東瀛小評  


ある日中友好都市関係の破産

                                2006年4月14日執筆

  岡山県・岡山市と中国河南省・洛陽市両市は1981(昭和56)年以来、姉妹都市として友好関係を結んで交流していたのだが、ある事件の結果、この関係は洛陽市側によって2003(平成15)年、一方的に“凍結”された。

  事件の概要は、以下の通りである。  
  岡山市が台湾の新竹市と2003(平成15)年に「友好交流協定」を結んで姉妹都市となると、洛陽市長の名で岡山市長あてに「協定書のなかに中華民国という国名の記載を許したことは日中共同声明、日中平和友好条約、日中共同宣言に背くものであるから誤りを是正せよ」という内容の親書が届いた。岡山市側の「本市は、あくまで都市と都市、市民と市民、人と人との友好交流として(姉妹都市関係の事業)に取り組んでいるものであり、国の政治や外交関係などに影響されるものでもなく、また影響を与えようとするものでもない」という返書に対して、洛陽市側は「岡山市が誤りを正さなかった」として、一方的に友好都市関係の“凍結”(つまりは解消)を通告した。  
  この経緯については、当時の諸報道のほか、岡山市役所のホームページに関係文書の全文とともに詳細な説明がある。
  (http://www.city.okayama.okayama.jp/shimin/kokusai/international_news/2003shinchiku-kyoutei.htm)
 
  この岡山市役所のホームページで提示されている岡山市と新竹市の間で交わされた友好交流協定書の写真を見ると、岡山市側が洛陽市に送った返書にもある通り、本文に「中華民国」の文字は見えない。あるのは市名だけである。しかも萩原誠司・岡山市長は署名欄においてさえ「岡山市民の為に 萩原誠司」と、市長としての肩書きもしるしていない。これはそれまでに洛陽市が再三表明していた「協定書に国名の表示をしないように」というメッセージに応えたものであることは容易に推察できる。問題の「中華民国」という字句は、「中華民国 台湾 新竹市 林政則」という新竹市長によるサイン部分にしか見えない。しかしこのサインが為されたのは中国語版(新竹市側が所持する)のほうだけであり、日本語版のほうには「台湾 新竹市 林政則」としか書かれていないのである(言わでものことだが台湾は国名ではなくて地名である)。新竹市側も岡山市の立場に配慮したと考えられる。
 
  洛陽市は、協定が締結される以前から、岡山市に対し「協定書に国名の表示をしないように」と再三申し入れるだけでなく「新竹市との友好都市関係締結をやめるように」と要求していたそうである。どんな権限があるのかと驚く。  
  しかし、ここで、「面子とは法律や憲法をも凌駕する地位に立ったということである」という林語堂の言葉や、「自分が誰よりも偉いと見なし、何でも自分の思い通りになるのが当然と思うこと」である“中華思想”を理解のカギとして使えば、洛陽市の言動は納得がいく。  
  洛陽市政府が言うところの「友好」とは、自分が相手より上位であることを前提としたものであり、かつ自分の言うことに相手がそのとおり従うことではないかということだ。  
  そして洛陽市政府に限らず中国政府が言うところの「平和」とは、その状態が安定して持続することの謂いではないか。私にはそう思えてならない。  
  さらに思うのだが、「敵対行為」、「挑発」、あるいは「覇権主義」などという、「友好」や「平和」の反対語は、相手が自分と対等な立場で振る舞おうとしたり、自分の身勝手な要求をすこしでも拒絶することを批判非難するときに使う言葉ではなかろうか。  
  例えば、中国が東シナ海の日中境界線付近で開発を進めている石油ガス田の問題をめぐっての日本側の要求は、「中間線付近のガス田の日本側海域まで続いているから日本に所属する海底資源が中国に吸い取られることになるので作業を中止してほしい」というものである。自国にとって当然の権利を主張しているだけである。しかしそれを中国側のすくなくとも一部の愛国強硬派が、日本が中国に対して戦争を起こそうとしている兆候であるとして見なすのは、いま言ったような考え方が根底にあるせいではないか。  
  そして、旧中国時代なら言うことをきかなくてもあれは無知野蛮な夷狄だから仕方がないと軽蔑するだけで終わりだったところが、現在では武力にものを言わせて言うとおりにさせようとする傾向が強くなってきていると、見なすべきではないか。
inserted by FC2 system