東瀛小評

日本語のローマ字表記

語審議会は先頃、日本人の名前をローマ字表記する際に日本語通りの語順で表記するのが望ましいという方針を決めた。つまり、これまで通用していた名・姓ではなく、姓・名の順に表記するということである。今回の決定は、12月に答申としてまとめられるらしい。
 ローマ字表記する際とは、つまりは欧米語を中心とする外国語を使う時にはということであろう。日本人は外国語の文脈においても日本式に名前を書けばよいということである。
 今回の国語審議会の新方針決定は、名前の形はその国の文化や歴史を背景にしたものであるからという理由にもとづいている。
 当たり前すぎるほど当たり前の理由なのだが、これまでこの当たり前のことが考慮されていなかったことのほうが不思議といえば不思議である。なにしろ、明治以来、百数十年ものあいだ、この調子でやってきたのである。

 私にいわせれば、名前やその表記方法は、自国の文化や歴史を背景にしているどころではなく、その象徴といってもよいほどの重要な意義を有すると思っている。
 日本では「姓名」という言葉が示すとおり、姓(苗字)が先に来て、個人の名前はその後に付く。アルファベット文字の国では、順番は逆である。すなわち、名・姓と並べる。この差に、彼我の文化や歴史の違いが象徴的にあらわれているのである。
 国語審議会の決定の理由には、最初に挙げた「名前の形はその国の文化や歴史を背景にしたものであるから」というほかに、「多様性を認める」ということもあるらしい。
 すると、これまで多様性を認めなかった、すなわち日本の姓名表記の方法は間違いでアルファベット言語の国家のほうが(ええいまわりくどい。つまりは欧米のことである)正しいとしてきたわけである。
 さらには、多様性を認めるとは、複数の存在が同等の価値をもつと認め、併存を許容するということでもある。これも当たり前のことで、文化に優劣など最初からない。ところが、日本の政府はこれまで、欧米に対する時には姓名の順を欧米式にすることで、日本文化を欧米文化よりも劣っているとしてきたと言外に認めてきたのである。
 そして、政府にならって、日本人はおしなべて、明治以後、アルファベット言語で姓名を表記する際、姓名の順をひっくり返し、日本の文化と歴史をみずから否定し、欧米の文化や歴史のほうが正しく優れていると態度をもって宣言し続けてきたわけである。
 実に恥ずかしいはなしである。国辱とはこんな場合につかう言葉であろう。 (もっとも、私も含めて、日本人が名前をローマ字表記―というよりも欧米語で書くとき―には、姓名をひっくり返して書くであろう。欧米語では名・姓の順が普通だからである(ハンガリーのような例外はあるが)。日本式に姓・名で書けば、いらぬ誤解を生みかねないし、いちいち説明する手間がかかる。その面倒を嫌って便宜的に彼の流儀に従っているだけということも多いはずである。ただしこの議論の対象からは省く。)

 日本語の文字をローマ字表記にせよという主張は、明治維新直後から見られたものだが、国民への教育の一環として日本語のローマ字表記の訓練が実現したのは第二次世界大戦後である。
 明治の初年、前島密(1835 - 1919)が発表した二つの政府への意見書、「漢字御廃止之議」(1867)、「興国文廃漢字議」(1874)が、近代日本史におけるローマ字論の嚆矢だとされている。
 前島密は、「興国文廃漢字議」で、「今国字ヲ用フルハ直ニ羅馬字ヲ用フルニ如カズ」と断じた。
 しかしながら、前島密は、日本語の文字をローマ字にせよと主張しただけで、日本語自体を欧米語化しろとはいっていないのである。
 第二次世界大戦後になって、小中学校のカリキュラムにローマ字教育が組み入れられた。1947年に文部省によって「ローマ字教育実施要項」「ローマ字教育の指針」が出され、この年に義務教育機関でローマ字教育が開始されている。
 ただし、このローマ字学習の眼目は、“(ローマ字は)表音文字であり、単音文字であるから、話しことばや書きことばに対する反省を強め、ことばのきまりについての児童の自覚を高めることができる”というところにあった。ここにある‘ことば’とはいうまでもなく日本語のそれであり、日本人若年層の日本語能力向上のためだったのである。何度もいうが、言葉とは文化である。文部省の意図したところは、ローマ字という異文化の文字体系を学び、それを合わせ鏡として日本語の文字体系ひいては日本語という言語自体について明確な理解を持たせるところにあったと考えられる。
 この発想からは、名前の書き順を欧米式にせよという意見は出にくいのではなかろうか。
 いつから日本では官民挙げて欧米語においては名前をあちら式に書くようになったのか。誰かご存じの方がおられれば教示願いたい。
(明治時代ではついに行われるにいたらなかった学校教育におけるローマ字教育の実現には、敗戦後に来日したアメリカ教育使節団の勧告によるところが大きいが、さりとて彼らが名前の表記を逆にして書かせよとまで言ったであろうか。私が小学校で受けたローマ字授業は、石川啄木の俳句よろしく、日本語を発音のままアルファベットに置きかえて書く練習だけだったと記憶している。)

 ところで、今回驚くべきことは、国語審議会という国の政府―官―の場でこのような意見が出されたことである。たとえ12月の指針とりまとめまでに変更があったとしても、このような方針が政府において浮上した事実は、長期的スパンから考えれば、重大な意味をもっていると思える。
 1946年から49年にかけての当用漢字表、さらには1951年の人名用漢字別表の制定に象徴されるように、大戦後、日本政府は自国語の語彙を貧弱にする政策を、国策として推進してきたのである。
 ところが、1981年の学習指導要綱の告示で、常用漢字表が示されて、それまでの当用漢字表と人名用漢字表で定められた以外の漢字の使用が許容されることになった。
 この時、谷沢永一氏が、学習指導要綱の制定は、戦後日本史における大事件であると言っている。(理由は私と違うが。)
 谷沢氏の言葉を真似れば、今回の国語審議会の決定は、後世、明治以後の日本史における大事件とみなされるかもしれない。

  追記。

 今日(9月30日)付『産経新聞』(インターネット版)によれば、国語審議会が「印刷標準書体」として、常用漢字表にないが使用頻度の高い1,022字について印刷時の標準字体を「表外漢字字体表」として公表した。これも12月の答申に盛り込まれるという。
 この標準字体は、『康煕字典』の登録字体を典拠としている。“やれやれやっとまともになった”という感想を持った。『康煕字典』なしに漢字を論ずるのは、「知ってるつもり」をみただけで歴史上の人物を論じるようなものである。


(2000/9/30)
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