東瀛小評

日本に留学する中国人についての素朴な疑問

 文部科学省は毎年11月に、「留学生受け入れの概況」という統計を発表している。 昨年11月11日付けで発表された平成15(2003)年のそれを見ていて、ある疑問を抱いた。  
 話の順序上、この統計のざっとした内容をご紹介すべきだろう。
 「留学生受け入れの概況(平成15年版)」は以下の章立てから成っている。

  1.留学生総数が10万人を超える  
  2.学部及び専修学校の留学生数が大幅増加  
  3.出身(地域)の上位五ヶ国(地域)は変化なし 中国が大幅増加  

 以下、小項目に分けられているわけだが、まず興味深かったのは3である。中国からの留学生は70,814人で、前年にくらべて12,281人の増加で、パーセントに直すと21%の増である。ちなみに留学生総数は対前年度比で13,958人(14.6%)増だから、全体の増加数の約9割を中国からの留学生が占めているということになる。ちなみに中国からの留学生(台湾を除く)が外国人留学生全体における割合は64.7%(前年比3.4%の増)。  
 この中にはいわゆる“短期留学生”(注)も含まれている。中国人留学生の場合、平成15年における短期留学生の数は2,003人で、同年の中国人留学生の29.7%だそうだ。ほぼ3割である。

 (注) この統計に、「この調査でいう短期留学生とは、必ずしも(我が国の大学での)学位取得を目的とせず、我が国の大学等における学習、異文化体験、語学の実地習得などを目的として、概ね1学年以内の1学期又は複数学期我が国の大学等で教育を受けて単位を修得し、又は研究指導を受ける外国人学生をいう」と定義されている。さらに「留学生」については、「「出入国管理及び難民認定法」別表第1に定める「留学」の在留資格(いわゆる「留学ビザ」)により、我が国の大学(大学院を含む)、短期大学、高等専門学校、専修学校(専門課程)及び我が国の大学に入学するための準備教育課程を設置する教育施設において教育を受ける外国人学生をいう」とある。

 彼等はなぜ日本に留学するのだろうか。素朴な疑問である。  
 日本の大学や大学院より欧米の大学・大学院を出たほうがはるかにステータス・シンボルになるだろうし、これからの経歴にも有利であろう。すくなくとも英語圏へ留学し英語をマスターするほうが、将来的には日本語を学ぶより世界の広い範囲で活動活躍できるのではないか。

 
インターネットサイト『人民網』の「中国論壇」に、張徳功という名で書きこまれた「日本:多数中国留学生喫苦上進」という題名の文章がある(書きこみ日付は2004年9月17日)。  
 書きこみといっても内容は堂々たる論文で、なぜ日本に留学する中国人、なかでも高等中学(日本の高校過程に当たる)を卒業した20才前の中国人で日本へ渡って留学する数が増加している現象はどういう背景にもとづくのかを考察したものである。(もっともこの文章では日本政府の統計によればとして、2003年(平成15年)の中国人日本留学生の数を10万人以上、日本語就学生――上でふれた短期留学生の中に含まれる――を31,669人としていて、文部科学省の数字と大幅に異なっているのだが、それはしばらく措く。)
 筆者はこの一文で、中国人子弟が日本へ留学する理由として3点を挙げている。

  
1.中国の大学へいったん入ったものの、中国の大学教育に不満がある学生は、ヨーロッパやアメリカの大学へ行くにはいろいろと制限があるので日本をえらぶ。日本なら、本人がある程度以上の成績を収めていてしかも勉学へのやる気があれば、良い大学へ入れる。   2.中国で大学入試に一度失敗した人間には、もういちど試験に挑戦するよりも海外へ出て留学したほうが面子も保てるし、かえって出世の糸口もつかみやすくなる。こういう人間は大学へ進学するという目的がはっきりしているので、日本語をマスターすることさえできれば、大学へ入ること自体はたいして難関ではない。  
  3.あまり学業成績がよくなく、日本へ金儲けのために行く者。彼等は専修学校へ入り、技術を身につけて帰国後の将来に役立てようとする。  
  4.中国にいる時分にはまったく勉学に身を入れず、親が子供のためにと思って金を出して日本へ送り出す。この種の者は人生の確たる目的がないから日本へやってきても勉強に励むはずもない。なかには素質の劣悪な者もいて、素行不良で地元に居づらくなって日本へ逃げ出してきた者さえいる。こういった人間は日本に来てからも生活態度や行動が劣悪で、日本で暮らしている他の中国人の印象を悪くする。

 張徳功氏は、日本への留学は決して容易なものではないと書いている。語学学校の学費が年に70万円、大学、それも私立なら100万円以上、借りる部屋代が60万円、生活費は最低でも40万円はかかると注記している。これらの数字が何にもとづくものかは不明だが、いずれにせよ、中国よりも物価の高い日本で学び暮らすことは決して楽ではないという筆者の意見はそのとおりだろう。しかも筆者によれば留学子弟の大部分の家庭はとくに裕福でもない、給与生活者のそれが多いという。だから当然、留学生たちはただ通学していればいいだけではなく、働いて自らの生計をささえなければならない。  
 私が昔個人的に中国語を習った中国人の大学生は、大阪のお好み焼き屋でほとんど毎晩アルバイトの店員をしていた。「体力的にもだが勉強する時間がなくて辛いです」と言っていた。また作家の張承志氏はすでに北京大学で学位を取り、中国社会科学院の研究員の身分で日本へ留学していたのだが、それでも生活費をかせぐためにラーメン屋で働いていたと、自分のある文章で書いている。
 
冒頭で触れた「留学生受け入れの概況(平成15年版)」によれば、総数109,508名の外国人留学生の男女うちわけは男56,101人女53,407人で、女性の数が増えていまや48.2%を占めるまでになっている。日本の風俗業界では中国人の若い女性が多く働いているらしい。張徳功氏の「日本:多数中国留学生喫苦上進」でもこの事実が指摘されており、新宿で20才までの中国人女性が多数、路上で客引きをしている光景が筆者の直接見聞した例として報告されている。  
 日本の、とくに都会の生活は誘惑も多いだろう。筆者が“ゴミ”と呼ぶ4は論外としても、1.2.3の範疇に入る真剣な目的で日本へ学びにやってきた人々にとっても、日本での生活は容易ではなく、むしろ苦しく辛いものであると推察する。生計を立てるための仕事に追われる毎日に、すこしでも収入のいい楽な仕事をもとめて、4のようなもとからの“ゴミ”でなくても、いつしか勉学を忘れて自堕落な生活に陥ってしまう危険もきっと大きいと思う。  
 それでも日本でなんらかの犯罪を犯して本国へ強制送還されたりする者は中国人留学生の全体数からみればごく少数らしい。また張徳功氏の文章によるが、2002年(平成14年)に日本で入学試験を受けた中国人留学生12,477人のうち、5,789人が大学に合格したという。さらに5,283人は専修学校へ入学できたとのことだ。89%が日本の学校に無事進学することができたということである。中国からの留学生の人々はじつに真面目で勤勉というほかはない。まさに「刻苦勉励」という言葉があてはまる。

 ところで張氏の文章でははっきり書かれていないのだが、日本へくる中国人留学生の最終的な“目的”とは、具体的には何なのだろうか。日本でこのように苦学して彼等は何を目指し、学業を終えたあとに何をしようとしているのだろうか。  
 というのは、専修学校や大学をした後、そのまま日本で就職して残っている中国人も多いように見受けられるからである。  
 日本の基準でも、中国の基準でも、彼等はすでに知識人であり、社会のエリートと言っていい。
 さきほどの張徳功氏の分類でも、1.2.3ともに、基本的に中国へ帰ることが前提となっている。ただし2に入る人間のうちには、本国より日本に残ったほうが“出世の糸口”が見いだしやすいということもあるかもしれない。しかしこれらの分類から見る限り、日本はどうしても日本でなくてはならないから留学先として選ばれたのではなく、いわば人生計画の中の“緊急避難場所”として、あるいは事情によって仕方なくえらんだ第二第三の選択であると考えられる。べつに日本でなければどうしてもだめだったわけではないということである。来日したあとの生活や勉学態度の真面目さはべつとして、最初はしかたがないから日本へ来るのだという印象をどうしても受けるのである。
 文部科学省の「留学生受け入れの概況」もそうだが、張氏の文章においては、中国人日本留学生の国費・私費の区別はなされていない。私費でわざわざ日本へ来る留学生は、どうしても日本でなければならない理由があるからだろうと考えれば、専門学校や大学を卒業もしくは大学院を修了した後も何らかの必要があれば日本に留まる比率も多いのは当然といえる。しかし国費留学生は国に費用を出してもらっているのであるから、学業終了後は、制度的にも道義上でも帰国して国の発展に貢献しなければならないはずである。ところが国費留学生であっても日本に留まって帰国しない人がかなりいるらしい。  
 国費で来た以上、国に“借り”を返さなければならない義務があるということ、また知識人として、あるいは社会を担うエリートとして、自国の発展に寄与しなければならないことは、本人もよくわかっているはずである。それでも帰らないのにはどのような理由や事情があるのだろうか。

 この点に関して日本の論壇でよく見られる解釈は、一種の“危機管理”だというものである。つまり、中国の今の発展や長期的な安定を信じておらず、本国に何か騒乱が起こったときにただちに家族が国外に脱出して身を寄せられるようにその場所を確保するためというのだ。日本は中国と地理的に近接しているうえに、米国やヨーロッパにくらべれば人種・文化の面でも近いし(日本語は中国人には印欧語より学びやすいらしい。何人もの中国人が「日本語なんて簡単です」と言うのを聞いた)、近年凶悪犯罪が増加して治安が悪くなってきているが、中国に比べれば日本はまだまだ安全だからというのが論者の説明である。  
 しかしこれはすべて日本人の推測にすぎない。「つまりは伝統的な“華僑的行動様式”です」などという結論を聞かされると、そんな安易な決めつけをしていいのかと思ってしまう。結局はもとから本人が有するステレオタイプの確認にすぎず、思考停止でしかないからだ。

                                                                            
(2004/9/27)
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