東瀛小評

北朝鮮のミサイルポスターを観て「血が騒ぐ」か?

「木の言葉(wooden language)」とは、アメリカのある中国研究者が中国および社会主義国全体の官製言語を形容して名付けたものである。木でできたように生硬であるという意味らしい。そして、現実から遊離した内容と、むやみに高揚した調子であるにもかかわらず紋切り型の表現であるのが特徴である、という。
 私としてはこれらに「下品さ」も付け加えるべきではないかと常々思っている。
 『京都新聞』(1999年1月12日、火曜日、7面)で、北朝鮮のミサイルポスターとそのキャプション(北朝鮮の政府機関紙『民主朝鮮』、5日掲載)を見たが、まさしく典型的な「木の言語」である。
 ロイター・共同の配信によるこの報道には、キャプションの日本語訳がついている。以下がそうである。

     血が騒ぐ

  火を火で制するのは、わが人民と革命軍隊の気質
  もはや決着をつけることだけが残されている
  銃弾は装填されており、引き金はわれわれの手にかかっている

 内容は、論じない。というより、話にならないほどばかばかしい。このほかにも年末だったか、年初だったか、日本と米国に対して「殲滅的打撃を与える」と宣言していたが、それも含めて、やれるものならやってみたらよかろうというしかない。
 問題にしたいのは、この文章に漂うなんともいえぬ卑しさである。なにが「血が騒ぐ」か。いやしくも一国の政府の機関紙に載せる文章の、それも表題に掲げていい体の言葉ではない。そもそも、国家が誇らかに殺人を奨励するなど、下卑たという形容すら生ぬるいほどの品のなさである。こんな下品な言葉を常時、しかも対象として投げつけられる隣国の民としてはたまったものではない。

 ちなみに、キャプション同様、ポスターの絵柄も下品きわまるものである。巨大なミサイルが左下から右上の米国へ届いているというデザインなのだが、当然ながら途中で日本を分断して横切っている。他国を平気で侮辱する神経も恐れ入るが、それよりも、その日本の地図のおそろしいほどの粗雑さには驚嘆を禁じ得ない。紀伊半島がなく、そのうえ東北地方が異常に大きいかわり、中国地方と北海道がやたらに小さい。これではツチノコである。適当に描いたとしか思えない。言い換えれば、やっつけ仕事なのである。このキャプションにふさわしいと言えばふさわしいが。
 脳裏に両国の地図をえがけないほど日本に対する地理的な知識がポスター作成者には欠如していたのであろうと考えられるが、それより重大なのは、覚えていないなら覚えていないで地図を開いて確かめてみようとさえしなかったのかという点である。ポスター作成者の心性にある、この自らの仕事へのいい加減さと雑さが、作品である絵の下品さを産みだしているのである。
 こんな宣伝では、恫喝する相手は恐怖するどころか、かえって趣味の悪さの故に軽蔑するのが落ちであろう。つまりこのポスターは北朝鮮の国威を高めるどころか逆に損じているのである。このポスター(そしてキャプションをも含めて)の作成に関わった全員に対して、もっと真面目にやれといいたい。
 そしてこのいい加減さと雑さは、このポスター採用を決定した政府当局者にもいえることである。それとも、北朝鮮の政府当局者の周辺国家に対する地理的な知識は本当にこんなものなのだろうか。それはそれで恐ろしい。


(1999/1/13)
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