東瀛小評

季節的雑感

とが自分の故郷を愛するのは、自分の生まれ育った土地が自分の一部であるかのような感覚があるからで、すなわち故郷が自分自身だからということになるのでしょう。とすれば、愛郷心は自己愛から発するということにおちつきそうです。過度の自己愛(ナルシシズム)はよくありませんが、過度の自己愛は生物の生存に必須で、だれにでも備わっています。“自己愛”という言葉使いはどぎつく聞こえますが、自己保存本能にねざす感情といいかえれば、私のいわんとするところを理解していただけるのではないでしょうか。
 ともあれ、愛郷心は自然な感情であるといえそうです。
 しかし愛国心は普通、自然には育ちません。郷土には山河や隣人といった具体的な実感の裏打ちがあるからこそ、それらが自分の世界の一部、つまりは拡大された自己の一部という意識が育ちます。そうして毎日の生活のなかで知らず知らずのうちにはぐくまれていくのですが、国家という抽象的な対象は、自然な感情の対象にはなりにくい性質のもので、愛国心は意識して国民を教育して生まれるものです。ひらたくいえば、愛国心とは自分の国を愛し大事に思う感情であるといえましょう。

 なぜ国を愛し大切に思わなければならないのでしょうか。そうしないとそのもとで暮らす自分が困るからという、きわめて国民ひとりひとりにとって実利的な理由です。
 いまのところ、日本人がもっとも幸福に生きられるのは日本です。日本の国家は、他の国家よりも、一番日本人を保護する義務があるからです。自分自身の平穏で幸福な毎日のために、国家は必要なのです。
 非常に形而下的な理由です。いわば国家は国民にとって道具です。それ以下でも以上でもありません。ただし、ひとつしかない道具です。なくなれば困ります。だから大事にしなければならないのです。愛国心の愛は、ある意味で愛用の愛であるといってもいいかもしれません。
 別に国家が崇高な――深い哲学的な思索を要するなにやらありがたい――存在だから愛さなければならないわけではありません。
 ただし、ある人間がある国に生まれるということはどうすることもできない運命であって、その運命ゆえにその国を愛し、立派にすることに努力しなければならないという側面もあります。自国を愛さなければならないのはその国に生まれたからという、運命でもあるのです。愛国の愛には、愛用するの愛から、逃れられぬ運命ゆえの倒錯した熱愛までいろいろありえるでしょう。ただし、国民が主人であって、国家がしもべ、あるいは道具である事実にはかわりはありません。この平凡な事実は忘れられてはならないと思います。

 現在の国家は国民国家(nation-state)です。nationalismが愛国主義、国家主義、国民主義という三つの意義を有することからもうかがえるように、国民の愛国心なくしては国民国家は存立し得ない構造になっています。これがこんにちの現実です。これが最上の国家体制であるわけではありません。国民国家にかわるより優れたしくみがまだ発明されていないから存続しているだけです。
 だとすれば、すくなくともそれまでは、国民は国の体制じたいの良い悪いや、また個人の好き嫌いは別にして既存の国を支持する、つまり自国を愛するしかないということになります。(念のためにいっておきますが国とそのときどきの政府は別です。)

 過剰なnationalismは自国民第一主義になって他国へ害毒を流すうえに、結果として自らも傷つけます。しかし、まったく無くしてしまってはその国がほろぶことになります。必要最低限度の愛国心、愛国教育が必要だということです。そのためにはなにかしらのわかりやすいシンボルが必要なわけで、それが国歌であったり、国旗であったりします。これもいまのところそれにかわる方法がないから、いうなれば惰性でやっているだけです。
 現在の日本国国歌や国旗に反対するひとびとは、すくなくとも代わりになる愛国心涵養のシンボルを提出しなければならないでしょう。国歌国旗の存在自体は認めるが歌は内容や国旗の図案が気に入らないと言うのであれば、あらたな国歌なり国旗なりを示すべきです。それすらせず、これらに変わる代案もなく、むやみに廃止をさけぶのは、一言でいって無責任です。それどころか、国家を崩壊させようと思ってのことであると見なされても仕方がありません。
 国家の保護をすべて拒否して生きている人間だけが国家を拒否できるでしょう。そうである人間だけが、君が代斉唱を拒否し、国旗掲揚を拒絶し、日本国を否認できるはずです。だが今の日本でそのような生き方が可能でしょうか。

 たけだけしい、それでいて逆立ちしたような愛国心を鼓吹する近隣諸国や、それとは逆にあまりにも愛国心がない、というより愛国心とは何なのかなぜ必要なのかをまるでわかっておらず、このんで自らに災難を招いているかのように見える卒業式シーズンの日本を念頭に置きつつ、書きました。

注。この文章は、もと "Owl's Viewpoint"用として書いたため「です、ます」調になっている。


(2000/3/21)
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