東瀛小評

日本における中国民主派人士のイメージと
翻訳された彼らの著作との関係

989年の6月4日に天安門事件が起こってから今年で10周年になる。
 今年は1959年3月 日チベット蜂起の40周年にも当たっていたのだが、中国当局の規制と弾圧で国内ではそれほどの出来事もなかった事実からして、天安門事件に関しても、国外は別として大した騒ぎにはならないのではなかろうか。
 しかし、今いったように国外の反体制人士はおおいに反中国政府キャンペーンをくりひろげるであろう。
 ただし、この中国外に亡命したいわゆる民主派の人々は、おそらく思ったほど運動を盛り上げることはできないだろうと思える。というのは、彼らはいまや内紛で四分五裂の状態に近いらしいからである。昨年、誰が中国民主化運動の「父」かを巡って魏京生氏と王希哲氏のあいだで繰り広げられた非難合戦をまだ覚えている人も多いであろう。あれは正直いって、浅ましいの一語につきた。
 あの騒動は、海外の中国民主派諸団体の厳しい財政上の問題が背後にあったらしい。自分あるいは自分たちこそが運動のリーダーであるということで、多くの人と資金と注目を集めることができるからである。
 中国の民主化運動という大義面分と、今述べたような切実な生存問題があったとはいえ、傍観者から見てみれば、ただの低次元の権力争いだったという印象を拭いさる事は難しい。双方が互いにやりとりする非難の言葉は、口汚いという形容をかぶせてもおかしくないほどのものであった。私の知る限り、彼ら反体制・民主派間の反目と軋轢は醜いといってもよいほどである。ただの名声と権力あらそいではないか、敵である中国共産党と同類ではないのか、とさえ思えるときがある。むろん例外も多々おられるが。
 魏京生氏には獄中の書簡を集めた著作があり、これは日本語でも出版されている( 『勇気――獄中からの手紙』集英社、鈴木主税、1998年2月。以下、『勇気』と略称)。原本はアメリカで出版された。出版の時期は、魏氏が病気療養を口実に中国から出国してアメリカに来た前後の頃であったかと記憶している。この本の読者は、この書籍で結ぶことのできる魏京生氏の人物像と、王希哲氏との争いで見せた氏の姿とのあまりの違いに戸惑ったのではないか。はっきり言って、とうてい同一人物とは思えないほどの落差であった。
『勇気』で伺える魏氏の像とは、誠実で礼儀正しく思索的な知識人である。そんな人物像を描いていた読者は、同氏が王氏に投げかけた罵詈雑言といってもよい言葉や、この争いを通じて感じられた脂ぎった氏の傲慢さと権力欲を目の当たりにして面食らったのではないか。この落差はどこから来るのか。
 結論を言ってしまうと、この『勇気』という本が翻訳書であるためである。しかも、これは英語からの重訳なのだ。中国語の原文から英語へ、さらにそれを日本語へと移し替える過程で、意味は正しく伝えられてはいても、原文の文体や雰囲気が全く改変されてしまっているのである。
 私は魏氏の中国語で書かれた文章を読んだことがあるし、この書に納められた手紙の一部も入手して読んだ。氏の書く文章は、日本語版で鈴木氏の手になる訳文のような上品で品格の高いものなどではとてもない。明快で達意ではあるが、もっと荒々しく、措辞も激越である。よく言えばエネルギッシュ、悪く言えば野卑とさえ言える文体なのである。
 実をいえば、この差は単に外国語から外国語への翻訳において不可避であるところの、ニュアンスの翻訳不能という範疇にとどまる問題ではない。先ほどの私が読んだという同書収録の手紙(1992年10月5日、とう小平あて書簡、201--211頁)は、日本語版の元となった英語版と中国語原文との内容にかなりの差がある。中国のチベット政策批判という全体の論旨こそ同じだが、個々の段落の論点のニュアンスや行文には至る所に違いが見られるし、数段落ごとごっそりと削除されているところすらある。翻訳者の文章の好みによる整理とか、全体の論旨に関わりがないとか、話があまりに個別の事例に走っているからという理由の推測はできるが、それにしても、正直言って、ここまで整理した翻訳をはたして翻訳といえるのであろうかという疑問が湧く。
 さらには、英語版の段階で、原文の激越な措辞やあまりに強烈な言葉遣いは、意味は同じだがすっかり穏当な英語の同意語に置き換えられているのである。そして置き換え不能なほど悪い言葉や言い回しはあっさり無視してしまっている(実例が多すぎて煩わしいからいちいちは挙げない)が、これはどういうことか。翻訳者が許される改変の範疇を逸脱している。
 ちなみに、日本語版はその英語版の忠実な翻訳である。
 つまり、魏氏はアメリカに紹介される時点で100パーセント善の聖人君子というイメージを作られた。このイメージは中国の反体制民主化人士すべてについていえるのだが(注)、それはなぜかはここでは論じない。そして、日本はそのイメージをそのまま受け取っているというわけである。
 集英社はなぜ中国語の手紙そのものから直接翻訳しなかったのか。もちろん、書籍のかたちでは出ていないが、英語版のもとづいた手紙の原文は入手できたであろう。私が部分的にでも手に入れることができたように。魏氏の書簡は中国語メディアのあちこちに活字の形で公表されているのである。 それらをチェックして、せめて英語版と原文の違いを注記すべきではなかったか。中国語の原文を手に入れることができなければ(あるいはその手間が面倒だからしなかっただけなのかもしれないが)、この本は日本で翻訳して出版すべきではなかった。


 中国反体制民主派といわれる人々、とくに天安門事件の指導者たちの人間として実像にせまる作業を行っている譚ろ美女史の仕事は貴重である。たとえば、『新潮45』 1999年6月号、232--277頁「『民主の女神』柴玲、十年の虚実」をお読みになられたい。


(1999/5/23)
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