東瀛小評

オーストラリアの連邦下院選挙

し旧聞になるが、10月3日にオーストラリアで連邦下院選挙が行われた。
 同国には自由党と労働党の二大政党が存在しており、前者が与党(正確には国民党との連合だが)である。選挙前の下院における議席数は、総員148名について、自由党・国民党連合91名、労働党49名となっていた。今回は前回ほどの差はつかなかったものの、77対68で前者が勝利している。
 今回の選挙で話題の中心となったのは、ポーリーン・ハンソン(Paulene Hanson)議員の率いるワン・ネーション(One Nation)党である。一言でいえば、同党は過激な人種差別と白人至上主義を綱領として掲げる政党である。党首のハンソン議員は、国内の先住民族アボリジニへの優遇措置の廃止とともに、オーストラリアへの有色人種移民の大幅な規制を主張した。「オーストラリアはアジア人によって埋め尽くされつつある」が、同女史の信念であり、最も人口に膾炙した発言である。
 ちなみに、歴史的な経緯から、オーストラリアでいう有色人種とは、ほぼアジア系人種のことに限られる。
 結局、ハンソン議員は落選し、ワン・ネーション党は元の議席2から、1を残すのみとなった。だがこれをオーストラリア人の良識の勝利といえるかどうか。

 現実にはオーストラリアの総人口1880万人のうち、アジア系住民の数は4.8%にしかすぎない。しかもそのうちの3.0%はアボリジニであり、アジア系はわずか1.5%である。この事実を考えれば、同女史も、そして彼女を頭として仰ぐワン・ネーション党も、単なる無知で感情的な人種主義差別主義者にすぎない。党員数も微々たるものである。
 問題は、このように従来なら無視できる存在が、選挙前の一時期には有権者の13%にも登る支持率を得たところである。しかも、ワン・ネーション党の主張は、周囲のアジア系諸国家との共生を目指して文化的多元主義を標榜している同国の国家方針を揺るがすものとして受け止められたからでもある。
 この説明としては、オーストラリアの経済状態の悪化(94年に5.53%だったのが97年には3.29%に低下している)によって生活水準の低下や失業の波に直撃された低所得者層の現政権や現有政党への不満が、同女史と同党への支持となったという解釈が行われている。
 この説明は、確かに当たっているだろう。オーストラリアの失業率は増加している中で(現在8.1%)、アボリジニの人々は経済的あるいは法的な優遇措置によって比較的影響を受けていないらしい。逆差別だという反応が出てきても不思議ではなく、それらの優遇措置の廃止を唱えるワン・ネーション党に支持が向かうのは当然といえる。

 ハンソン議員は単にセンセーショナルな発言で衆目を集めることのみをねらっていて、彼女の人種差別的言動(とくに移民制限)はそれだけの意味しかないという評価がある。
 あるいはそうかもしれない。国がアジア地域に位置し、周りをアジア系人種の国家に挟まれていながら、アジア系移民の排斥ができると真剣に考えているのなら、正気の沙汰でない。事実、オーストラリアで最も学習人口が多い外国語は隣国のインドネシア語なのである。これは、インドネシアとオーストラリアとの経済的・政治的つながりがそれだけ緊密かつ重要であることを物語っている。
 一国の政治家がその国家の置かれた客観的状況を冷静に捉えていないはずがないから、これはあくまでも注目を集めるためのジェスチュアと考えた方が良さそうである。そして、アボリジニの優遇措置廃止も、同女史にとってはおそらくは象徴的な意味しか持っておらず、本当にいいたいのは自分の支持者である低所得者層保護であろう。ただし、自分の売名行為のために人種差別を手段にしていいのかという点、そして彼女の主張を真に受けた支持者の言動(有色人種住民への暴言や嫌がらせなど)についての責任は問われるべきであるが、そのような感覚があれば最初からするはずがないだろう。非難しても無駄である。

 ただし、もうひとつの理由として考えてもいいと思われるのは、歴史的に見て、オーストラリア人は外国人(とくに有色人種)との接触体験が少ないという事実である。先にも触れたように、この国は、1970年末まで白人のみで国を作るという、いわゆる白豪主義の国是をとって、非白人の移民を厳しく制限してきた。その政策を放棄してたかだか二十年である。国民はそれまで隣近所に髪や目や皮膚の色の違う人間を直に見たこともなければ、自分たちと違う文化と日常的に向き合ったこともなかったということになる。二十年で、意識がまったく異文化を許容するようになっているはずがない。むしろ、まだまだとまどっている段階だろう。ずっと国家から有色人種を差別するよう教育されてきた国民にしてみれば、おいそれと切り替えができるはずがないのである。そして、わずか1.5%といっても、異人種が100人に1人か2人いれば見慣れていない眼にはひどく目立つのかも知れない。案外、ハンソン女史やその共鳴者の唱える「オーストラリアはアジア人によって埋め尽くされつつある」という叫びは実感かも知れないのである。

 個人的な体験からいえば、オーストラリアの白人にはアジア人に対して違和感や嫌悪感を露骨に示す人が多い。ホテルや観光地のレストランなどの従業員でさえそうである。これは、これらの人々が人種差別主義者であるからというよりは、ひとえに異なる民族や人種とのつきあいに不慣れなせいであるとおもわれる。今のオーストラリアで民族差別や人種差別をあからさまに言動にあらわせば、社会的に制裁を受ける。自分の不利益になるのをわかっていてそれでも出さずにいられないのは、言い換えればそれだけ人がいいともいえる。アメリカ人(もちろん白人系のことだが)なら、絶対に顔にだすようなへまはしない。

 そもそも、オーストラリアの文化多元主義などというものは、まったく国のご都合主義の産物といってもいいくらいの代物である。オーストラリアが白豪主義を放棄したのは、周囲のアジア系国家の成長につれて、彼らとの友好関係を維持したほうが国家の利益と安全に沿うようになったからにすぎない。ひらたく言えば、そのほうが得になるからやめただけのことである。すくなくとも高邁な理想からではないのは確かであろう。それまでは国家自らが人種差別を実践奨励していたのである。
 それが、いわば、ある日突然掌をかえすように昨日までと正反対のことを言いだしたわけである。都合であるから、本心からのものではない。これは国民よりも政治家の方がよりそうである。それが証拠に、今回の選挙戦で、与党の自由党・国民党連合も最大野党の労働党も、ハンソン議員とワン・ネーション党の人種差別主義を非難したが、アボリジニ問題については、ほとんど触れるところがなかった。触れないのは、両方とも実際の政策方針(あるいは本音)はワン・ネーション党と変わらないからである。この二政党はさすがに老練で、多元化主義というわざと抽象的な人種平等論を掲げて国内の有色人種の不満を押さえ、彼らの政治進出を抑えておきながら、実際は白人有利の政策を取ってゆくつもりであったのではないかとさえ思われる。
 しかし、ここでも不慣れというか人がいいというか、今度の騒ぎで、かえってオーストラリア国内のアジア系およびその他有色人種の民族意識や政治参加意欲を高めさせる結果になった。藪をつついて蛇を出すとはまさしくこれである。


(1998/10/20)
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