東瀛小評

いまごろ何をいっているのか

『日本経済新聞』1998年7月9日朝刊(京都版)の社会面に「身障者の投票サポート進む」という見出しの囲み記事があった。副題として「候補『考え直接伝わる』:手話通訳」「選管、ソフト面で工夫:点字名簿」とある。
 これらで想像できる通り、目前に迫った参院選で、選挙演説に手話通訳をつけるとか、投票所の入り口に障害者向けの掲示が置かれることになったというニュースを中心に、国政選挙で障害者の人々への配慮の意識が高まりつつあるという内容である。場所は大阪市と大阪府である。
 それ自体はもちろんすばらしいことである。しかしながら、それでも思わざるをえない。いまごろ何をいっているのか、と。
 記事には「候補の考え方が直接伝わり、好評だった」という大阪選挙区で立候補しているある候補者陣営の責任者のコメントが引用されている。また、大阪府選管の話として、「参院選公示の三週間ほど前に、障害者団体から要望があったため」、点字の候補者・政党名簿や、介助係を呼ぶためのインターホン設置所、車椅子用の入り口、手話通訳の有無などを記した掲示をおくことにしたと書かれている。
 これがわざわざ囲み記事にしてしかも口を極めてほめあげる価値のあることであろうか。しかも、その責任者は「(手話通訳の)人数が少なく、大きな演説会しか頼めないのが悩み」といい、選管のほうは「施設の改造は難問」だから「ソフト面の対応に力をいれた」とコメントしている。つまり、人手もノウハウも不十分であり、制度としてはまったく整備されていないということになる。信念や展望があって長期間の準備をへておこなわれたものではなく、単なる必要に迫られての応急措置でしかない。その場しのぎといってもいいかもしれない。
 しかもこれは大阪市あるいは大阪府だけのことであって、これ程度の措置もしていないところのほうが多いのであろう。そうでなければ記事にしないはずである。
 だいたい、これまで障害者がひとりも演説の聴衆にいなかったわけでも、一人の障害者も投票にこなかったわけでもあるまい。障害者団体も過去幾度となく要望を出してきたはずである。それを今の今まで取り上げずにほうっておいたことは問題にならないのか。候補者と選挙管理委員会はまずその点を責められるべきであろう。そしてそれをまったく問題にしない記者は不見識の誹りを免れないし、今回の現象をあたかも美談であるかのようなたいそうな扱いをする新聞社はそれ以上に不見識である。
 1991年のアメリカ合衆国大統領選挙を現地で見ていた。住んでいたアイオワのグリンネル市のコーカスを見たし、アイオワ州で立候補する候補の州都での地元演説会にもいった。そこでは手話通訳が当然のこととしてつけられていた。州都デモインは人口わずか22万である。大阪市260万の人口の10分の1以下である。グリンネルにいたっては8,000人あまりに過ぎない。そこではすくなくとも7年前には完璧におこなわれていたことがなぜ大阪では現在できないのであろうか。身障者のことにまで思いが至らないのか、あるいは大した票にならないからどうでもよいのか。
 候補者の側はあるいはそうかもしれない。良い悪いは別にして一応理屈として理解はできる。しかし、府の選挙管理委員会や日本経済新聞社は別である。前者は国民を身体的障害の有無によって差別し、選挙権を行使する平等で充分な機会を与えておらず、後者はジャーナリズムに属しながら社会的弱者の利益を保護する立場を忘れているのである。許されることではない。
 ここまで書いて、アメリカで働いていたころ勤務していたNGOの上司にいわれたことを思い出した。その上司は身障者のメインストリーム運動に長年たずさわってきた人物であり、日本にも滞在していたことがある。JRの東京駅に身体障害者用の設備ができて使用できるようになったときいてわざわざ見に行ったそうである。その人はこんな話をした。

 「スロープは必要な場所すべてにあったわけではなかったし、あったとしてもせいぜい数段の階段やわずかな段差のあるところだけだった。本当に必要とされるところには設備がなかった。たとえばプラットフォームへの長く急な階段にはスロープがない。あの階段を車椅子にすわった人間にどうやって登れというのか。エスカレーターはもちろんだめだ。身障者用のエレベーターというのがあらたに設けられていたが、それはよくきいてみると、もとからあった貨物運搬用のエレベーターの名称を変えただけだった。それは駅の建物のはずれにあってすごく歩かなくてはならない。健常者でも疲れるくらいにだ。そこへ行く通路は元来駅の従業員用の通路だから照明の数がすくないうえに光度が低くて薄暗く、あまりきれいでもなかった。まるでローマのカタコウム(ユダヤ人の地下墓地)だ。おまけに荷物や貨物がまだ通路の壁に積み上げてあった。車椅子ならとおれないだろう。本当に大工事になるところは手を着けていないし、施設を作るうえで障害者の意見をきいたとは思えない。本気で身障者のことを考えているとは考えられないね。」

(1998/7/10)
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