東瀛小評  推薦文章


林思雲 「日本の侵略戦争の動機について――「『大東亜共栄圏』の起源に関わる一事実
――リゼンドル『第四覚書』の存在――」を読んで――」
原題:「也談日本侵略的動機――《関于“大東亜共栄圏”設想的重要文献》読後感」

                                     『大紀元』インターネットサイト「自由広場」2004年11月5日掲載
                                                   
(邦訳2004年11月6日)

  金谷譲氏の「『大東亜共栄圏』の起源に関わる一事実――リゼンドル『第四覚書』の存在――」を読んで、いろいろと考えさせられた。金谷氏の文章は、“大東亜共栄圏”という発想が日本人の独創ではなく、19世紀末から20世紀初めにかけての帝国主義の全盛期において当時の西洋の軍事専門家による国家の安全保障というものについてどのような見方と認識を抱いていたかという事実を私たちに告げている。  
  中国で日本の中国侵略に関して書かれた文章は無数にある。だが日本がどうして中国を侵略したかという問題については、中国のほとんどの研究者の視点は基本的に一種類しかない。「日本が中国を侵略したのは中国を滅ぼすのが目的だった。」 もうすこし具体的に言うと、「日本は中国を大日本帝国の一部にするつもりだった」というものである。現在ではこの論理をさらに推し進めて、「中国を滅ぼそうという日本の野心はまだ消えていない。日本の政治家が教科書を書き換えたり、靖国神社へ参拝したりするのは侵略戦争を否定する行為であり、戦争を正当化しようとする試みである。将来ふたたび中国に侵略戦争をしかけて中国を滅ぼすために世論を誘導しようとしているのだ」という主張まで存在する。  
  この種の意見が中国で流行する原因のひとつに、中国の(ここでは漢族が居住する中原地域をおもに意味するが)漢族による政権やあるいは国家が、歴史的に少数民族によって何度も侵略され滅亡してきたことがある。過去の1,000年のうち、364年間、外部からの少数民族によって中国は統治された。中心部(中原です)が少数民族によって統治された144年をさらに加えると、1,000年のうち実に508年もの長きにわたって中国は主要部分を外来の侵入者によって統治されたことになる。漢族が中国全体を統治できたのは492年にすぎないのである。
  この歴史的な情況によって、中国の人口の95パーセントを占める漢族はつねにある種の危機感を抱いている。無意識のうちに、いつかまたべつの民族が中国を侵略し滅ぼそうとするだろうと感じているのである。この1,000年間、モンゴル人が中国を滅ぼし、その後は満州人が中国をまた侵略して中国を滅ぼした。ならば、満州人のあとはまた別のあらたな民族が中国を滅ぼそうとするのではないかと。今、中国人は次の侵略者、中国を滅ぼすのは日本人ではないかと、なんとなく感じているのだ。  
  1937年の日本による侵略開始を、日本が中国を滅ぼそうとしている証拠だと考える人もいる。しかしこの見かたは一方的にすぎる。中日戦争のあいだ、日本は中国の大半の地域を占領した、だがこのことをもって日本が中国を滅ぼす意図を持っていた直接の証拠とするには無理がある。最近アメリカはイラクに出兵したが、イラク全土を占領したことでアメリカがイラクを滅ぼす意図があったと解釈できないようにでである。アメリカにはイラクを併合する計画があったとも言うことができないように。  
  アメリカがイラクに出兵したには、反アメリカのフセイン政権がアメリカの国家安全にとって脅威となると判断したからである。そのために武力でフセイン政権を倒して、親米政権に換えようとした。日本があのとき中国に出兵したことについても、二通りの解釈が可能である。ひとつは、アメリカのイラク出兵と同じく、反日である蒋介石政権は日本にとって脅威であると判断して蒋介石政権を武力で倒し、親日的な政権に換えようとしたという解釈。もうひとつは、日本は中国を滅ぼすつもりだった、中国を大日本帝国の領土にする計画だったという解釈。
 中日戦争における表面的な事実は、第一の解釈を支持しているように見える。日本は出兵して反日の蒋介石政府を追い出したあと、親日的な汪精衛政府を支持した。そして韓国の場合とは違い、中国を日本の領土に併合しようとはしなかった。当時の日本の中国における行動は、アメリカがこんにちイラクで行っているのと同じである。つまり、武力による強権政治で、自分たちのつごうのいいように他国の政権を変えようというやりかただ。アメリカのイラク出兵は世界の反対をひきおこしたが、日本の中国出兵も国際社会から激しい批判を浴びた。  
  どんな弁護をしたとしても日本が中国を侵略したことを正当化することはできないし、このことを大部分の日本人は内心では承知しているのである。しかし問題は、多くの中国人がこの最初の解釈に満足せずに、日本が中国を侵略したのは反日政権を転覆して親日政権に換えるためだけではなかったと思っているところにあるのだ。彼らは、日本にはもっと邪悪な動機があった、それはつまり、中国を滅ぼし、大日本帝国の一部とするのが目的だったのだと考えている。  
  「日本人が中国を侵略したのは中国を滅ぼすのが動機だった」という主張には直接証拠はなにもない。しかしこの主張を抱く人は、日本人が中国に侵入したのは中国を滅ぼすための第一歩で、時機を見て中国を日本の領土に組み入れるつもりだったのだと考える。しかしどのような論理を組み立てたとしても、もし日本に中国を滅ぼす野心があったと言うのであれば、単なる主観的な推測だけでは十分ではない。それにふさわしい証拠が必要になる。
  そこで1929年に世に出た「田中上奏文」が最有力の証拠となるのである。なぜなら「田中上奏文」のなかで、「支那を征服せんと欲せば、必ずまず満蒙を征せざるべからず。世界を征服せんと欲せば、必ずまず支那を征服せざるべからず」とはっきり書かれているからだ。中国はこの「田中上奏文」を、日本による中国滅亡の野心の直接的な証拠としてきた。「田中上奏文」は、中学や小学校の歴史教科書に載せられている。
 「田中上奏文」は、当時の首相であった田中義一が昭和天皇に上奏した秘密文書だとされているのだが、真実性については疑問がもたれている。現在の日本では偽書だという評価がほぼ定まっている。「田中上奏文」が流布したのは1929年、最初中国語訳が中国の新聞に掲載され、大きな波紋を呼んだ。日本の外務省は1930年に中国の国民党政府に、「田中上奏文」は偽書である旨抗議したが、日本政府の言い分は当時あまり信用されなかった。
 だが「田中上奏文」は中国語版だけしかなく、日本語の原文はいまだに発見されていない。しかも日本の敗戦後、中国は「田中上奏文」を“日本の世界征服計画”の証拠として極東国際軍事法廷(東京裁判)で提出したが、アメリカの弁護士によって“文章の記述に矛盾が多い”と指摘され、“日本の世界征服計画”の証拠は証拠としては不十分として却下されたものだった。
 今日から見れば「田中上奏文」が偽作であった可能性はきわめて大である。しかし「田中上奏文」が偽作であるとすると“中国を滅ぼす日本の野心”の最も重要な証拠がなくなってしまう。だから中国政府は、「田中上奏文」の真偽については、本物であるとは断定せず、といって偽物だとも言わないという、曖昧な態度を取り続けている。
 「日本には中国を滅ぼす野心があった」の第二の証拠は、“大東亜共栄圏”である。日本は中国をそのうちに含みこんだ“大東亜共栄圏”を建設しようとした、すなわち中国を併合することだったというのが、多くの中国人の理解である。ところが金谷氏の文章は、“大東亜共栄圏”即“中国を滅ぼそうとする日本の野心”という関係を覆したことになる。
 金谷氏の考察によれば、日本において“大東亜共栄圏”の構想を最初に提起したのは、江戸時代の政論家山田方谷である。しかし山田方谷がこの構想を打ち出したのは、欧米列強の侵略から日本を守るため、日本の独立と自衛のためであって、中国を征服したり滅亡させるためのものではなく、しかも「満蒙は日本の生命線」と直接に主張したのは、なんと、日本政府が雇っていたアメリカ人リゼンドル(C.W.LeGendre・李仙得)だったというのである。
  このリゼンドルは中国近代史ではかなり有名な人物だ(当時の中国人はLeGendreを“李仙得”と表記した。中国人の名のようであまりいい翻訳とは思えないのだが、先人に敬意を払ってここでもその表記に従う)。なかでも台湾の歴史においては欠かすことのできない人物である。李仙得は1867年にアメリカの駐アモイ総領事となり、在任中に台湾事情を研究して、現地の先住民の首長と海難救助にかかわる条約を結んだ。1871年に李仙得が出版した『アモイおよびフォルモサの報告(Reports on Amoy and the Island Formosa』は、世界で最初の台湾に関する詳細な文献となり、世界的な関心を集めた。
 日本政府は1872年に、年1万2,000ドルもの破格の俸給で、台湾事情に精通した李仙得を外務省の顧問に招聘した。李仙得が「北は朝鮮、南は台湾を占有せよ、満蒙は日本の生命線である」という「第四覚書」を日本政府に提出したのはこのときのことである。しかし李仙得がこの提言を行った動機は、やはり「日本の永遠の独立をたもつ」ためであって、中国を滅ぼすことではなかった。このことは、日本の“大東亜共栄圏”が中国を滅ぼすことと直接には関係をもたないことを、べつの側面からものがたっている。
 私は、日本人と日本の侵略戦争の動機について話していて、「当時の日本は中国を征服して滅ぼす気だった」と言う人に会ったことがない。その人が左翼か右翼かに関係なくである。戦後、数多くの親中国の左翼の人たちが日本軍の侵略戦争中における暴行をを反省した数多くの書籍を著しましているが、その中にも「当時の日本は中国を征服して滅ぼす気だった」という戦争計画について書かれたものは見あたらない。
  これは日本の左翼・右翼ともに、当時の日本の中国侵略の目的が中国の征服や滅亡であったとは考えていないということを示している。ところが中国では、日本人は征服し滅亡させるために中国を侵略したのだという考えかたが主流となっている。中日戦争についての中国・日本の認識においては、きわめて大きな見方の段差が存在するのだ。
                                                                                                                                
inserted by FC2 system