これは中国の植民地支配反対を標榜する組織である。そこでの筆者とのインタビューにおいて、指導者のひとりアブドゥルヘキム(Abdulhekim)氏は、東トルキスタン民族センターだけでも新疆地域内部に6万人以上の加盟者がおり、178の地下支部を有すると述べた。
 アブドゥルヘキム氏は、新疆を“東トルキスタン”と呼ぶ。その理由は、ウイグル人にとっては、中国人によって名付けられた、「新たに征服された土地」を意味する新疆という名称は、“トルキスタンの民”にとっては侮辱にほかならないからである。
 アブドゥルヘキム氏は、『ウルムチ晩報(烏魯木斉晩報)』の編集者であった経歴を持ち、また子供向けの書籍7冊の著者という人物でもある。同氏は、かつて中国の公的団体であるウルムチ作家協会の代表でもあった。だがアブドゥルヘキム氏は5年前にウルムチを去り、それどころか故郷をさえ捨てて、トルコへ来、東トルキスタン民族センターの指導者となった。同組織は、新疆独立を活動目的とする国外の団体のなかでは最大のものである。
 「ウイグル人は長年にわたって中国人の差別と抑圧に苦しんできた」とアブドゥルヘキム氏は言う。「ウイグル人の漢人に対する民族的憎悪は、喩えれば100℃に達した熱湯のような状態だといえる。いつ爆発してもおかしくないということだ。過去数年だけでも、130件を超える暴動や蜂起が起こった。現在、(新疆地域内部の)地下組織は海外の組織との連携を強めており、東トルキスタンに生きる人々の自由と独立を勝ち取るため、密接な協力関係を構築しつつある」
 昨年末、世界18カ国に散らばる新疆独立運動団体の代表者40名がトルコの首都アンカラで一堂に会した。3日間にわたる非公開の会議の後、参加者は東トルキスタン民族センターを設立した。どうやらこの組織は将来的には亡命政府に発展するとの含みもあるらしい。
 東トルキスタン民族センターの代表に選出されたのはリザ・ベキン(Riza Bekin)氏(73歳)である。同氏はトルコ陸軍の退役将軍である。
 ベキン氏は9歳のときに両親とともに新疆から逃れた。朝鮮戦争では大尉として国連軍で戦い、そののちアフガニスタンではNATO軍司令官をつとめた経歴を持つ。歴戦の戦士である同氏の経歴が、中国植民地主義の支配と戦う上で暴力の使用を辞さないという、この団体の思想を雄弁に物語っているように思える。
 東トルキスタン民族センターは非暴力の原則に則った組織であるという主張をベキン氏はたびたびくり返す。だが同氏は同時に、すべての独立派組織がこの原則に賛成しているわけではない事実も認めている。
 アブドゥルヘキム氏(ベキン氏の補佐役である)によれば、カザフスタンに本拠を置くウイグル人運動組織のいくつかは、中国人に対抗するには力あるのみという彼らの信念に基づき、東トルキスタン民族センターに加盟しなかったという。
 東トルキスタン民族解放戦線(the East Turkestan National Liberation Front)の長年の指導者であるユスプ(Yusup)氏(80歳)は、ある香港の記者の、最近のバス爆破事件や武器強奪、さらには刑務所やミサイル基地襲撃をめぐる質問にたいして、「これらすべての活動は自分の組織の指令によるものである」と答えている。ちなみに東トルキスタン民族解放戦線は、東トルキスタン民族センターへの加盟を拒否した団体のひとつである。
 ユスプ氏は東トルキスタン共和国軍の士官であった過去を持つ。中国による新疆占領後、同氏は新疆ウイグル自治区博物館の副所長となったが、1957年にソビエト連邦へ逃れた。それ以後、武力闘争による新疆の独立達成が彼の生涯を貫く大義となった。ユスプ氏と彼の率いる組織は、27の他の過激派グループとともに、新疆地域での非合法活動を指揮する本部として“母国の火花(The Sparks of Motherland)”という機構を創立している。
 “母国の火花”と同種の団体としては、“青年の家(The Home of the Youth)”がある。この団体に所属する人員は約20名である。イスタンブールで筆者が彼らにインタビューした折り、彼らが異口同音に主張したのは、中国当局が理解するのは力の言葉のみである、という信念だった。この組織は“新疆のハマス(Xinjiang's Hamas)”という異称を持つ。いうまでもなくハマスとは、自爆戦術によって悪名高いパレスチナのイスラム原理主義者を指す。「我々ひとり一人が爆弾である」とは、“青年の家”の書記長代理の発言である。
 同組織のメンバーのひとりであるカマル・イルチュルク(Khamar Yilturk)氏(30歳、ビジネスマン)は怒りの表情を隠さない。「我々にはこの方法しかないのだ。中国人と戦うには、自分の命を武器とするしかない。」
 “青年の家”のメンバーは2千人以上だが、大部分は若年層である。彼らの多くはトルコで兵役に就き、実戦を戦った経験を持つ。ミサイルを発射する技術を持つ者、戦闘機や戦車を操縦できる者もいる。
 「我々はついにもっとも重大な時期に到達した。」これはママト・ノール(Mamat Noor)氏(20歳)の言葉である。「我々は武器を執るべきだ。我らの血と命も武器だ。戦いに使えるものは何でも武器だ。」
 ママト・チュルスンム(Mamat Tursunm)氏(40歳、ビジネスマン)は強調する。「中国当局がいかに残虐な手段で弾圧してこようとも、我々は決して屈しない。我々は戦いに備え、存分に戦える時機が来るのを待っている。」
 新疆に生きるウイグル人は、中国が他国と軍事的衝突を起こした時こそが、決起の絶好のチャンスだと考えている。事実、1962年の中印国境紛争の折りには、ウイグル人は一斉蜂起を行っている。珍宝島をめぐる中ソ両国の軍事衝突の際にも蜂起した。
 アブドゥルヘキム氏はこう予言する。中国が台湾に武力攻撃を仕掛けた時が、ウイグル人にとって次の反乱のチャンスとなるだろう、と。
 「こんどこそ、すべての東トルキスタンの民が我々に呼応するだろう。中国が午前4時に台湾を攻撃するとすれば、我々は午前3時に立ち上がる。」


(邦訳:1999/11/27)
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