東瀛小評

『坂の上の雲』 の国

『産経新聞』が12月25日に米国軍事情報筋の発言として、中国人民解放軍が1979年と96年の尖閣諸島(釣魚台)騒ぎの際に武力によるこれら島嶼の「奪回」を想定した想定演習を行っていたと報道した。この記事を『明報』インターネット版は、早速26日に自社だけの特報として再報道している(「中国模擬演習収回釣島失敗」)。
 解放軍は、海上自衛隊の防衛線を突破して釣魚台を奪還する作戦を立てたが、シミュレーションしてみると、自軍の鑑定の大半が日本側の防御を突破できないという結論を得た。解放軍の対空能力が弱く、日本の潜水艦の戦力が解放軍を遙かに上回っている事実が明らかになったからである。その後、解放軍はこの2回の教訓をふまえて自軍の弱点の克服につとめ、大いに改善を見たという。以上が、『産経新聞』の報道の骨子である。
 『明報』は、事実関係については『産経新聞』の報道をそのまま伝えたに過ぎない。
 ではなにが「自社だけの特報」なのかというと、以下の部分(記者の主張)が追加されているからである。

「二十一世紀に向けて解放軍はハイテク兵器を強化しつつある。日ならずして航空母艦を装備し、攻撃能力は大幅に上昇するであろう。日本の防衛線を突破できるのは時間の問題である。」

 勇ましい話である。中国はまだ『坂の上の雲』の時代らしい。
 言うまでもなく、『坂の上の雲』は故司馬遼太郎氏の同名の作品である(もと『産経新聞』1968年4月22日―1972年8月4日掲載。文芸春秋社から単行本全六巻、文庫本全八巻として出版)。この作品では、ペリー来航の結果開国し幕府を倒して成立した明治政府と当時の日本人たちが、当時の帝国主義時代のなかで植民地化を回避し独立を維持すべく必死に富国強兵を目指す姿が描かれている。題名となっている「坂の上の雲」とは日本が発展し、欧米列強と肩を並べるという理想を坂の上の青空に浮かぶ雲としてとらえたものであり、当時の日本と日本国民がその雲を目指して、懸命に坂を上っていったという意味が込められている。
 現在、中国は近代化を推進し、先進国と互角に肩を並べるべく苦闘中である。近代化を富国強兵、先進国を欧米帝国主義列強と読み替えれば、実に今の中国と当時の明治日本は似ている。そして、こんにちの中国人にとっては、失敗の結果陥るであろう境遇――先進国への経済的従属――とに対する危機感も当時の日本人が抱いたそれ――列強による植民地化――とそれほど変わらないかもしれない。

 ところで、同作品においては、その“坂道”での重要な出来事として、日清・日露の2戦争が大きな比重を占めている。そこで描かれているのは、これら2つの戦争において、彼我の国力を客観的に比較し正確に認識しているが故に開戦に躊躇する政府と政治家に対して、盲目的なナショナリズム感情から戦争開始を政府に要求する国民と、そしてその国民に向かって無責任に愛国主義的宣伝を行って開戦熱をあおるメディアの姿である。
 他国との戦争で勝利し祖国の武威を輝かせること、そして愛する国家の遂行する戦争に進んで参加し勇敢にたたかうことが至上の正義であった時代である。御国のために戦死するのが名誉とされていた時代でもあった。司馬氏の言葉を借りれば、この時代の日本は国家と国民の目的や利害が一致した点で、「日本史上類のない幸福」な時期だった。日本ではその時期をとうに過ぎてしまったが、中国は今まさにそのまっただ中なのだろう。
 だが、当時の日本のジャーナリズムに対しては猛烈に腹が立つ。それはジャーナリストたちの態度である。これらの操觚者たちは人の命をなんと思っていたのであろうか。もし、国のためなら国民は兵士として我が身を捧げて当然だというのならば、なぜ彼らは自ら率先して一兵卒として志願し、最前線に出て戦わなかったのであろう。自分は安全な場所にとどまっていながら他人を扇動するなど、卑劣も甚だしい。つまりは彼らの愛国主義は商売繁盛の手段だったのである。つまり、口でいうほどには自ら(記者個人、あるいは社全体)が真剣ではなかったという意味でである。言葉が本心と違っていた点からいえば、国民にたいして嘘をついた、瞞着したともいえるのである。

 『明報』のこの特報を書いた記者氏(無記名記事であるから氏名はわからない)の愛国心と反日感情は本心からのものであろう。
 だから、彼あるいは彼女は、近い将来起こるだろうと期待している日中戦争が勃発した暁には、必ずや軍の先頭にたって日本へ乗り込んでくるだろう。
 よしんば中国政府が戦争に踏み切らなくても、「日本の防衛線を突破できる」と解放軍が判断した時点で、彼(彼女)は志を同じくする愛国の士らと語らい義勇軍を組織して攻め込んでこなければならないのである。いや、この記者氏一人ででも、戦争を開始する責任がある。
 そして、「自社だけの特報」としてこの記者氏の記事を掲載した『明報』社には、この記者氏の対日戦争の遂行を全面的に協力し支援する義務があるのだ。たとえ、香港所在の同社が香港の中国復帰の直前から突如愛国主義に変貌したのであっても、そこまでの覚悟はないとは言わせない。
 国民は国家のために死ぬのが当然という愛国主義が正義であり、その正義に立脚しているからこそ、いかなる手段も正当化されるのである。でなければ、釣魚台周辺の海で自ら海に飛び込んだあげく溺死した抗議活動家の中国人を「日本人が殺害した」と報道したり、海上保安庁の巡視艇を指して「日本軍の軍艦」と書き、また「日本の軍艦が抗議する中国人民らの船に突っ込んだから活動家の船が大破した」などという事実の歪曲や虚偽の報道の常習的行為は、愛国主義の価値観を抜きにして通常の倫理の次元に引き戻して判断すれば、卑劣な人間の卑劣な所行であり、とうてい許されるものではない。


(1998/12/26)
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