東瀛小評  推薦文章


林思雲 『中国人と日本人―ホンネの対話』 あとがき
原題:「後記」
金谷譲 訳

                               林思雲/金谷譲 『中国人と日本人―ホンネの対話』 (日中出版、2005年7月)所収

  中国と日本の関係は近年、“経済的にはますます熱く、政治的にはますます冷たく”という悪い方向をたどっている。NHKの世論調査によれば、一九七八年には日本人は六二パーセントが中国に対して好感を持っていたが、二〇〇一年にはこれが四七パーセントに下がった。内閣府の調査では、二〇〇四年のサッカーアジアカップにおいて中国人民衆が見せた日本人サポーターへの攻撃的な言動の影響で、中国へ好感を持つ割合はさらに三七パーセントへと急激に下落している。さらに、二〇〇五年に中国各地で発生した大規模な反日デモと関連施設への破壊は、日本人の中国への好感度をいっそう下降させることは避けられないだろう。中国ではまだ正式な世論調査というものが存在しないが、社会科学院の日本研究所が二〇〇二年に行った非公式の民意調査によれば、「日本に親近感を持つか」という質問に「持つ」と答えた中国人は、わずか六パーセントであった。  
  中日関係の現状を形成している原因はさまざまである。しかしその中でもきわめて重要な要素として、双方に必要な知識や理解、そしてコミュニケーションが欠けていることが挙げられる。そして、大部分の中国人が持っている日本に関する知識がきわめて限られているため、今日の反日風潮は感情に基づくものであり、理性的な思考に基づく戦略や政略ではないことを私は認めざるをえない。いまの中国では、「反日に理由はいらない」というはやり言葉まであるくらいなのである。  
  エジプトがイスラエルにどうしても勝てないのは、エジプト人がイスラエルのことをなにも知らないからだというエジプト人の文章を読んだことがある。エジプト人がイスラエルのことを知らないのは、エジプト人がイスラエルについて客観的に見ることが感情的にできないからであり、だからイスラエルのどこが自分たちに比べて優れているのが認識できないのだという。そのため、イスラエルに対してどう対処すべきかもわからない。現在の中国人の日本に対する感情には、この心理にかなり近いものがある。感情にとらわれて日本を冷静に研究することができないのである。  
  したがって、中国の多くの反日的言動は、すべて根拠となるべき証拠に欠けた憶測と主観的な思いこみに基づくものばかりである。私がこれまで日本を客観的に紹介する文章をいくつも書いてインターネットで発表してきたのは、中国人の日本に対する知識と理解を深めたいと願ってのことだった。  
  だがそのいっぽうで、私は日本人の中国人に対する無理解をも痛感するのである。その程度のはなはだしさは、われわれ中国人からすれば想像もできないほどである。
  私の個人的な経験をお話しよう。
  ある日本人は、「あなたが住んでいる場所には電灯がありますか」と、私にたずねた。また別のある日本人は、「日本に来てこんなに早く漢字を書けるようになるなんてすごい」と言って、私が書いた漢字を上手だとほめた。私が「中国人ですから漢字が書けるのは当然ですよ」と答えると、その人は「中国人も漢字が書けるんですか」といぶかしげにききかえした。
  ある二つの国の間での交流が少なければ少ないほど、それに応じて相互の理解度も減少して、相手への盲目的な好感が生まれやすいだろう。たとえば中国と南米諸国の交流はきわめて少ない。そして一般の中国人の南米諸国に対する印象は良好である。一九七〇年代の日本人の中国との接触は、程度においてこの例とそれほど変わらなかった。だから中国に対して盲目的に“好感”を持ったのだろう。つまり、うわべだけの現象だったのだ。  
  しかし近年、両国はともに、相手との接触が頻繁に、また緊密になっている。日本人の多くが、中国人の実際の姿や性格がそれまで想像していたものとは違っていることを次第に知るようになった。そこに大きなギャップが生まれたのである。このこともまた、日本人の中国に対する親近感の低下をもたらした原因のひとつだと思う。  
  小泉首相は二〇〇五年五月一六日、衆議院での靖国神社参拝の問題をめぐる論議のなかで、「靖国に参拝してはいけない理由がわからない」と述べた。私は、中国人がなぜ靖国神社参拝に反対するのか、彼がほんとうに理解していないのだろうと思う。日本において、参拝反対を唱える人の理由は、憲法違反だからとか、周辺の国家との関係を緊張させるからといった、法律的や実利的な観点からのものである。倫理や道徳の面からの批判はほとんど聞くことがない。それは、一般の日本人の考え方において、靖国神社に参拝することが倫理道徳に抵触することではないからだろう。   
  だが、中国人が靖国神社参拝に反対するのは、まさにこの倫理や道徳の観点からするものなのである。中国人の目にはA級戦犯を祀る靖国神社の行いは倫理に悖る、極めて非道徳的な行為と映る。さらには、中国という国家への侮辱であると同時に、中国人の人格への侮辱もしくは冒涜とすら見なす。激しく怒るのは当然なのである。「靖国神社への参拝は中国人民の感情を傷つけた」とは中国側の常に口にするところだが、日本側は「中国人民の感情を傷つけた」原因がどこにあるのかをあまり考えていないように思える。  
  これはつまり、靖国神社参拝問題をはじめ、歴史問題をめぐる中日両国の争いは、じつのところ政治の範疇を超えているということなのである。いわばこれは、“文化の衝突”とも言うべきものなのだ。そして文化の衝突であれば政治的な方法では解決できないに違いない。  
  このような“文化の衝突”を解決するためには、両国の国民が互いの理解――とりわけ相手の“民族的性格”についての理解――をいっそう深めるほかはないと私は考える。私たちはこの本において、中国と日本双方の思考様式や行動様式の違いといったものを意識して取りあげようとした。
  金谷氏は中国をよく知る人物である。氏は中国で学び、しばらく生活されたこともある。氏は、中国および日本の両方を深く知る、まれに見る人物である。氏の日本の歴史と文化について、また中国の歴史と文化についての独創的な見解には、私は常々心から敬服してきた。  
  私たちは、ある集まりの席で深夜まで語り合った。だが私も氏も、それではまだ語り足りないと思った。そうして、期せずしていっしょに両国の文化の違いを紹介し、両国の人々がお互いの“民族的性格”を理解することの助けとなるようなものを書いてみようということになった。それが、この本が出版されるきっかけだった。  
  本書が、日本人の読者のみなさんにとって、中国人とはどのような人々であるのか、そして自分たちとどこが違うのかを理解するための一助になれば幸いである。

  二〇〇五年五月

  林思雲
inserted by FC2 system