東瀛小評  推薦文章


劉暁波 「中国政府に操られた反日デモ」
原題:「被官方操控的反日風潮」
「大紀元」翻訳グループ 訳

                                      「大紀元」日本ネット4月31日掲載
                                       
(原文BBC4月20日掲載)      


  本来、デモ自体が厳しく制限されている中国でこのほど、20以上の省の約40都市にわたって反日デモが起こったことは、確かに珍しいことだ。さらに目立ったのは、三大都市の北京、広州、上海の政治的安定を守るのが、これまで通り中共に最重要視されていることだ。中共は、これらの都市で大規模な政治的街頭活動が発生するのを最も恐れている。平時には、数人、さらに一人のデモさえも許さないはずであるが、今はこの三大都市で、デモ行進があるのみならず、規模も一万人以上だった。
  世論は、今回の反日風潮は政府筋に操られているものだと疑っているが、中共の政府関係者は、これに関する質問及び指摘に対しては、堂々と否認している。
  大陸における反日風潮は、日本からの強烈な抗議を引き起こしたと同時に、海外におけるマスメディアからの注目を浴びている。これに関連する追跡報道やホット・コメントが相次いで出た。イギリスのガーディアン紙はこれを「火山の大爆発」と表現した。さらに「反日の波が激しい勢いで中国全土にわたった」という騒動を大きくするニュース・タイトルも出てきた。しかし、コントロールを失うことを懸念している人も少なくない。私が受けた海外の取材の中で、ほとんどの記者は、次のような質問を出している。「中国政府が反日風潮へのコントロールを失う可能性はあるとみていますか」。
  私に言わせれば、中国の反日風潮は、「激しい勢い」はなく、「コントロールの失う」までに至る可能性もない。なぜかというと、中共の現政権は反日風潮のリズム、プロセス、強さ、そして規模をしっかりとコントロールしているからだ。
  無論、すべてが密かに行われている中国では、外部が確実な証拠を出すことは難しいが、我々は注意深く今回の反日風潮にある現象を分析すれば、やはり微かな手がかりを見つかることができる。

  1.反日デモを操る中心地とその順番

  今まで、中国における反日風潮における二回のピークは、ともに南北の二大都市地域などが中心的な役割を果たしている。ピークはその都度二日で続いて、それに次いでいるのが、政府からの警告である。
  第一弾のデモは、南北の二大重要な都市によって遂行された。4月9日の風潮は、政治の中心である北京で遂行されたが、十日のデモは、珠江三角洲という経済の発達した地域の重要な都市である広州と深せんである。
  このデモが終わった後、インターネットで貼り出された第二弾の反日デモの呼びかけに対して、北京市公安局は、14日に次のような警告を発した。デモをしようとするとき、関係機関に申し出をしなければならないが、「関係機関からの許可をもらわなかったデモに対して、法的に責任を追及する」果たして、その後北京ではデモが起こったことがなかった。  
  第二弾の反日デモも南北のいくつかの都市によって遂行されたのである。日本の外務大臣が訪中する前の4月16日、長江三角洲にある経済の中心である上海と北の大都会の天津などのところで、同時にデモが起こった。17日、北の遼寧省の行政府の所在地である瀋陽及び四川省の行政府の所在地である成都などの地域でデモが発生した。
  デモが終わった後、上海市役所のスポークスマンの焦揚は間もなく次のように警告した。「集会、パレード、デモを行うとき、“中華人民共和国集会、パレード、デモに関する法律”により、公安機関に申請して、許可を得て……許可されなかったデモには参加してはいけない」。上海市公安局はこれと同時に次のように宣告した。「デモに紛れ込んでいる極めて少数の違法な人物を逮捕した」「法律に従って厳しく処罰を与える」。
  同じところ、中共の最大の政府代弁者である人民日報は4月17日、「調和の社会を築くことから安定の問題を見据える」という論評を発表した。これはケ小平のいつもの論調を次のように再び繰り返した。「中国の問題は、安定が絶対に必要だ。安定した環境がなければ、何もできず、すでに手に入れた成果も失う可能性もある」。デモに対して沈黙を守っている三大ニュース・サイトは、この論評をニュース・ページの目立ったところに置いた。  
  最も矛盾していることは、政府筋からの公告の発表時間である。北京と上海は、ともにデモが終わってから警告を発表したが、二回の反日デモを呼びかける情報は、インターネットですでに広がっていた。ある意味で、これは事前に公にした「デモ」である。政府が知らないわけがない。なぜ政府はデモの前に警告せず、デモの後で発表したのか。これは明らかに、ある程度の規模での街頭反日運動が必要だが、またある程度の規模と時間内で抑えてほしい、ということであろう。
  また、香港の「明報」紙18日日付の報道によれば、中共の首領である胡錦濤は、自ら日本に刺激を与える鹿瀬委のある、軍側の検討会をやめるよう命じた。
  北京と上海の地方当局から発する警告、そして党の首領の自らの命令によるメッセージは明確である。これは、街頭の反日運動がここで終了し、第三弾のピークはもうない、ということである。

  2.反日デモをコントロールする規模と強さの類似性

  大都市の反日デモは、参加人数、反日の方式、そして行為の強さの面で見れば、ほとんど同じである。
  第一に、反日デモの中心的役割を担った大都市の参与人数は、北京、上海、そして広州のように、大体1〜2万人の範囲内にコントロールされていることだ。他の都市では、数千人の範囲内にコントロールされている。
  街頭反日運動が発生する前のネット上の運動は、反日デモの規模を観察する参考になる数字と見なしてもいいだろう。ネット上の反日運動への署名者は、二千八百万人に上ったので、署名した氏名のその多さから、閲覧者は大いに意気軒昂したであろう。しかし、各都市でのデモ参加者の人数は、多くても2万人だった。この二つの活動の参加者数は、比較にならないほど違いがある。前者は、後者の1,400倍であり、その大きな格差から、信憑性が疑われても当然である。
  第二に、デモで掲げた横断幕に書かれたスローガンは、ほとんど同じであることだ。例えば、「我が中華を愛し、日本の常任理事国入りに反対しよう」「新版歴史教科書に抗議、釣魚島(尖閣諸島)を守ろう」「日本の謝罪を求めよう」「日本製品をボイコットしよう」などである。
  第三に、各都市の反日デモの強さも基本的に同じであることだ。日本の国旗と小泉の画像を燃やすほか、抗議活動において、ある程度の暴力行為を取り入れている。例えば、石、瓶などのものを投げたり、日本大使館などの建物の窓を壊して、道中日本の車、日本のレストラン、そして日系企業の公告看板を壊したりする。最も深刻な暴力行為は、デモと違っているところで行われた。二人の日本大学生はあるレストランで、人にビールの瓶と灰皿で頭部を殴られた。
  これらの暴力行為は、人を殴る事件を除いて、他の行為はすべてデモのとき発生したものである。
  ニューヨーク・タイムズ社北京駐在事務所の主任・周看氏の報道は、「政府による操作」の存在を証明した。ある北京のデモに参加した学生は、周看氏の取材を受けるとき、次のように語った。警察はデモ参加者をグループで分けて、彼らに順番で石を投げさせ、その後、警察は彼らに「お前はもう怒りを晴らした。もういい」と言いながら、観光バスで彼らを学校に運んだ。この学生は記者に「これは半分はデモですが、半分は政治的パフォマンスでした」と言った。彼は自分が操り人形のような存在だと語った。
  また、中共の政権は、一貫して権力への恐怖を醸し出した。彼らは、反日デモの拡大を放任すると同時に、反体制者や反日活動にかかわる人へのコントロールを強めた。中共は、敏感な時期に入ると、「敏感な人物」を厳しくコントロールすると同時に、一部の反日愛国の民間組織のリーダーに何度か分けて郊外に「休日を過ごさせ」た。例えば、中国民間保釣(尖閣諸島を守る)連合会、愛国者同盟ネット、日本製品をボイコットする連盟などの伝統的な反日団体の責任者を数回に分けて北京郊外にある会議センターへ送り込んで、中で彼らに水泳、ボールなどの遊びをさせ、外出を許さなかった。

 
  3.内外を区別する操られた宣伝パターン

  最も明らかな操作は、マスコミの報道である。今、中国における体制の下で、多くの重要な都市で大規模なデモが発生するのが、間違いなく珍しいホット・ニュースである。従って、世界の各大手新聞社は、目立つところにこのニュースを載せ、そしてたくさんの写真、取材、また論評を添えたが、中共政権は、そのとき、国内のメディアに反日風潮への報道を抑えるよう、という指令を下した。それによって、中国のメディアは、反日風潮に対して沈黙を守っているので、まるで何も起こらなかったようだ。新華社がこれについていくつかの短いニュースを発信したが、他のテレビ、ラジオ、新聞はこれについての報道が何もなされなかった。各サイトも沈黙を保ち、政府筋のサイトとテーマ別のサイトには何の報道もなかった。一部の有名な民間掲示板にも、それに関連する情報も少ない。国内のメディアより開放度の高い香港の鳳凰衛視テレビ局も関連する報道はほとんどなかった。
  しかし、新華社の外国のメディアに提供する英文の報道原稿は、より詳しくデモの詳細を紹介した。またこれらの報道は、反日運動に参加者の人数と中国人の反日感情を誇張するねらいもあると思われる。例えば、新華社の16日の英文の報道原稿は、上海のデモ参加者数は10万人に上った、と言ったが、AP、AFP、BBC、そして日本のメディアなどの外国の中国に駐在する数社のメディアの報道した反日運動に参加者数は、少なくて数千人、多くとも2万人くらいだ、と報道された。
  このような内外の区別する宣伝パターンは、明らかに国内の安定のためだが、またこの事件を国際的に注目される焦点とする意図もある。また、これによって、中共政権は民意とデモの権利への尊重を示したが、日本の「常任理事国入り」を阻止する目的を果たすため、現政権の外交政策は、民意からの強い支持を得ているのだと示すことができた。 
  これは中国のマスメディアの最も悲しいことである。すべての国際で注目されている中国に関するホット・ニュースは、ただ中国のメディアは、ほとんど「局外に立つ」また「何の関心を示さない」。中国国内で起こった事件について、ニュースの価値があればあるほど、中国のメディアは、取材の席をはずさざるを得ない。しかし、これは決してただ政権によるものではない。各メディアとメディアのスタッフの従順さによるものである。彼らは自ら進んで「代弁者」を務め、積極的に、或は仕方がなく独裁体制に協力しているのであろう。政府は、これらの街頭活動をすでに恩典をもって許したのに、メディアはなぜ報道しないのだろうか。もしも、国内数十社のメディアがこれを同時に報道すれば、中共の宣伝部はなすすべもないだろう。  


  4.恩典で許された話題と勇気―偽りの民意

  中国では、民衆の公共活動への参与が厳しくコントロールされている環境なので、国のことも「話していいもの」と「話してはいけないもの」に厳密に分けられる。時事政治のことに関心を持っている人たちは、大体ただ「話していい話題」と「やれること」に関して、自分の「国を憂い、民を憂う」気持ちを表すだけである。しかし、反米・反日・反台湾独立の愛国主義は、当面の間、政府と民衆の両方から認められた、唯一の「政治的に正しい」ものになった。また、これは唯一、自由に話題にし、そして制限されたものであるが行動できる「重大な国事」である。従って、独占されている代弁者に誤って導かれ、また恐怖の政治に圧制されている愛国者たちは、ただこの絶対に「政治的に正しい」国事への関心をもって、自分の国を憂い、民を憂う「社会的責任感」を表明するだけである。日本製品をボイコットしている若い世代や中産階級の管理層の人たちも、これによって「恩恵で許された勇気」を最大限に発揮できる。 しかし、操られた民意は、いくら猛烈でも、やはりこれは偽の民意である。政治の恐怖を充満されている舞台で操られた愛国の団体運動は「誠意のある」うわべだけの親切に導かれざるを得ない。海の向こうにしか発することができない喊声は、ただ用意周到に計算された勇気にすぎない。特に、あのような投石という形で反日を訴える人々は、卑しいほど気が弱いのである。         

   2005年4月18日、北京の自宅で。
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