東瀛小評

江沢民国家主席の日本訪問

回の江沢民国家主席による日本訪問は失敗だったという評がおおかたの見方のようである。これは日本にとっても、中国にとってもそうであるらしい。当然、今回の訪問は双方の国内において悪評をうけている。(中国の政権とそのコントロール下にあるメディアは別である。これらが失敗だったというはずがない。日本の小渕政権も基本的にそうであろう)
 たしかにそうではある。共同声明に署名していない事実とそれまでの経緯は、いくら言い繕っても異常である。
 しかしながら、何が「成功」でなにが「失敗」なのであろうかを考えてみると、案外問題はそう簡単に言い切れないのではないか。
 中国側にとってみれば日本側に台湾政策の「三不」を書面で認めさせること、および日本が中国へ歴史的に与えた罪行への明確な謝罪を同じく書面で求める点だったはずである。日本側のそれは、両者ともにそれを認めないことだったといえるだろう。これらを完遂して双方がそれぞれ「成功」といえたことになる。
 これがどちらにとっても最初から実現不可能なのは分かり切っていたはずである。つまり、今回の訪日に関しては両国に「成功」はありえなかったのである。
 とすれば、「失敗」ではなかったと見なすためにどこまで妥協できるかという選択肢しか残っていなかったことになる。
 日本は三不の表明と謝罪を口頭で行った。日本政府の立場からいえばこれはかなりの妥協である。それどころか、江主席の日本滞在中に何度も、さらには宮中晩餐会の席でさえも戦争中の日本軍および日本の中国へなした行いについて同氏が言及し、日本を批判する機会を与えた。日本側にはこれ以上の妥協はなかったのではないか。
 中国政府はおそらくこの点を承知しているから、官製メディアは大体において今回の訪日を成功といっているのであろう。
 いま「大体」といったわけは、反対の声がないでもないからである。中国側でこれに不満なのは、政府サイドでは強硬派、なかでも軍であり、政府外ではいわゆる民主派と呼ばれる人々である。
 前者はまだわかる。強硬派はおおむね抗日戦争を身をもって体験してきた人々であり、感情的に日本と日本人を許すことはできまい。それだけのことを確かに当時の日本政府と日本軍と日本人は中国と中国人に対してやったのであるから。軍が反対するなのもよくわかる。日本軍はアメリカの同盟国であり敵である。敵国があり戦争があっての軍隊である。自国政府に敵と仲良くされては軍の存在理由がなくなってしまう。
 怪しむべきは後者である。彼らは中国の現政権が日本と友好的な関係を樹立することをこのまないらしい。この陣営に属する人々は、江沢民を売国奴のように罵倒している。詳しく言えば、江主席は中国の国益を傷つけ中国人民の利益を保護することができなかった、だから今回の訪日は失敗であると主張する。
 彼らの言う中国の国益、中国人民の利益とは何か。
 民主派人士は、さきほど述べた中国側の立場を全て日本側に認めさせることのほか、日本政府に従軍慰安婦の賠償をさせることを求めている。それどころか、釣魚台(尖閣諸島)を武力で回収し、沖縄を中国に「復帰」させ、そのために日本へ侵攻せよと中国政府に要求しているのである。ある論者は、中国は大国であるから戦えば勝てるという。
 従軍慰安婦の国家賠償の問題は、日本が過去に中国と結んだ条約を改定するか破棄しない限り実行不可能のはずである。しかし彼らは即刻やれという。あとの要求がそれ以上に実行不可能であることはいうまでもない。つまり民主派の人々は中国政府にできるはずのないことを要求しているのである。
 察するに、これらの無理難題は現体制を揺さぶるのが目的である。彼らも自分たちの主張が実現不可能なのはわかっているだろう。日本本土を攻めれば米軍基地をも攻撃することになり、米国と戦争になる。できるわけがない無理を承知で言うのは、まず自分たちの愛国主義の熱烈さををいやがおうでもアピールしなければならないからである。
  民主派は、共産党は中国と中国人のためにならない、すなわち愛国的でないから倒すべきであるという論法を用いる。そして中国の現政権(共産党)よりも自分たちのほうがより愛国心を持っていることを自らの存在理由にしている。だから彼らは日本と日本人への復讐、そして威勢の良い愛国主義と自国を大国としての賛美を旗印にする。
 確かに、これらの内容は事情をよく知らない状況に置かれた中国の大衆を扇動するにはもってこいの内容であるが、扇動された人間が本気にすれば大変な結果になるのは明らかである。しかし彼らはそこまでは関知しないらしい。自分たちが政権の座につく目的のためには手段をえらばないつもりであると判断せざるをえない。

 ところで、彼らは台湾に対しては絶対に独立を認めていない。それはまだわかるが、彼らは中国国内の民族自決も認めない。チベットの独立や自治などに対する民主派人士の拒否反応は現政権と変わらないほど激しい。たとえば、彼らはチベット政策に関しては現政権を支持しているし、新疆ウイグル自治区や内モンゴル自治区その他の少数民族地区についても同様である。つまり、民主派人士は現中国共産党政府の漢族中心主義政策を是認しているのである。
 というより、彼らは異民族や異文化の存在を認めていないと言ったほうが正確だろう。彼らは、少数民族を「――族」「――族」という一方で、自分たち漢族のことを指して「中国人」といったりするからである。
 つまり、彼らのいう中国人とは漢族のことであり、中国とは漢人の国家のことなのである。そうでなければ他民族の権利や意志はどうでもいいなどというわけにはいかないだろう。
 漢族中心主義においては民主派は共産党とおなじである。そして中華思想の信奉度においては、共産党以上である。すくなくとも共産党とその政府は、沖縄を中国の領土であるといったりしない。

 しかし、大衆の無知につけ込み、異文化を認めず、他民族の民主や人権を踏みにじって平気な彼らのいう民主と人権とは、いかなる物か。


(1998/12/12)
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