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厳家其氏について

 厳家其氏は1989年の天安門事件における指導的役割を果たした知識人のひとりである。

 1942年江蘇省武進県生まれ。1964年に北京の中国科学技術大学を卒業し、中国社会科学院哲学研究所へ入所。85年に新設の中国社会科学院政治学研究所の所長に就任。86年から87年まで趙紫陽首相(当時)が指導する中央政治体制改革事務所に勤務。89年の天安門事件に際し民主化を要求。その後解職され、フランスに亡命し「民主中国戦線」の第一主席に就任。94年以降、米国コロンビア大学の客員研究員としてニューヨークに在住。最近は、月刊誌『九十年代』(臻善有限公司、香港)や『明報月刊』(明報出版公司、香港)において中国の諸問題に関して健筆をふるっている。

 『連邦中国構想』のほか、おもな著書に『首脳論』、『中国への公開状』、『亡命までの日々』(以上学生社より翻訳・刊行)、『文化大革命十年史(上・下)』(共著、岩波書店より翻訳・刊行)、『第三共和』(八方文化企業公司、アメリカ)など。近著に『民主怎様才能来到中国』(遠流出版公司、台北、1996年10月)がある。

 なお、厳氏は近年名前の表記を家其から家祺へ変更している。


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