東瀛小評  推薦文章


程映虹 「選択され、操られている愛と憎しみ--中国問題専門家のテリル氏とフリドマン氏が反日デモの裏を探る」
原題:「有選択和被操縦的愛和恨」
「大紀元」翻訳グループ 訳

                                      「大紀元」日本ネット6月24日掲載
                                
(http://www.epochtimes.jp/jp/2005/06/html/d42810.html)   


  最近、中国各地で強烈な反日という波が相次いで引き起こされた。「引き起こされた」という言葉はもっとも適切であろう。なぜならば、中共独裁政権の中で、このような大規模なデモは、中国共産党の操縦とコントロールがなければ、実現することがないからである。  
  中国政府が操縦した反日運動の裏には、隠されている戦略的な目的がある。今、中共政権は、アジアでの経済と国際政治において、唯一のライバルは日本であると認識している。中国がアジアの先頭に立つには、できるだけ長期的に日本を押さえつける必要がある。日本は経済大国ではあるが、軍事大国ではないゆえ、国際政治への影響力は中国に及ばない。中国の優勢を保つために、最も利用しやすい材料は、日本の「歴史の罪人」というイメージを維持することである。  
  そのため、この20年間、頻繁に戦争責任ということを取り上げては、謝罪や賠償を持ち出し、あるいは領土問題を突きつけ、日本を叩いてきたのである。おそらく、中国政府はこれらの材料を、まだ使い続けることであろう。この意味から言えば、中国政府は、日本政府の戦争問題に関する二度目の正式な謝罪や、靖国神社への参拝中止を、してほしくはないであろう。  
  一方で、「反日」は中国共産党の政治的な道具である以上、すべての流れは、中国共産党の思惑通りに運ばなければならない。独裁統治の中国では、国民は自己の意思によって、意見を表現する自由はない。従って、国民感情の表現は、中国政府の外交政策における道具に過ぎないのである。  
  もう一方で、今回の反日デモは、国際社会にも大きな影響を及ぼした。一部の専門家は、東アジアと中国の未来への配慮から、中共政権の歴史問題に関する二重の基準という対応を厳しく批判した。「中共政権は、日本による歴史問題の改ざんと隠蔽を非難すると同時に、自分たちが執政して以来、中国国民にもたらした、日中戦争よりも遥かに悲惨な苦難の事実を、懸命に隠蔽している」という、アメリカのロス・テリル氏やエドウード・フリドマン氏の意見は、その代表である。


ロス・テリル氏:「反日デモは茶番劇である」

  ハーバード大学のロス・テリル氏は、4月22日、オーストラリアの全国紙である「オーストラリアン」に文章を発表し、最近の中日関係における変化について論じた。同氏は中国近現代歴史研究、特に中国革命と毛沢東主義の専門家であり、欧米の学界に強い影響力を有している。その著書は、「毛沢東伝」を含め、中国でも出版されている。今までのテリル氏の研究経歴、観点、及びその観点が中国学術界に受け入れられた事実から見れば、決して、一貫として中共政権を批判する立場の学者ではない。      
  テリル氏は、中共政権による歴史事実の操作を一種の茶番劇と見ている。「国際社会における中国政府の拙い外交手段は、国内での独裁体制によるものである。謝罪問題、教科書問題、無人島の領有権問題、戦争の記憶――-これらの問題は、すべて中国独裁政権による茶番劇の道具であり、文化と外交政策のために利用されている。また、中国において、権力と真相は同質のものである。これは昔の王朝においても、現在の中国共産党政権においても変りはない。中共政権により、監督されている劇の中で、役を演じさせられている国民は、指定された時にしか、叫び声や呻き声を出すことしか出来ない」
 「長年、中国国民は、中国共産党が監督した政治という劇の中で、数多くのでたらめな愛憎を体験した。その劇の結末は、いつも予想外な展開となる。共和国の国民は、初めにソ連を愛するように教えられたが、後には憎むように要求された。50年代、インドは中国に尊敬されている国家であったが、60年代になると、敵国へと変った。かつて、ベトナムと中国は戦友として、とても親密な関係にあったが、1979年になると、中国はベトナムへの侵略戦争を発動した。 1972年、当時の日本の首相である田中氏が、戦争問題に関して、毛沢東に謝罪をした際、毛沢東は彼の口を止め、『日本による侵略の“助け”がなければ、 1949年の中国共産党の革命勝利もない』と言った。つまり、中国共産党は日本を恨むことより、愛すべきなのである」
  また、テリル氏は、歴史問題や教科書問題に関して、中日社会制度の違いにより、両国の対応について、明らかな違いがあると指摘した。「中国では、共産党政権が統治してきたこの56年間、国民にもたらした数々の苦難を、暴露するような書物の出版を許可されたことは、一度もなかった。しかし、日本では軍国主義を厳しく批判する著書は、数多く出版されており、しかも大勢の読者がいる。日本には、多種多様な教科書があり、文部省の認定を受けたものもあれば、民間に編集されたものもある。しかし、中国の教科書は全部統一であり、政府の立場を代表しているものしかない。中国の中学校の歴史教科書には、日本による侵略を記述した内容が数多くあるが、元の時代に、中国が日本を侵略したことや、漢の時代にベトナムを征服して、1000年以上植民地化した、といった歴史の記述は、まったく見あたらない」  
  そして、テリル氏は、今回の反日騒動劇の結末について、次のように述べた。「最終的には、双方とも関係の安定を図るだろう。だが、日本は民主国家であり、中国は独裁国家である。これが変らないかぎり、中国の政治制度が中日関係のトラブルの源となるに違いない」  さらに、テリル氏は、反日カードを弄ぶ中国に対して、次のように警告した。「中国はすでに中日関係から多大な利益を得ており、特に経済面においての収穫は多い。しかも、過去の戦争によってもたらされた苦難の歴史も、中国政府に茶番化されては有効に利用されている。しかし、日本の中国に対する態度は、すでに変わってきている。中国政府は、これについて勘違いをしているかもしれない。北京(中共本部)は、破局を迎えるような中日関係の危機から、必ず引き下がる。なぜならば、破局した結果に耐えられないからである。問題は、東京(日本政府)が、中国からの侮辱、暴力行為と歴史の歪曲に対して、いつまで辛抱できるかということである」。


エドウード・フリドマン氏:中国の学生は、なぜ日本を敵視するのか?

  エドウード・フリドマン氏は、アメリカ・ウィスコンシン大学マディソン分校の著名な政治学教授であり、50年代末から、中国共産党を研究し続けている。フリドマン氏も、中国の学術界に影響力がある西側学者の一人である。文化大革命前後、エドウード・フリドマン氏の学術観点は、濃厚な自由派と左派の色を帯びていた。80年代、「中国季刊」という雑誌に、毛沢東思想とアインシュタイン理論を結びつける論文さえ発表したことがある。そのため、中国の著名な科学史の研究家、異見者である許良英氏より、厳しく批判された。しかし、その後、フリドマン氏の中国共産党に対する見方が大きく変わった。現在は、毛沢東、スターリン、ヒトラーが、歴史における同類の人物であると見ている。  
  海外の『中国電子報』に転載された文章によると、テリル氏と同じ、フリドマン氏も、中国青年の愛憎が、共産党により操縦されていることを指摘した。「ロシアに憎しみをもたせようとした際、中国共産党は、青年たちにロシアに占領された土地の面積の数字を細かく暗記させ、ロシアを討伐するために、数千数万もの青年が、新疆(中国とソ連の国境)に集結した。しかし、歴史から考えれば、『南京大虐殺』の方が遥かに身近であるはずだが、当時の学生らは反日デモをする気がなかった。なぜならば、毛沢東は、日本の侵略に関して、日本人に感謝の意を表したのである。『南京大虐殺』のような事件についても、毛沢東自身は、彼のすべての談話や文章の中で、これについて触れたことなどはまったくなかった」  
  更に、「このように選択され、操られている愛憎が、中国共産党の政治目的のために利用されている」と指摘した。「毛沢東の時代には、中国共産党の国際的な目標は、世界革命の指導者になることであった。そのため、当時の共産圏のリーダーであるソ連を嫉妬し、恨み続けていた。毛時代後、中国共産党の世界戦略は、過去の中華帝国を復興させ、東アジアの先頭に立つことに移り変わった。そのために、東アジアの強国である日本への憎しみを、一生懸命に扇動し始めた。最近になって、日本が国連常任理事国入りの意向を表したことによって、中国の対日恐怖感と憎悪感が一層増長された」。

 
学生運動は自国政府を対象にすべきである

  テリル氏と同様に、フリドマン氏も、日本の政治制度の民主化と意識形態の多元化を注目すべきであると指摘している。フリドマン氏が『USA TODAY』新聞の取材を受けた際、このように語った。「多くの中国人は、一つの基本的な事実を知らないのである。つまり、日本はすでに民主国家になっている、ということである。歴史の事実を歪曲した日本の教科書問題に、憤慨を感じることは理解できるが、実際には、右翼の影響を受けて、文部省の検定を通過した教科書を利用している歴史教師は、あまり多くはない。一方、中国で統一使用されている歴史教科書の中には、中国共産党統治の悪行をまったく記述していないばかりでなく、歴史上の中華帝国の対外拡張や漢民族化運動によって、他の民族に与えた多大な災難については、まったく記述されていない。たとえば、明の時代には、対外拡張により、数百万人の少数民族の命が失われたが、これについて、中国の教科書では一言も触れていない。アメリカ・マサチューセッツ工科大学歴史学部の主任、中国歴史の専門家であるピーター・パーデュ氏は、最近この事実をメインテーマにした著書を出版した。実際には、日本人は、多くの中国人に思われているように、謝ることを知らないのではなく、すでに21回も謝罪を表明している」     
  フリドマン氏は、対照として、台湾のことに触れ、「台湾は、平和で危険性がなく、民主的な社会である」と評価した。また、「今の中国における健全な学生運動であれば、『台湾を攻撃するな』というスローガンの下で行うべきであろう」と指摘した。「学生運動は、いつも自国政府を対象にするはずであるが、中国だけは、政府による政治の道具として利用されている。これはとても悲しいことである。感情的に盛り上った愛国の学生らが、100パーセント政府に制定された時間割と行動路線に従ってデモを行い、しかも、国内の敏感な問題に一切触れないことは、非常に不自然な現象である。本来なら、これらの敏感な問題を訴えることこそ、学生運動の本来の目標と言える」。  


道義的資源の乱用により招いた悪影響

  テリル氏とフリドマン氏は、共に中国政策の理解者であった。だが、中国共産党政権が学生を利用して、反日運動を起こす行為に対して、両氏は共に厳しく批判した。この事実から、一つの重要な問題が浮き彫りにされる。つまり、近年来、中国は国際経済交流の場では、そこそこ良い結果を残したが、政治と道義においては、むしろ大きく後退した。その結果、過去中国共産党に、多少親近感を持っていた学者らも、中国から離れていくようになった。この流れは、「天安門大虐殺」から始まったことである。80年代に、改革開放の政策により、経済の発展を促した中国は、国際社会に比較的良い印象を与えたが、1989年の「天安門大虐殺」を分岐点として、その後の人権記録や、言論自由の抑圧、法輪功に対する弾圧などによって、国家のイメージが急落していった。今回の反日運動において、本来ならば、中国は過去の歴史の被害者であり、国際社会の同情が集まるはずであるが、実際の状況は正反対であった。多くの国際世論は、中国のやり方に理解しがたい旨を表明し、かえって日本に同情を示し、日本に対し適切な国際的地位を、与えることを考えるようになった。  
  このような、国際政治と道義的資源を乱用し、国際社会に理解しがたい印象を与え、近隣諸国に背を向けられる国策は、21世紀の中国指導者らの政治的英知なのであろうか。        

  (注:作者はアメリカ在住中国留学生、国際共産主義運動研究者。現在南イリノイ大学歴史学科で教職に就いている)

[中国語版又は英語版]:http://epochtimes.com/gb/5/5/29/n937482.htm
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