東瀛小評

曹長青『中国の文学者はなぜノーベル賞と縁がないのか?』読後
(その3)

中国語というユニークな言語 後編

国語が不正確な語彙しかなく不正確な表現しかできないとしてである。それでもあやまりなくコミュニケートしなければならない場合はどうするか。
 その際、中国語は「成語」をもちいる。
 成語とは何か。
 前回あげた『辞海』(1979年度版)では“成語”の項でこう定義されている。
 「熟語の一種。伝統的に固定された単語の組みあわせ。漢語には四字から成る成語が多い。構成の内容および来歴は多様である。文字面から内容を推測できるものもあるが、来歴の知識がないと意味を理解できないものも多い。」
 『辞海』では成語の定義のあと、具体的な例が挙げられている。まず文字面から理解できる成語としては、“万紫千紅(春に様々な草木に花が咲き誇ったさま)”、“乗風破浪(順風で船が勢いよく浪を切って進むさま)”があり、後者の例としては“青出於藍(生徒や弟子が教師を超えること、すなわち出藍の誉れ)”、“守株待兔(自分ではなにもせず僥倖をあてにすること)”が紹介されている。
 つまり成語とはいわゆる日本語あるいは英語における熟語・慣用句のようなものと考えればよい。ただし使い方はずいぶん違う。
 まず使用頻度が格段にことなる。日本語はわりあい熟語やことわざを文章や会話に用いる言語だと思うが、現在では陳腐な決まり文句として使用の割合は次第に減少している観がある。陳腐な表現として敬遠されるほかに、熟語の内容が一定の決まりきった意味とニュアンスで、話者・筆者がいわんとするところを細部にわたるまであらわすことができないという理由による。だから学術論文やジャーナリズムの文章ではよほどのことがないかぎり見られないし、使用するとしても修辞的効果を狙ってであって、それでもよほど的確に使わないと紋切り型という印象はさけられない。英語はその日本語よりもさらに紋切り型というものを嫌うから、ますます使用頻度が低下する。
 ところが、中国語では事情が逆である。成語の使用には修辞的な意味もあるが、それよりももっと切実な意味があって、正確な意思伝達のために、決まり切った言い方やほかに解釈のしようもない紋切り型の表現すなわち成語が必要なのである。(曹長青氏のいう、中国語の表現が類型的で通り一遍であるという原因はここにもある。)

 中国人は、会話や文章で、肝心な箇所にはかならずといっていいほど成語を用いて対話者あるいは読者の理解を確実にしようとする。
 ここで読者から異論がでるかもしれない。『辞海』の定義では「来歴の知識がないと意味を理解できないものも多い」とあるが、正確な理解のための成語であるのならば、見ただけでは意味がわからないというのはおかしいではないか、ますます話がわからなくなるだけではないか、と。
 成語の内容は成語の字面とは関係ないのである。前回で述べたように「曖昧で包括的な意味を持った語彙しか持たない」中国語の特性はここでも健在で、「一般的で不正確で不明確な表現しかできない」のもそのままなのである。たとえば先の“万紫千紅”では万や千は単に多いというほどの意味を表しているにすぎない。意味というのもおこがましいような、単なる気分をしめす言語以前の符号のようなものである。重要なのは、そのある成語の表している“情景”であり、成語がすでにある特定の場面に使用され、それが人口に膾炙して、歴史的に使用され続け、その“情景”の内容もニュアンスも確定して個々人の恣意的な解釈や用法を許さないまでになっているという点なのである。このためには、成語を使用する側はもちろんのこと、それを受け止める側にも成語の故事に関する知識が共有されていなければならない。
 実は、『辞海』の「成語」の定義は少々補足すべきであって、たとえ字面だけで意味が分かる成語といえども、それは偶然であって、来歴はやはりある。というより、中国語の成語はすべて来歴があるもの、いな来歴を持たなければ成語ではないとさえ言って良い。それは来歴すなわちその成語が生まれてきた故事のなかで、どういう文脈においていかなる意味で用いられていたかを知り、正確にその意味で成語を使用するために不可欠なのである。これによって曖昧さをとどめることなく、発話者もそれを聞きあるいは読む者も、発話者のいわんとする内容を正確に受容し理解する事ができるようになる。
 『辞海』であげられていた例の故事に関していえば、“万紫千紅”は南宋時代の朱熹(朱子)の詩「春」にみえる語句である。“乗風破浪”は明の周楫の文章「徐君宝節義双円」に使われた。“青出於藍”は戦国時代の思想書『荀子』「勧学」編、“守株待兔”は同じく戦国時代の『韓非子』「五蠧」編を出典とする。
 出典は時代やジャンルを問わない。『辞海』の例でもある程度示されているが、一言で言えば、成語の故事とはこれまでの中国の歴史すべての記録と文献である。具体的には中国のいわゆる儒教の基本教典である十三経、それに諸子百家も加わる。それに加えるに、『史記』にはじまる歴代王朝の歴史書、さらには古今すべての中国文学作品というところか。
   そんな馬鹿なという声があがるかもしれないが、すくなくとも革命前までの中国ではそうだった。とくに十三経の完全な暗記は科挙の試験の前提ともいえぬほどの大前提であったことは有名である。漢文(文言文・古典中国語)は、極論すれば十三経を作り上げている語彙、文句、文を手を変え品を変えて様々につづりあわせただけのものであって、いうなれば一から十まで成語でできあがっているようなものであると言える。
 十三経をはじめとする古典の暗記は、勉強者の知識の共有を目的としていた。これにより、あらかじめ決められた語彙、文句、文と確定されたそれぞれの意味が集団で共有されることになり、正確な意志疎通が可能になったといえる。であるから、原典たる十三経にない語の使用や、存在する語であってもあらたな意味の付加や勝手な用法は認められない。古典のなかにある単語、文句、はなはなだしきは文全体を、そのままの意味で使用するのが漢文が漢文でありえるための約束事だったからである。これは尚古主義や伝統の墨守といった思想的なものではなく、そうしないと、漢文が文化も言語もことなる諸地域からなる広大な中国という国家の共通のコミュニケーションの道具として用をなさなくなるという、きわめて実際的な理由にもとづく。

 ここで視点を漢文から現在中国語に戻して考えてみると、事情は基本的に同じである。現代中国語は元来、はなしことばであり、文語であった漢文(古典中国語)よりもいっそう、言語としての精密さを欠く。そのうえ、古典中国語のように一語一句にいたるまですでに確定した意味や用法というものをその性質上もっていない。この現代中国語の言語としてのあいまいさを多少なりとも補うものとして、意味の確定した成語がメッセージの核心、肝心な部分で必ずといって良いほど使用されるのである。これはいわば、現代中国語における古典中国語回帰であり、げんにその成語のほほすべてが古典あるいは準古典からの引用である。

 ここで準古典ということばを用いたが、そのわけは、その内容には古典中国語の場合の諸子百家や歴代の史書、文学作品にくわえて、近代の文語的白話文(現代中国語以前の古典中国語と口語文の中間的文体)で書かれた通俗文学作品や、民間演劇の作品からの引用、登場人物の名前および名台詞が加わるからである。
 というより、いまや儒教が国教ではなくなった現代の中国語世界においては、そちらのほうが主といったほうがよいだろう。
 最近、台湾総統選選挙運動期間における李登輝前総統と宋楚瑜候補の間にやりとりされた攻撃の応酬がその顕著な例である。
 李氏は、宋氏を「王莽」とよんだ。それにたいして宋氏は、李氏の総統秘書室主任の某氏(李氏陣営で宋氏攻撃のリーダー的存在)を「宦官」と反撃した。
 王莽は前漢を簒奪して「新」という王朝を建てた人物である。臣下でありながら国にそむいて奪った不忠者だけではなく、その過程で皇帝を毒殺しているから弑逆の大罪人でもあるわけで、いわば極悪人の代名詞である。さらに、王莽は一国の指導者としての政治的手腕は皆無で、国を奪ったはいいがまったく運営することができず、新は大混乱におちいってわずか十五年で滅びた。李氏は、もちろんこの史実をふまえ、宋氏には無能な政治家で、もし同氏が総統になれば台湾は新とおなじ運命をたどると諷しているのである。(ついでいえば、この王莽といえば「表裏一ならず」と史上評され、陰険酷薄な性格であるというのが定評である。つまり、誰それは王莽であるというと、その人物はまさに王莽にひとしい性格であると言っていることになる。つまり李氏はここで宋氏の政治家としての資質と同時に人格攻撃まで行っているわけだ。)
 一方、宋氏の「宦官」の寓意は日本人によりわかりやすい。宦官が中国歴代王朝の政治に容喙し、政治の混乱や王朝滅亡の重大な原因になったのは日本でも有名である。代表的な存在が三国時代の「十常侍」であるが、このあたりの消息は中国でも同じである。今回も宋氏はただしくは「宦官」という言葉にくわえて、「十常侍」にひっかけた、「ひとえに常に自分をののしる(罵)」という意味の「一常罵」という言葉を用いた。これだけで、台湾の民衆にはわかる。眼中私利私欲しかない十常侍はその権力欲と飽くなき物欲から後漢王朝の滅亡を招き、さらに三国時代の幕を切って落とした。李氏の後継者たる国民党総統候補は連戦氏だったが、つまり宋氏は国民党を後漢王朝末期の十常侍のように腐敗し、さらに連戦氏および国民党がこのまま政権を担当し続ければ国家の滅亡を招くと言外に示唆しているのである。もちろん、この場合も、国民党の面々を十常侍になぞらえることで、人格的に最低の輩であると言外に貶しているのはもちろんである。
 王莽は、史記に続くいわゆる二十四史のひとつ『漢書』に伝がある。また、十常侍は『後漢書』や『三国志』にその行跡が記録されている。といって、これらのやりとりを理解するためにはかならずしもこれら正史を読みあるいは暗記している必要はない。彼らの引用した言葉とその直接の故事は、中国の演劇あるいは講談、小説だからである。
 王莽は台湾の地方劇「歌仔戯」の出し物「劉秀中興」の登場人物である。他方、十常侍はいうまでもなく羅貫中の小説『三国志演義』に登場する。いわば、これらは台湾では誰でも知っている悪人の典型的性格像なのである。
 さしづめ、日本人で「誰それは吉良上野介だ」といえば、聞いた日本人は原典となる史料を読んだことがなくても――むしろそれがほとんどだろう――歌舞伎やテレビドラマの「忠臣蔵」の知識から、ある人物を意地悪で陰険で腹黒い奴だといっているのだなと即座に理解するようなものなのだ。

 成語とはつまり、その由来する故事が発話者と聞き手の双方に共有されているという前提があって、はじめて成り立つ表現形式である。そしてその故事は、中国語の場合、中国文化全体といっていいほど内容が広範、膨大である。
 その成語に異常なほど依拠する中国語は、すなわち中国文化の知識が使用者に共有されていてはじめて機能しうる言語といえる。それなしでは話し手は言いたいことがまともに表現できず、聞き手は相手が何を言っているのかよくわからない。中国語は、言語それ自体に限って言えばきわめて不完全な存在なのである。

(2000/4/13)
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