東瀛小評

マーケティング方法論の破綻は当然の帰結

『アエラ』(朝日新聞社)の1999年1月18日号に、「Xが見えない マーケティングの限界」という特集記事が載っている。特集は、「モノが売れない。先が読めない。そして人間がわからない」「気ままな世論 民意のデジタル化」と題された二つの記事からなる。
 要点は、これらの題から容易に想像できるように、これまで商品販売のための未来予測を目的として行われるマーケティング調査や選挙結果予測の際に実施される世論調査が、近年全く役に立たなくなった事実と、その原因の分析である。原因として挙げられているのは、前者では個人ひとりひとりの欲望の差異化が進んだ結果、“X”という平均的存在からなる不特定多数の集合である「大衆」が消滅し、「十人十色」どころか「一人十色」状態となったこと、後者の原因に関しては、「気ままな世論 民意のデジタル化」で、あるマスコミ社世論調査担当官の言葉が引用されている。

「民意の動きが昔とは比べものにならないほど、速い。民主党支持率もそうだが、瞬間的に変わっていく。移り気なんです。しかも、政治への関心が低下しているから、投票日が近づかないと、どこに投票するか決めない。(後略)」(同誌、35頁)

 ようするにこの担当官のいいたいのは、すべて国民が悪いということである。自分たちの世論調査は方法としてあくまで有効であるが、それがうまく機能しないのは調査対象の国民の「政治への関心が低下し」ていて彼らが「移り気」だからというのである。
 「政治への関心が低下し」ていようと、「移り気」であろうと、それが現実であるなら、自分たちの世論調査の手法そのものが現実に適応していないだけのことではなかろうか。自分の至らなさをさておいて他人を責めるとはお門違いもはなはだしいのだがこの人物はそうとは思っていないらしい。とにかく自分が絶対に正しく、悪いのはすべて他者であるらしい。このような自己中心で独善的な人間が世論調査などという客観的な認識能力を必要とする作業をすること自体が間違っているのである。まともな結果など出るわけがない。
 しかし、これは単なる一個人の資質に求められる問題ではないようである。言い換えれば、運用のレベルではなくて方法そのものに構造的な欠陥があると思われる。
 『アエラ』のこの特集では、わざわざ岸田秀和光大学教授の「過去の延長線上に現在がない時代、当たらないのは当然」という言葉や、「自分の認識する欲望と無意識の欲望は往々にして対立する」というフロイトの説まで持ち出して根本の原因としているが、問題はもっと簡単ではないだろうか。
 そもそも、マーケティングにせよ、世論調査にせよ、被調査者が正直に返答してくれるという前提がなければなりたたない代物である。もし元となるデータが虚偽だったら、いくら大規模に調査をし、精密に結果を分析したところでまったく意味がない。
 しかし、本当に皆、アンケートに真実の回答をしているのか。その保証はあるのか。
 これは、誰でもいだく素朴かつもっとも根本的な疑問ではなかろうか。
 そしてこれは、マーケティングや世論調査、すなわちアンケートによる意識調査にとって、もっとも重大な点でもある。だが、これについては何の確かめる手段もないし、それを確実なものとする手段も存在しない。つまり、アンケート調査は、構造的にもっとも根本的な部分において信用性に欠ける方法なのである。機能しなくて当然なのだ。
 しかし、いま見てきたとおり、記事に引用された発言の主および、そのほかの記事で言及された同種の仕事に従事している人々は、この本質的な欠陥にはまるで無関心のようである。よほど頭が鈍いのかと疑わざるを得ない。
 さすがに、この特集記事の記者はこの点を気にしているようで、「気ままな世論 民意のデジタル化」の末尾近くにおいて、それらしいことが言及されている。すなわち、今日の選挙民、とくに無党派層の予測が難しいのは、「マスコミ予測と逆の政党に投票するあまのじゃく的行動を取って溜飲を下げる」からであり、その理由は「極端な事件や人物を中心に扱う」「報道されたことが真実だといわんばかりの」昨今のマスコミのあり方に対する不信である、という。
 マスコミが襟をただせば国民は反省して真正直に調査に答えるだろうと、この記事を書いた人間はいっているのだが、これもまた、あまりにも楽観的で、かつ単純にすぎる意見ではないだろうか。マスコミの人々への影響力をあまりにも過大評価しているといえよう。この筆者は、マスコミの一挙一足で国民が思い通りになるとでもおもっているらしい。
 人間は日常、なにがしかの嘘をついて生活している。「嘘」という言葉が悪ければ、「本当の事を言わない」と言い換えてもよい。そうしなければ生きていけないからである。アンケートの時だけ100パーセント本当のことを言うと仮定すること自体が、そもそも非現実的であろう。第一、見ず知らずの調査員や誰が見るかもわからぬアンケート用紙に、なにからなにまで本当の事を言ったり書いたりするはずがない。常識で考えればわかることである。
 こんな当たり前の世間的な常識もふまえていない方法論が、その世間を対象にして、元来まともに機能するはずがなかったのである。今更驚くべきことではない。驚くべきは、このような方法論が広く現実分析や未来予測の手段として信頼され、平気で使用され続けてきた事実のほうである。


(1999/116)
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