東瀛小評

中国はなぜ台湾統一に固執するか

10月14日から19日まで中華民国(台湾)の海峡交流基金会理事長の辜振甫氏が中華人民共和国(中国)を訪れ、中国側の海峡両岸関係協会の最高責任者である汪道函氏と会見した。中国と台湾双方の「民間」の会談としては、1995年以来の最高レベルの交渉であり、辜氏は中国政府の最高指導者である江沢民氏とも会見している。しかし、これをもって中央と台湾間の関係に急速な改善は望めないというのが大方の見方である。
 台湾側は台湾は一個の実質的に独立した国家だといい、中国側は台湾は中国の不可分の領土であり現在の台湾の政権は地方政府にすぎないとして自国への統一を主張しているのだから、両者が合意できるはずはないのである。双方の共通する認識はともに“中国はひとつである”というものであるが、一方は資本主義を唱え、もう一方は社会主義を唱えているのだから、合体の話がまとまるはずはない。
 中国側は「一国二制度」を提案している。つまり、本土は社会主義を行うが、統一後の台湾は資本主義体制を保持できるというのである。それについても法律できっちり決めましょうと言うのだが、台湾側はその約束を信じていない。というよりも中国側における法律の有効性自体を信じていないのである。人権規約に調印するといいながら、同時に政府と主張を異にする人間をそれだけの理由で拘束したりするのであるから、現象だけ見れば台湾側がそう思うのも無理はないかもしれない。
 常識で考えて、両者が受け入れられるのは国家連合か連邦制だが、これは中国側のほうがすさまじい拒否反応を示す。「中国は歴史的にずっと中央集権制度である。連邦制や国家連合体制を取った時代は一度も存在しない」と、つい最近も中国外務省のスポークスマンは公的に発言している。(Reuter, Oct. 15, 1998 "Analysts: No Easy Solution to Cross-Strait Impasse")
 それにしても、外国人として奇異に感じるのは、なぜ中国側がここまで統一に、しかも中央集権制にこだわるのかということである。台湾について、台湾の進んだ経済やら技術やらが中国側の統一を熱望する理由として挙げられるが、このような合理的な説明はチベットの場合と同じく、あとから考えた理由であろう。すくなくとも二次的な理由であろう。なぜなら、中国側が常にいうように武力行使で強制的に統一しようとして戦争になれば、それによる損失の方が大きいのではないか。そのうえ目当ての台湾経済も相当程度の破壊を受けて、虻蜂取らずになってしまう可能性も大きい。したがって、それは理屈以前の衝動であると考えざるを得ないのである。

 ところで、中国人(とくに漢族)が国家の統一や領土の保全、あるいは国内の少数民族の独立・自決問題を語るとき、必ずといっていいほど「大一統」という言葉を口にする。これは、「一統(国家の統一、しかも強力な中央集権体制を取る政権によるそれ)を尊ぶ」という意味であり、中国人(漢族)の「大一統」感情、あるいは「大一統」思想、あるいは「歴史的に牢固とした文化的伝統である『大一統』概念」といった使い方がされる。つまり、中国の(くどいが漢人の)文化として中央集権制度の政治体制を望みとし、しかもそれによる領土の完全な一元的支配と保全を善とするがゆえに、国家連合や連邦制など問題外であり、ましてや台湾の独立など、理も非もなく悪いことであって断じて認めないというわけである。なかには、「大一統」感情が、漢族の集合無意識を形成しているとまで説く人間もいる。
 とにかく、この「大一統」を守るためには、現実には利益どころか損失を被るとわかっていても、それは問題ではないのであろう。
 この「大一統」は、前漢の学者董仲舒(BC 176?-104?)が発明した言葉と概念らしい。司馬遷の『史記』と班固の『漢書』には董仲舒の伝が立てられており(それぞれ巻121、巻56)、後者の中でこの思想の根本が要約されている。

  「大一統は天下の常経にして古今の通誼なり。」

 董仲舒の生きた時代は今から 約2000年前である。これほど古い思想が現代まで連綿と生きつづけ、一民族の思考形式と行動を規定し、かつその用語が日常使われているとは、驚くべきことではないか。


(1998/10/26)
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