東瀛小評

営業国際交流からイスラム教徒に豚肉を喰わせる国際交流まで

う一昔も前の話になるが、アメリカから帰ってきた直後、東京周辺の国際交流団体と名の付く組織をいくつか訪ねた。アメリカでは異文化理解や国際交流を活動内容とするNGOで働いていたので、日本の同種の団体のやっていることに興味があった。できれば日本でも同じような仕事につきたいと思ったこともある。
 結局、自分の想像していたのと現状がことなっていたのでやめた。理由の一斑は、これらの団体のほとんどが、“国際”と名乗りながら実際には欧米にしか目が向いていないように見受けられたからである。前にも書いたが、国際とは読んで字のごとく国の際(きわ)であり、国際交流とは自国と国境を接する国々――日本であれば韓国・北朝鮮、中国、ロシアなど――との交わりのことであるはずであろう。これらの隣国を無視してなんの国際交流かと思うのだが、この世界の常識はそうではないらしかった。
 ある団体で、いまのべた私の自説とともに、「日本の国際化をいうのであれば、貴団体は、日本国内に居住する在日韓国・朝鮮人と交流することから始めるべきではないか」と述べたところ、
 「そんなつまらない話はやめましょう」
 という返答が返ってきた。
 「それよりもアメリカでの日常体験を話してください。とくに、英会話がどれくらいうまくなったかについて」


 これらの団体につとめている人々には、このほうが興味も湧けば切実な関心でもあるのはわからないでもない。
 なにせ、NGOは表の顔、本体は英会話学校や旅行社である。「英語は国際語!」やら「西海岸でフレンドリーなアメリカ人と友達になろう!」などと煽って入学させ、あるいはツアーに参加させるのが彼らの真の目的である。
 これら商売人にとっては“NGO”やら“国際交流”は客引きの看板にすぎない。唱えていれば、いまのご時世ではなにやらありがたがって人が寄ってくるから掲げているだけのことである。金儲けのいい種になるから彼らはやっているのだ。
 だいいち、営利企業が非営利活動に本腰を入れれば、つぶれてしまうであろう。本気で国際交流するつもりなど、はなから無いのはあたりまえである。
 
 アジア地域との交流を中心とする団体――正真正銘の非営利組織つまりNGO――も、もちろんあった。
 だが、ここでも失望したところが多かった。
 なぜ失望したかといえば、ここで働く人々の動機が、欧米、というより白人に対するコンプレックスのためだったからである。
 (欧米専門の“国際交流(この言葉は正直いって反吐が出そうになる)”団体なるものが欧米に目を向けているのは金儲けのほかに欧米コンプレックス、もっとありていに言ってしまえば、白人コンプレックスがある。まあ、これはいまだに日本人の多くがそうであるという現実の反映であるが。)
 欧米専門の国際交流団体の主催者の指向が素直な欧米・白人コンプレックスの流露だとすれば、アジア専門の人々のそれはその裏返しとでも形容できる。
 彼らは欧米人にたいして自信がなく、彼らと面対するのが怖いが、“アジア人”ならそれがない。だから、団扇太鼓をたたくようにアジア、アジアと唱えるわけである。彼らのアジアとは自分をふくむ黄色人種のことである。
 彼らは表向きの理由としては、「日本はアジアの一部であり、同じアジア的価値観や文化を共有しているから」などというのだが、これがそもそも彼らが交流しようという相手のことをなにも知らないことを示しており、つまりは本当につきあうつもりのないということも、如実に示しているといえる。彼らには、アジア地域はヨーロッパよりも民族の数が多く、宗教や文化においても多種多様であるという交流相手に関しての初歩的な知識もない。
 自分の白人劣等感の逃げ道としてアジアを利用しているだけなのである。つまり彼らは本心では、自分が気づいているかどうかは別にして、アジア(彼らの使うこの言葉は虫酸が走る)の文化と人間を見下しているのだ。すくなくとも、白人よりは下だと序列を付けている。
 彼らのアジア指向は、本当に相手のことを認識してのことではなく、交流対象国や地域の人間や文化を客観的に認識し、尊重し、さらに交流の重要性を認めた上でのことではない。

 であるから、表題に掲げたような、イスラム教徒に豚肉を食べさせるという驚くべき無神経な発想が出てくるのである。
 これは、あるボランティアのアジア交流団体の話である。
 この団体が、例によって“国際会議”なるものを開催するという計画をたてた。インドネシアの交流先から代表団を招いたが、これもこの種の市民団体の通例として予算が足りない。そこで主催者側は、歓迎会の費用をなるべく安くあげようとして、食事を鍋物にして(日本人でも知らない者同士がひとつの鍋をつつくのは気持ちわるくはないか)、それも豚バラ肉と白菜の鍋を彼らに食べさせようとしたのであった。
 その話を聞いて仰天した私は、その団体の責任者に忠告した。
 「イスラム教徒は宗教的戒律で絶対に豚は食べませんよ。食べられないんです」
 責任者の答えがふるっていた。
 「1回ぐらいどうってことはないでしょう」
 会議の時間割を聞いて再び仰天した。イスラム教徒の1日5回の礼拝の時間を全く無視して会議その他の予定が詰め込まれていた。
 「祈りの時間を入れたら日程が1日のびてしまう。我慢してもらう」
 今にして思えば、この人物は実に正直だった。
 「飛行機代や滞在費をこっちが出して呼んでやったんだし、私たちは彼らのためになることをするんだから」

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 最後に断っておくが、これは数例に関する特別な内容である。もちろん真剣な同種団体が数多く存在する事実をふまえたうえで、なかにはこんな屑のような連中もいるということを体験から書いてみた。 
 さらにいえば、これは10年近くも前のはなしであり、この国際交流の世界全体としても状況ははるかに改善されているであろう。
 ――と、期待したい。

(2001/2/1)
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