東瀛小評  


私は中国の反体制民主化運動を信用しない

                                2006年4月15日執筆

  「自由亜洲電台」という、在外中国人によるメディアが米国にある。民主主義と自由を標榜し、基本的に中国の政権に批判的な傾向をもっている。 すこし古い話になるが、その「自由亜洲電台」で2003年1月10日、王丹氏がコメントしていた。「尖閣諸島は曽慶紅にとって試金石となる(釣魚島事件考験曽慶紅)」という題である。  
  王丹氏といえば、1989年の天安門事件前夜の学生による民主化運動で指導的立場を演じた人物のひとりである。王丹氏は、感情にとらわれない理性派だったというのが私の印象である。氏が出獄後に著した回想録でもこの印象は強められた。そして柴玲女史のようにあとになって運動から脱落することもなく、現在までその立場は一貫している。  
  しかしこのコメントを見て、意外に思った。尖閣諸島の問題について、中国政府は日本に対して強硬な態度に出よというものだったからである。王丹氏は、曽慶紅の対日方針は売国行為であるとまで、言っている。

 「現実的な利益と引き換えに国を売るか。それとも国家の主権と尊厳のために代価を惜しまないか。曽慶紅はどちらかを選択すべきである」  

  当該の島嶼は中国領に決まっているという対話を拒絶した問答無用の態度に、「日本では近年、軍国主義が台頭してきており、一部の右翼人士が挑発的行動を取っている」。そして、釣魚島についての日本政府の最近の施策はその軍国主義化の潮流においてなされたものであるという、一面的なうえにステレオタイプな見方。中国政府筋の公式発言とそっくり同じである。文体までそっくりである。
 中国の反体制人士は、領土問題や国内の少数民族問題に関しては共産党や政府よりも「愛国的」であることがよくある。いまの中国の共産党政府は愛国的でない、だから反対するのだという立場を取っているからであろう。 当然、党や政府よりもいっそう「愛国的」である点を強調するようになって、主張が過激にはしることになるわけである。これは手段としての愛国主義といえる。本心かどうかは分からないという意味において。  
  そういえば、天安門事件のきっかけとなった学生運動も、「愛国」をスローガンにかかげていた。しかし学生たちは国内の民族問題には何のふれるところもなく、なかには、「少数民族の民族自決は国家の分裂を引き越すから許容しない」などという学生すらいたらしい。だから事件のあと、「彼らのいう民主と自由とはいったい何のことか」と、海外に亡命在住しているチベット人から皮肉られたりすることにもなった。  
  それまで私は、王丹氏は自民族中心主義の偏向がほとんどない、さらにはこの種の政治的な思惑に基づく発言をしない人だと思っていた。しかし「釣魚島事件考験曽慶紅」以来、印象が変わった。(ちなみに王丹氏は昨年・2005年5月――ということはつまり中国各地で吹き荒れたあの激しい反日デモの直後だが――には、「私はなぜ日本の国連安保理常任理事国入りに反対するか(我為什麼反対日本進入連合国常任理事国)」という声明を発表して、歴史問題をめぐって日本と日本人に向けて激烈な呪詛と罵倒を公に行っている。)
  私の尊敬する在日中国知識人の友人、林思雲氏は、中国が民主化しても反日風潮は収まらないだろうと、韓国が独裁体制から民主体制に移行してかえって反日が激化した例を引き合いにしながら私に言ったことがある。 王丹氏の言動を見ていると、そうかもしれないと思わされる。

  しかし、同時に私は、北野充・駐米公使が「ワシントン・タイムズ」で主張した論もまた、一理も二理もあると思うのである。  
  北野公使はこう書いている。

  「民主主義もまたナショナリズムを制御するうえで緊張をかえって激化させることはありうる。国民が敵に対し強硬な姿勢を取る際には、ポピュリズム的な傾向を持つ政府は、容易にそれを自らの政策方針として採用しがちである。さらに、民主主義的制度においても極端に排他的で自己中心的な観点が醸成されることはあり得る。グローバリズムの今日では、そのような態度は他国へただちに知れ渡り、今度は強硬な反応を引き起こすことになる。民主主義国家間においても実際このような悪循環が繰り返されうるのである。しかも、民主化の初期の段階においてはナショナリズムが高潮を見せがちであるし、またそれはひどく攻撃的な様相を呈しがちでもある。  しがしながら、すべての条件を考慮しても、民主主義の発達はナショナリズムをよく制御するのである。外交の領域においては、この意味において最悪のシナリオと呼べるのは政府が国民のナショナリズムを煽ることである。ナショナリズムは本質的に強い感情である。扇動されれば容易にコントロールの埒外になる。しかし、民主主義体制に特徴的であるところの公論は、危機に着目し、沈静化の影響力を行使する。非民主主義体制の国家においてはこの種のチェック・アンド・バランスの機能が存在しない」  ("Nationalism and Democracy," by Mitsuru Kitano, The Washington Times, September, 23, 2005 より抜粋翻訳)  

  民主主義とはシステム、制度である。しかしそれ以前に、個々の人間が「自分のことは自分で考えて判断し、その結果については自分で責任を取るのを当然として考える」生き方が前提として存在している。これをむずかしく言えば、「民主主義は、自己抑制能力と道徳的な自律性を持った個人を基礎とする、自発的な秩序形成の在り方である」とでもなるのだろうが、これはつまりは、「自律性」という一語に集約されるだろう。  
  独裁国家と民主主義国家の違いは、国民にまさにこの「自律性」を認めているかどうか、そして実際に国民一人一人がこの「自律性」を持っているかあるいは持とうとしているか)にあると、私は思っている。
 北野公使がこの論文で主張する、「危機に着目し、沈静化の影響力を行使する」、チェック・アンド・バランスの機能を担った“公論”とは、まさにこの自律性を持ったはずの個々人の意見が集まったものを指していると思われる。またそうでなければ機能を果たさないであろう。韓国は、制度としては、つまりハード面においては確かに民主主義化されたが、国民の思考様式、ソフト面の民主化についてはまだ十分ではないのだろう。そう、私は見ている。
 (ここで念のために言っておくが、私は、日本がこの意味において完全に民主主義的であると言っているわけではない。しかし韓国、そして中国と比較した場合、日本のほうがより民主化されているとは思っている。韓国や中国における反日デモと日本における反韓・反中デモとの規模や在りかたの差が、私の見方があながち的はずれではない証拠になると思う。)
 
  ところで中国の民主化を提唱する中国人――海外の“民運人士”に限らない――は、「民主と自由」とよく口にする。民主主義と個人的自由の謂である。 しかし、この二つを分けて並べているこのスローガンは、本当はおかしい。  
  なぜなら、先に触れたように、民主主義は個人の自由(ただし自分以外の他人が持つ同様の自由を侵害しない範囲での)を不可欠の前提にしていて、個人的自由のない民主主義などありえないからである。私は、この言葉を聞くたびに、これも先ほど触れたチベット人ではないが、「彼らの言う民主と自由とはいったい何のことか」と、やや意味は違うながら、言いたくなるのである。  
  ホッブスの『リヴァイアサン』は、西欧で初めて個人としての人間存在を基本単位とした国家論・政治論を展開した著作とされている。ホッブズの個人主義の思想的な拠り所となっているのは、ギリシアのエピクロスが唱えた原子論であるが、そのエピクロスには、「自然の正は、互いに加害したり加害されたりしないようにとの相互利益のための約定である」(主要教説三一。岩崎允胤訳)、「正義は、それ自体で存する或るものではない。それはむしろ、いつどんな場所でにせよ、人間の相互的な交通のさいに、互いに加害したり加害されたりしないことにかんして結ばれる一種の契約である」(主要教説三三。岩崎允胤訳)という言葉がある。中国の民主化運動に関わる人たちは、例えばこのエピクロスの言葉を聞いて、どう思うだろうか。   
  天安門事件後、国外に亡命した民主化運動の闘士たちは最初、政治亡命者の受け入れに寛容だったフランスに集まった。彼らは事件の三か月後の89年9月、パリで「民主中国陣線」を結成する。だが「民主中国陣線」は、最高指導者争いと不明朗な会計処理をめぐる内紛でたちまち分裂してしまう。「中国共産党は40年で腐敗したが、民主化運動組織はたった4か月で腐敗した」と当時、評された。  
  その後、彼ら亡命者の大多数は米国へ居を移し、海外における中国民主化運動の中心が米国である今日を生み出すことになるのだが、米国での彼らにもまた、組織内における権力争いや金銭的腐敗の噂が絶えない。中国政府の独裁政治と腐敗を指弾する者が、つまりは同じことをしているわけである。いくら制度が変わっても人間の精神が変わらなければ意味がないのではないかと思わされる。  
  反体制派・民主派人士の思考と行動の様式は共産党政府と基本的に同じである。彼等は、自分たちの“正義”以外の異見の存在を認めない。そして、自他の「自律性」を重視する意識に乏しい。  
  だから私は、彼らが本当に「民主と自由」の理念の徒であるかを疑う。  
  そして私は、民主派が政権を取った“民主”中国でも日本との関係改善はおそらくないだろうという林思雲氏の予測に賛成する。
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