東瀛小評

アメリカの戦後補償問題

メリカ合衆国が第2次世界大戦中に日系アメリカ人を「敵性住民」として強制収容所へ隔離した事実は有名だが、そのほかに中南米諸国の日系人を米国内へ連行して同じく強制収容所へいれたことはあまりしられていない。
 1998年7月9日の『京都新聞』朝刊に、この中南米諸国日系人に対する米国への強制連行と強制収容所収容に関する戦後補償問題が共同通信の記事として報道されている。
 日系アメリカ人の戦後補償は1988年に連邦保障法が成立し、政府の公式の謝罪とともに一人あたま2万ドルの慰謝料を支払うことが決定された。しかし中南米から連行された日系人はその対象とはなっていなかったので、1996年の9月にこれらの人々が合衆国政府を相手取って訴訟をおこしたのである。このたび両者のあいだで和解が成立して、かれらには一人5千ドルが政府の公式な謝罪の言葉とともに支払われることになった。ただし、推定1,200人の対象者のうち半数が名前すらわからず、本人が名乗り出ないかぎり連絡のとりようもない状態だという。
 和解が成立したのはアメリカの6月12日である(日本時間では翌日)。CNNでは即日報道していた。それをひと月もたってから、しかもほとんど同じ内容を報道するというのも問題だが、それはここでは触れない。
 あたりまえだが中南米はアメリカ合衆国の領土ではない。つまり一国の政府がよその国へ踏み込んでそこの住民を無理矢理にいわば拉致したわけで、実にめちゃくちゃな話である。(CNNのニュースではインタビューされた原告は"kidnap=誘拐"という言葉を用いている。)しかもこの行動を決定して指令したのは合衆国政府であり、それを実行したのはれっきとした政府職員であったのだからますます驚かざるをえない。今回の訴訟を提起した原告側の弁護士の説明では日本側にとらわれているアメリカ市民と交換することを意図してのことだったというが、それでも文明国にあるまじき常軌を逸した蛮行としか呼びようがない。
 相手が白人ならばこんなことはしなかったはずである。合衆国政府もそれを認めている。6月の和解成立に際してクリントン大統領が発表した公式の謝罪メッセージには、「わが国の行動は人種差別と戦争時のヒステリー状態に根ざしていた」と明言しているのである。
 今回の和解の意義は、それまでアメリカ合衆国の国籍または永住権を獲得している人間のみを対象としていた戦争補償が、補償額では差があるとはいえ他国にも広げられることになった点である。
 クリントン大統領が今回発表した謝罪文ではこういっている。「私は第2次世界大戦中にあなた方(中南米日系人)の基本的人権を不当(unfairly)にも否定した(我が国の)行動に対して心から謝罪します」。
 米国政府は、基本的人権の蹂躙を理由に国家として謝罪するといっているのである。さらに文中で"unfaily"という単語が使用されているが、これはもともと「正義に反して」という意味であり、この言葉の存在は合衆国政府が自らの行いが正義に反していたものであったと見なしていることを示している。つまり、米国政府は基本的人権と正義の観点から今回の和解に応じたのである。
 ところで、今回の政府の補償の背景となったのは、先ほど出た日系アメリカ人のみを対象としていた1988年の連邦保障法であるが、これは事後法である。法的安全性が害されるため、通常は原則として法律には遡及効が認められない。法律不遡及の原則を破ってあらたに法を制定してまで補償に踏み切ったのは、アメリカ合衆国政府が基本的人権の蹂躙と不正義をそれほどの例外的な重要性をもつ問題であるとみとめたからであろう。
 合衆国政府が今回の和解に応じたという事実は、ある政府あるいは国家がなした行為は、それがなされた過去の時点では法的に問題がなかったとしても、それが今日の尺度で基本的人権を蹂躙し正義に反する行為であるならばその政府あるいは国家は謝罪し補償しなければならないという連邦保障法の成立で示される精神のほかに、その行為の被害者が現在自国民であるか否かに関わらずやはり謝罪し補償しなければならないという立場を取ったことを意味する。

(1998/7/9)
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