東瀛小評

環境ホルモンと学級崩壊

花隆氏の『サイエンス・ミレニアム』(中央公論新社、1999年11月)に、「脳を侵す環境ホルモン」という対談が収録されています。対談者は、著者の立花氏とシーア・コルボーンという動物学者です。というより、『奪われし未来』の著者のひとりといったほうが、ああと頷かれるかたもいらっしゃるでしょう。
 この対談で、日本の学級崩壊について意見を交換しているくだりがあります。アメリカで問題となっている児童のADHD(注意欠陥多動性障害)を両者が話し合ったあと、立花氏が日本における同様の事例として言及したものです。
 ADHDは、環境ホルモンによる甲状腺障害の結果、脳の前頭葉のほか、尾状核、淡蒼球などが通常よりも小さいという特徴があるそうです。
 ADHDの症状を示す子供の脳内には、まったく発達していない部分があって、走査すると真っ黒な空間となって映るそうです。そして、症状は、前頭葉の機能不全症の特徴にきわめて類似しているそうです。
「ADHDの子供は、もっとも人間の人間らしい部分を作るといわれる前頭葉がきちんと発達しなかった子供」
 と、立花氏は形容しています。
 さて、ADHDと学級崩壊との関連ですが、ふたたび立花氏の言葉を借りれば、「(小学校の)授業中に子供が何かの状態に耐えきれなくなって、突然立ち上がる。歩き出したり、走り出したり走り回って叫んだり、先生の言うことを何も聞かなくなって、学級全体が崩れてしまう状態」である学級崩壊の原因が、ADHDではないかとの推測を述べているのです。
 とすれば、これは教育や躾(しつけ)、あるいは倫理教育の不十分さという次元の話ではなく、れっきとした病気です。
 病気ならば、医学的治療をすべきでしょう。治療方法が確立していなければ、親や先生、政治家がなすべきことは、治療方法をさがすことであり、そのための体制づくりを急ぐことでしょう。
 立花氏の推論が正しければ、これは“心の教育”や“家庭のしつけ”といった対処で解決できる問題ではないのです。
 この対談は、もともとNHK総合テレビで、「環境ホルモン五大湖からの警告」という番組として昨年4月に放映されたものです。そのあと、『中央公論』同年8月号に翻訳収録されました。最初に公にされてから、すでに、1年以上が経過しています。
 学級崩壊に対して、現在、すべてを子供たちのだらしなさのせいにしたり、あるいは親のしつけや教師の教育の責任にする観点からばかり論議されているように見えるのは不思議です。立花氏の提起している問題が正しいか間違っているかという検討はなされているのでしょうか。なされた結果、やはり環境ホルモンは関係なしという結論が出たのでしょうか。それをせずに現在の論議がおこなわれているとすれば、まったく的はずれの無駄な努力をしていることになりかねません。
「脳関係の学者と話をした機会に、これはものすごく心配な話だといいましたら、日本の学者は、『考えられるけれども、それを口に出すと、社会的反発がものすごいから、とてもいえません』、と。」
 立花氏の発言です。
 大問題すぎてどうして良いかわからない、もしくは、環境ホルモンを垂れ流している元凶をはばかって、とりあえず解決に取り組むふりをして当座の茶を濁しているのだとすれば、親や教育者として、またなによりもまず世間の大人として無責任きわまる話です。子供たちの将来や社会の行く末を全然考えていないわけですから。
 しかしながら、これもまた、倫理的に批判するだけではすまない問題なのかも知れません。
 コルボーン博士はこう指摘しています。
「ひょっとすると、親たちも、じつは胎児期に(環境ホルモンによる)悪影響を受けたために、親になることを学習する脳内の配線が繋がっていない可能性があります」
 環境ホルモンに影響を受けているのは、子供たちの親だけでなく、教師はもちろんのこと、同世代の大人全体のはずです。
 もしかしたら、ほかの配線も繋がっていない可能性もあるでしょう。
 前頭葉は、責任感や大局的な思考能力をつかさどっています。
 「前頭葉がきちんと発達」していないのは、子供たちだけではないのかもしれません。

筆者注。この文章は、当初"Owl's Viewpoint" 用として書いた。「です」「ます」調になっているのはそのためである。分量が超過したため、こちらへ掲載することにした。

(2000/5/27)
inserted by FC2 system