東瀛小評

陳一諮の中国帰国許可

一諮氏は趙紫陽元首相のブレーンの一人である。1989年の天安門事件と趙紫陽氏の失脚後、海外へ亡命し現在は米国居住である。このたび同氏が西安の母親の葬儀に参加するという理由で一時帰国することができた。長らく自宅禁固にちかい状態に置かれていた趙紫陽氏も最近、病気療養の名目で南部への旅行を許可されている。もうひとりのブレーンであった鮑とう氏に対する海外メディアとのインタビュー黙認とあわせて中国政府の天安門事件再評価への動きかという推測がなされている。
 これまでも何度も天安門事件の再評価かという報道がなされたが、ただの希望的観測に過ぎなかった。今回は、陳氏が天安門事件のいわば元凶である趙氏のブレーンであり、開放政策を推進し、しかも氏が趙紫陽時期の政治改革立案の責任者である点と、クリントン大統領が中国訪問中に江沢民国家主席との合同記者会見の席で「天安門事件はあやまりだった」と発言したこともあって、こんどこそ本物ではないかと見るむきもあろう。
 だがどうもそうではなさそうである。というのは、これらの動きと同時に、天安門事件の直後に運動参加者の逃亡をたすけた范一平氏が三年の実刑という判決を受けているからである(インターネット版『明報』1998年7月22日号「范一平判三年罰款一万」)。
 中国では反体制人士はすべて刑事犯として扱われる。いいかえれば、無茶苦茶だが、天安門事件を再評価するつもりならば、范一平氏は無罪になってもおかしくない。
 もっとも氏の直接の罪名は逃亡者の香港への密航(当時の香港は外国である)幇助である。これだけみれば純粋な刑事犯であるわけだが、これが名目であることはいうまでもない。范一平氏は今年の三月になって逮捕されている。それまではなんのとがめもなかったのである。
 つまり、これは政治裁判であり、同時に国の内外へのシグナルであって、天安門事件は依然として「反革命暴乱」なのであろう。
 ところで『サウス・チャイナ・モーニング・ポスト』の1998年6月21日号も今触れた趙紫陽氏の南方旅行を報道しているが、そこに米国に住む中国民主化運動のメンバーの一人(名前は挙げられていない)の言として、米国所在の中国政府関係者が運動家たちに「取引」をもちかけているという証言が引用されている。そして、「数人の運動家は、中国へ帰られることと引き替えに帰国後政治運動や発言を行わないという誓約をおこなうという条件を提示されている」と、その人物はあかしている。("Party wary as Zhao Ziyang tours South")
 陳一諮氏がその取引に乗って今回の一時帰国が実現したかどうかは明らかではないし、私はそうではないかとほのめかしているわけでもない。第一、同氏は母親の葬儀を済ませてすぐに米国へ戻っている。私がいいたいのは、このたびの氏の帰国は中国政府による天安門事件の再評価の兆しというような甘いものではなさそうだということである。
 ここで思い出されるのは魏京生氏の釈放および米国への出国である。これは昨年10月の江沢民国家主席の訪米のあと行われた。すくなくともこの出国が10月の米中サミットにおける取引の結果であることはいまや明らかになっている。クリントン大統領は会談の目に見える成果として著名な反体制知識人の釈放を実現させることにより、中国の民主化と人権状況の進歩として国内向けへの得点を稼ぐことができた。一方中国は魏京生氏を国外へ放り出すことによって米国内の対中国イメージを改善することができた。両者の利害が一致したわけである。
 海外にいる反体制知識人の帰国許可もおなじことである。
 つまり、この種の処置の対象となる人物の天安門事件や民主化運動における重要度によって中国政府の事件への姿勢を計るのは間違っているのである。だいたい、ある一人の釈放や帰国の許可は中国社会の民主化や中国全体の人権状況の改善とはなんの関係もない。大物であればあるほど米国政府は自分の利益となる観点から歓迎し、国内の人権擁護勢力や議会の反中国派の議員をなだめて親中国政策を取りやすくなるというだけのことだ。そしてそれは現在の中国政府にとっての利益となるのである。
 今回も米国は陳一諮氏にたいする措置をおおいに評価するであろう。
 陳氏の一時帰国実現は、中国が米国との関係を良好にするためだけにとった便法にすぎないのではなかろうか。

(1998/7/25)
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