東瀛小評  推薦文章


林思雲 『続・中国人と日本人―ホンネの対話』 あとがき
原題:「後記」
金谷譲 訳

                     林思雲/金谷譲 『続・中国人と日本人―ホンネの対話』 (日中出版、2006年5月20日発売予定)所収

  近代以後、中国と日本の両国には欧米崇拝の風潮が現れた。両国は欧米の文化を熱心に学び、理解しようとした。しかし、アジアの近隣諸国の文化については、ともに理解するところがすくなかった。
 日本は「脱亜入欧」のスローガンを唱えた。中国ははっきりとした形では「脱亜入欧」と唱えたことはない。しかし近代中国の重心は欧米国家のほうに片よっていた。一般の中国人は、海を隔てて指呼の間にある隣国日本よりも、はるか西半球の彼方にある米国のほうをよく知っていたのである。
  現在、中日両国の経済的な交流は拡大の一途をたどっている。二〇〇四年に中国は日本の最大の貿易パートナーとなった。だが両国の交流は、経済や貿易といういわば物質的なレベルに止まり、思想や文化のような精神的レベルの交流は、いまだにきわめて貧しい状態にある。
  両国の精神的な交流を妨げているのは、国家体制の違いという客観的な原因のほかに、さらに重要な主観的な原因があるというのが、私の見方である。それは、双方が、互いの思想・文化を理解することの重要性を軽視してきたことである。いまをさかのぼること一〇〇年前の二〇世紀初頭、中国は日本へ大量の留学生を送り込んでいた。しかし、日―本へやってきた留学生の目的は、日本の思想と文化を学ぶためではなかった。彼らが日本へやってきたのは、日本で欧米の思想と文化を学ぶためだった。彼らにとって日本は、欧米思想・文化への「中継ぎ駅」でしかなかったのだ。
  日本は、中国よりも早い時期に欧米の思想・文化を受け入れた。二〇世紀の初めの日本では、欧米の重要文献が多数日本語に翻訳されていた。
  明治時代の日本語は大量の漢字を使用していたから、中国人にとって、ひらがなとカタカナと文法さえ覚えれば、日本語の本を読めたのである。日本語の学習にかかる労力は、英語やフランス語などの西洋語に比べればはるかに少なくてすんだ。 梁啓超が一八九九年に発表した文章「日本語を学ぶ利益について(論学日本文之益)」は、日本語学習の利点を次のように数え上げている。
  「英語を学べば五、六年かかってやっとものになる。しかも初心者は政治学や経済学などの専門書は読めない。ところが日本語なら数日で目鼻がつき、数カ月経てばもう修了できる」
  当時、和文読解法≠ネるものを発明した人もいた。これは日本の漢文訓読法のようなもので、こういうものだ。日本語の文から、まず初めのほうにある漢字で書かれた主語を見つけ出す。そして次に、文章の終わりに置かれている漢字で書かれた動詞を見つける。さらに今度は文章の中ほどの、これも漢字で書かれている目的語を探し出す。しかるのちに、中国語の文法に従って主語―動詞―目的語の順に並び換えれば、それで日本語から中国語への翻訳は完了である。
  このような方法で訳出された中国語が、生硬でしかも難解であったことは言うまでもない。それでも中国人にはおおよその意味が把握できた。
  この時代の中国人の日本語学習熱は大変なもので、その結果が今日の中国語で使用されている、大量な日本人の造り出した日本語由来の漢字語彙である。
  しかし当時の中国人は、日本語学習をたんに欧米の思想・文化を知るための手段・道具としか見なしていなかった。日本自体の思想や文化を真剣に理解しようとした人間はごくわずかである。
  中国人の日本文化に対する無関心という状況は、今日でも変わっていない。夥しい数の中国人留学生が毎年、日本へやってくる。だがそのほとんどは日本で理工系の学問を学ぶためであって、いまだに日本は科学技術を学ぶための「中継ぎ駅」にすぎない。日本の文化を研究するために日本へ留学する中国人はごくわずかである。
  いま述べた主観的な原因に加えて、さまざまな客観的な要因もあり、日本の文化や日本の社会に対する中国人の知識と理解は、きわめて貧弱である。中国における現在の反日≠ヘ、日本を知り理解した上での理性的な日本反対ではなく、日本の実際のありさまをなにも知らず日本についてなにもわかってもいないまま、やみくもに反対しているのである。
  このような日本に対する無知無理解と、非理性的で盲目的な反日行動は、中日両国の関係に大変な危害をもたらす。中国人は、欧米文化を学ぶ時と同じくらいの熱心さで日本の思想や文化を学び、理解しようと努めるべきである。そしてそれが、未来の両国のよりよきパートナーとしての関係樹立の基礎となるだろう。私は、そう考えている。
  日本側の情況については、私は断定することを差し控える。しかし日本でも中国同様に欧米文化偏重の風潮があることを感じている。日本人は現代中国の思想や文化をあまり重視していないようだとも思う。
  私が金谷氏と二人で前作『中国人と日本人―ホンネの対話』に引きつづいて二作目にあたる本書を著したのは、両国間の相互理解のよすがのひとつともなればという思いからである。私たちのこの書が、両国の精神的交流を促進する誘い水となってくれることを願って止まない。
  私たち著者両人の紹介は金谷氏の「まえがき」でなされているので、ここでは繰り返さない。ただすこしだけ補足しておきたい。金谷譲氏は、私が日本で出会った、現代中国に強い関心を持ち、現代中国人の思想と文化に深い知識と理解を持った人物である。氏と中国・日本両国の思想・文化について意見を交わすのは、私にはとても楽しいことだ。これからも氏と、さらに踏み込んだテーマの対話を続けていきたいと思っている。  

  二〇〇六年四月

  林思雲
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